第2章第4節「地続きの天国と地獄」

 魔法調律連盟盟主デュナミスとの面会を終え、桜井とシグナスはエレベーターで大樹の根元へ戻ってきた。

 アルカディアに魔法生命体レリーフがいるということは知っていたものの、まさか二人も存在するとは予想していなかった。さらにデュナミスは女性であり、敵対せずに中立の立場を取っている。レリーフといえば意志を持って世界を脅かす魔法生命体という認識だが、彼女に限っては当てはまらない。もしかすると、彼女のように他にも話し合える個体がいるのだろうか。

 桜井は自身の分身であるユレーラについて、疑念を抱えている。同じレリーフであるデュナミスが何か知っている可能性は高いが、質問の機会には恵まれなかった。今はそれよりも、もう一体のレリーフに接触することが優先だ。それを対処してからでも、レイヴェスナに頼めばルズティカーナ村にもう一度訪問できるだろう。

 大樹の根元には、以前にはなかった人集りができていた。何か噂を聞きつけて様子を見にきたといった具合だ。

「お帰りなさいませ、桜井様。謁見はご満足いただけましたかな?」

 桜井たちが戻るのを待っていたネスロメオ・ラピエールが迎えるが、桜井との間を過ぎったシグナスがあしらう。

「用は済んだ。行くぞ」

 ラピエールもそれ以上構おうとはせず、桜井たちに道を譲る。

「またお会いできる日を心待ちにしております」

 徹底した態度を無碍にできず、桜井は軽く頭を下げてからシグナスの元へ急ぐ。

 来た時とは違い、やはり人々は桜井とシグナスの方を見ている。いずれも遠巻きから眺めるだけで声をかけたりはしないが、どうにも居心地の悪さを感じざるをえない。それはシグナスも同じなのか大股で歩く彼女の向かう先には、セレサが立っていた。

「どうでしたか?」

 こちらに気づいたセレサが合流すると、桜井は少し奇妙な状況について聞く。

「こっちは順調だ。レリーフはアズエラっていう連盟員と手を組んでるらしい。これから奴らがいるかもしれないファンタジアの森に向かう」

「首尾は上々ですね」

「そっちはどう?」

「私たちが村に来たことが噂になってるみたい。サインならいくらでも書くんですけどね。あ、もちろん手数料はいただきますよ? 一人当たり……」

 セレサからの報告を聞き終えるより前に、シグナスは黙って村に来た時の道を戻り始めた。セレサの報告は既に無駄話に変わっていたが、シグナスの様子は普段とは違う。単にデュナミスとの面会で不機嫌になっていたのかもしれないが、明らかに急いでいる。彼女がなぜそこまでして村を去ろうとしたのか、答えはすぐそばに迫っていた。

「シグナス・フリゲート。まさか自ら姿を現すとはのお。ついに死に場所を決めてきたのか?」

 二メートルを優に超えた大柄かつ強靭な肉体、近寄り難い風貌に纏わせた山の如く厳格な雰囲気。異なる色の混じった白髪を靡かせる風に岩のような声を忍ばせたその者を目にし、桜井は思わず気圧された。

 先を進んでいたシグナスは足を止めはしたが、動じる様子は一切ない。彼女は小さな体から出せるとは思えない固い意地を帯びた声だけを返した。

「貴様の相手をする時間はない。分かったら尻尾を巻いて立ち去るがいい」

「何をしにやってきたかと思えば、外の人間を誑かしておるのか。愚かだなフリゲート。懐柔することができたところで共倒れの路を歩むじゃろうに」

 大男は桜井とセレサに目配せをし、二人がシグナスの仲間であることを即座に見破った。その威圧感に一歩も動けずにいると、舌打ちが聞こえてくる。大男に釘付けになっていた視線をシグナスへ移すと、今度は耳元から囁き声が聞こえた。

「はいはい耳貸して」

 突如として聞こえたヴェロニカの声に肩を見ると、いつの間にか小人サイズの彼女が座っていた。いつからそこにいたのかはさておき、言う通りに耳を傾ける。

「あいつはザド、本名は長ったらしいから省略するね。あたしたちと同じレミューリアの生き残りだよ。あたしらのボスと喧嘩するのはいつものことだから気にしないで万事オッケー。あ、あと耳掃除したほうがいいよ」

 レミューリアの生き残り。即ち、ヴェロニカやセレサと同じということを意味していた。大男の尋常でない雰囲気からして、ヴェロニカの言うこともすんなりと飲み込むことができる。

「泡沫の楽園より降りてきた人間よ」

 レミューリア神族の生き残りであるザドレウス・ベルガナッシュは、シグナスではなく桜井の方へ言葉を投げかけた。

「哀れなうぬに教えてやろう。その小娘が贖うべき罪をな」

 これからザドが言わんとしていることは、人智を超えた領域の話。それと同時に、シグナスが生まれた時から背負う宿命でもあった。

「その小娘の母はユリウス・フリゲート! 我が故郷たるレミューリアを破滅へと導きし大罪人! 決して持ち出してはならぬ果実を奪った大逆賊!」

 ユレケラスの大樹の下に栄える村に、ザドの厳しい弾圧の声が響き渡る。シグナスの来訪の噂に駆けつけた群衆は、苦難するザドに同調して顔を歪めた。

「仕えていた多くの同胞たちは裏切られ、フリゲート家とアストレア家によって最終戦争が引き起こされた。戦によってレミューリアは滅び、下るべき裁きも下らない。してどうだ? 戦火から逃げ果せた彼奴はこの世界へと降り立ち、あろうことか魔法の母だと崇め奉られておる。儂らへの冒涜も甚だしい!」

 桜井は魔法調律連盟の理念を思い出す。連盟は魔法が世界を破滅させるという終末論を唱え、明確に魔法を敵視する傾向がある。盟主であるデュナミスはレリーフでありながら、レリーフと敵対し桜井たちに協力する姿勢を見せてくれた。

 そんな連盟が仕切っているこの村では、ザドの考えは正しい。囲っている群衆の刺すような視線は、堅牢な鎧によって包まれていて曲げることなどできない。

「じゃが人間による冒涜など取るに足りん。彼奴は許されざる禁忌を犯した。その小娘は彼奴が産み落とした罪と罰。此奴こそが儂らへの最大の冒涜。生かしてはおけぬ」

 ザドは魔法をもたらした元凶であるユリウス・フリゲートと、その娘であるシグナスを糾弾した。ラストリゾートでは魔法の母と呼ばれるユリウスも、この村では非難の的になっている。その背景には神話が絡み合っていて、今の桜井にはザドの言い分を噛み砕くことで精一杯だ。

 彼が改めてシグナスを見ると、頼もしかったはずの背中は萎縮しているように感じた。 

「のお凡人よ、うぬらの世界を滅ぼされてもよいのか? その小娘はいずれ母と同じ過ちを犯すじゃろう。あの忌まわしい逆賊の娘なのじゃからな」

 魔法生命体レリーフは世界を脅かし、桜井はレリーフと戦うためにアルカディアへ来た。倒すべきは魔法が意志を持った存在であり、魔法を最初にもたらしたのはユリウス。コンツェルト評議会においても、最高議長はフリゲートを逆賊だと罵っていた。果たして、彼らが言っていることは正しいのだろうか。

 桜井はまだ判断できるほどアルカディアの文明を理解できていないが、少なくともこう思っていた。その通りかもしれない、と。

 ラピエールやデュナミスにしても、桜井とシグナスとで扱いには目に見えて差があった。その差は、シグナスへの侮蔑を正当化するに足りてしまうのだ。

 だが決めつけてしまうにはまだ早い。桜井は一方的に責められているシグナスの肩が震えているのを見た。彼女は体を小刻みに振るわせ、小さく拳を握り込んでいく。

「……それ以上母上を侮辱してみろ。今度こそ息の根を止めてやる」

 ザドが語ったことの真偽はともかく、今のシグナスはあまりにも危うい状態だ。このまま傍観していても良い方向に転がる兆しは微塵もない。彼は自身が部外者であることを理解しながらも、足を前に踏み出した。その歩みは、部外者には許されていないと知りながら。

「お、おいシグナス? 気持ちは分かるけどよく考えてくれ」

 ザドと群衆が取り囲む中で、桜井はシグナスに歩み寄って声をかけた。彼女は俯いて怒りに拳を握っているが、一線を越えることを踏み止まっていた。

「俺は君の味方だ。今はここを離れて一旦落ち着こう、な? このままじゃ埒があかない」

 何も知らない桜井の言葉など、何の慰めにもならないだろう。二人は出会ったばかりだし、共通の目的から評議会によってペアを組まされただけの関係に過ぎない。上辺だけ見れば、本来の目的のために今は退けと諭しているようなものだ。そこには気遣いはなく、利害のみが追及される。それでも、彼はシグナスの味方になることを決めた。逆賊の娘という理由だけで彼女を非難するのは間違っていると。

 シグナスが彼の言葉をどう受け取ったかは分からない。彼女はただ短く息を切ると、ゆっくりと顔を上げた。

「……ふん。お前なんざに諭される筋合いはない」

 出方を伺っていたザドに対し、シグナスは初めて目を合わせて言いのけた。

「見ての通り私はお守りで忙しい。首を洗って待っているがいい。……行くぞ」

 言い終わると、シグナスは止めていた歩みを再開する。周囲を取り囲んでいた群衆を破り、来た道を戻っていく。

 遠のく彼女の後ろ姿を目で追っていたザドは、嘲るように吐き捨てた。

「腑抜け者めが」

 桜井とセレサも彼女の後を追いかけ、群衆の壁を抜けていく。呼び止める声はなく、ただ背中に冷ややかな視線だけを感じた。

 シグナスがなぜこの場から早く立ち去ろうとしたのか。

『──連盟が君を歓迎することはありません』

 なぜデュナミスは最後にああ言い残したのか。

 その本当の意味を、桜井は垣間見た気がした。

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