第3章第3節「淘汰されゆく可能性」
「アタシとデュナミスがそう。アタシたちはアズガナン連邦の魔法省によって造り出された人造人間。アンタにも分かるように言えば、アタシとソイツはレリーフなの」
デュナミスがレリーフであることはさておき、ニュルンガムは自分自身も含めている。つまり、アルカディアにはバンビ、デュナミス、ニュルンガムの三体のレリーフが存在するというのだ。
「混乱するでしょうけど、遅かれ早かれ知るべきことよ」
愕然とする桜井だったが、ニュルンガムは続ける。
「アタシたちは擬似的な姉妹のような関係なの。同じレミューリア神族を素体にしたクローンという意味ではね。姉妹なんて言い方は好きじゃないけど、こうしたほうが分かりやすいでしょ?」
クローンと言った通り、厳密にはレリーフと全く一緒というわけではないらしい。そもそもユレーラやバンビと違い、二人は女性である。彼女たちもまた桜井結都の分身と言えるかどうか、線引きは実に曖昧だ。
「私たちは魔法生命体レリーフと似て非なる構造を持っているの。本質的には同じだけど、被造物ゆえに本物の肉体を与えられている」
隣に座るデュナミスは桜井へ体を寄せ、彼の手を握った。確かに温かく偽物には思えないし、胸元に触れさせられると鼓動も感じ取れる。
レリーフは特徴として実体を持っておらず、幽霊のような存在だ。しかしデュナミスからは生命の気配が感じ取れた。彼女は嘘を言っていない。
「他のみんなは知ってるのか?」
彼女たちはユレーラやバンビと違い、人間社会に溶け込んでいる。レリーフである彼女たちが社会で生きていけること自体信じられないが、こうして生きている。そのことを、世間は知っているのか。
「魔法戦争があってアズガナン連邦は滅亡、当然魔法省も解体されちゃったから、今となってはこのことを知る人はごく一部を除いてほとんどいない。アタシは評議会議員兼図書館司書だし、デュナミスは魔法調律連盟の盟主。お互いに生きる道を選んだ。アンタも真実を知ったからって言いふらしたりしないでよね」
デュナミスは自らレリーフを名乗っているが、ニュルンガムは違う。だが評議会が彼女の正体を知らずに議席を渡すわけもないだろう。おそらく、彼女の言うごく一部とは評議会のことだ。
まさか桜井が知らないところで、レリーフが社会に潜んでいたとは思いもしていなかった。彼にはラストリゾートで見聞きしたものが全てだったが、今は違う。
「話が逸れたわね」
ニュルンガムは膝に置いた本の上に両手を置き、今一度バンビとアズエラの企みが実現不可能であることを示す。
「要するに、仮にレイヴェスナ卿のような超能力者を討つというのなら、禁断の果実かそれに相当する力が必要なの。魔法省はあの手この手を使って禁断の果実を栽培しようとして、アタシやデュナミスのような実験体が生まれた。それでも、新しい禁断の果実は作れなかった。レミューリアはとっくに滅んじゃったし今更取りにもいけない。レイヴェスナ卿がいる限り、アルカディアは不滅よ」
レイヴェスナの力については未知数のままだが、ニュルンガムは誇張して言っているふうでもない。
「じゃあムジカリリスを使って全員を昏睡させようにも、無理ってことか?」
思いもよらぬ真実を知って混乱していた頭を切り替えようと、桜井はもう一度聞き返す。だが何度聞こうと、彼女は態度を変えようともしなかった。
「当然よ。レイヴェスナ卿から果実を奪いでもしない限り、って自分で言っててバカバカしいわ。……どのみちふん捕まえるのは一緒よ」
たとえバンビとアズエラの計画が実現不可能だったとして、彼らを野放しにしておくわけにはいかない。敵については十分に議論を重ねてきたし、あとできることは身柄を拘束すること。それが面倒な回り道をせずにシグナスにかけられた容疑を晴らす唯一の方法だ。
「それについては俺も賛成だけど」
だが桜井にはもうひとつ、はっきりさせておきたいことがあった。
「ただ、ひとつ変なこと聞いてもいいかな?」
ソファから身を乗り出して、彼は両膝に肘を置く。いかにも深刻そうな出方に対して、ニュルンガムは冗談っぽく返す。
「今日アタシが話した秘密より変なことがある?」
むしろ、桜井がこれから話すことは彼女たちの秘密を踏まえたもの。彼は目を泳がせつつも、覚悟を決める。
「君たち、そのレリーフは……」
彼はレリーフの正体と魔剣について知るために、アルカディアへやってきた。これまで何度か聞く機会を逃してきたが、今ほど適した場面はない。
桜井を囲う、二人のレリーフ。彼女たちもまた、ユレーラやバンビと同じか否か。
「俺の」
「シッ!」
しかし、ニュルンガムが桜井の言葉を遮った。彼が言わんとしていることを察したからではない。彼女は指を立てて沈黙を促し、耳をすませて言う。
「何か聞こえない?」
メキメキというガラスが軋むような音。段々と大きくなる異音に気づいた三人は、音の源が図書館の奥であることに気づいた。
図書館の最奥には常に変化する複雑な扉があった。取っ手がなければ鍵穴もない、開錠不可能に見える扉。その扉を中心にして、脈々と亀裂が走っていたのだ。亀裂はやがて扉を少しずつ割っていくと、奥に広がっていた暗い空間が覗き込む。まるでスプレーで壁に描かれたトリックアートだったかのように、厳重な扉は空間と一緒にあっけなく割れ落ちていく。
桜井たちの他にいた利用客も異常に気付きだし、図書館全体に緊迫した空気が詰まる。だが、見せかけの扉が何を隠していたのかを彼らは知らない。桜井もまた、亀裂の向こうに何があるのかを知らないが、司書であるニュルンガムだけは知っていた。
「禁書書庫から!? いったいどうして」
「禁書だって?」
聞いてはいけない単語を聞き、桜井は思わず聞き返す。しかし悠長に説明している場合ではない。
広がった亀裂からは何かが滲み出していた。禁書書庫の向こう側から現れたのは、スライム状の物体。そのスライムの正体が何であるかはともかく、出てきてはいけないものであることは桜井にも直感的に分かる。
ニュルンガムは杖に乗ったまま禁書書庫へと急ぎ、桜井とデュナミスも彼女の後に続く。
「みんな図書館から出て! 早く、今すぐに!」
杖で飛びながら、彼女は利用客に避難を促す。その声色と形相で緊急事態であることが伝わったのか、利用客は一斉に出口へと走り出す。
決して多い人数ではないが、逃げていく人々とすれ違って逆へ進む桜井とデュナミス。彼はパニック状態の人混みを逆走する経験を何度もしてきたが、その度に彼は自らの仕事を強く意識する。魔法がもたらす脅威に立ち向かうのが、自らの仕事なのだと。
桜井たちが杖から降りたニュルンガムに追いつく頃には、扉は大半が破片となって崩れ落ちてしまっていた。奥の禁書書庫はその封印を解かれ、スライム状の何かが床に広がり続けている。
やがてその中から一つの塊が生まれ、ゆっくりと隆起すると見覚えのある姿を粘土のように形成した。
「やぁ、また会ったね。桜井」
「レリーフ・バンビ! アンタ禁書書庫で何をしたの?」
バンビが桜井に向けて挨拶したが、彼よりも前に立つニュルンガムが怒鳴りつける。
おそらくレリーフとしての特性を利用して禁書書庫へ出没したバンビは、スライムと共に封印を破った。神出鬼没なところはレリーフらしいが、現れたからには目的があるはず。
花を摘むためにファンタジアの森へ。そして次は禁書書庫。
順当に考えれば魔導書だろうが、彼はすぐに目当てのものを足元のスライムから掬い上げた。
「この魔導書を見させてもらっただけさ。ホコリを被っているのだから、お前には必要ないものなんだろう? だから僕が預かることにした」
まだ幼い手で持った本をひけらかすと、ニュルンガムは彼の言い分を丸め込む。
「それは貸し出すことができない本だから保管してあるのよ」
バンビが持ち出した魔導書とスライムにどういった関連性があるのかは分からない。が、ただの植物がアルカディア陥落に繋がり得る以上、侮ることはできない。
桜井はニュルンガムの隣まで進むと、声を低くして忠告する。
「お前たちの計画ははなから失敗してるんだ、バンビ。諦めた方がいい」
先に三人で議論した通り、バンビとアズエラの計画が実現される可能性は極めて低かった。そして彼はユレーラと同じように桜井と一つになろうという意思があるかと言えば、そうではないらしい。そうなってくると、桜井にできることは彼を止めること以外にないように思える。
「今ならまだ間に合うはずだ。この二人みたいに共生する道を探す気はないか?」
しかし、桜井の隣にいるニュルンガムや、後方に立つデュナミスの生き方を見た。二人はレリーフでありながら互いの道を選び、人間社会に溶け込んでいる。人工的だったとしても同じレリーフである彼女たちにできて、バンビにできないこともないだろう。
少なくとも、桜井はそう信じて言った。が、バンビには立ち止まる意思はない。
「何を嘆こうともう遅い。これに封印されていた魔神は解き放たれ、今や僕のしもべとなった」
右手に持っていた魔導書がスライムに変わりバンビの体を伝うと、反対側の左手に魔導書が握られる。そのスライムの正体を、ニュルンガムは司書として当然把握していた。
「魔神ユクシーを解き放ったのね。まったく余計なことを」
頭を抱えるニュルンガムに対して、わけ知り顔の桜井。もちろん彼が表情を変えなかったのは、聞きなれない名前を聞いたからだ。アルカディアに来てからもう何度目か。大抵そういった言葉はレミューリア神話に由来していて、厄介なことに繋がる。それにも大分慣れてきたのか、彼は聞き返すような野暮なことはせずに続く言葉を待った。
「流石と言いたいところだけど、図書館司書であるこのアタシに見つかったのが運の尽きね」
彼女の態度は打って変わって自信ありげ。先ほどまで座っていた杖を触れずに操ると、体の前に持ってくる。
「魔神をしもべとした僕に対して何ができるというんだ?」
スライムと一体化しているバンビは、不思議そうに首を傾げた。
なぜなら、ニュルンガムは杖に複数の青い魔法陣の枷をはめ、水を纏わせていたのだ。
「魔神が封印された魔導書だろうと所詮は本。本が水に弱いのは知ってるわよね?」
「そ、そんな馬鹿げた真似がお前にできるのか?」
狼狽えたのは何もバンビだけではなかった。隣にいた桜井にも、ニュルンガムがやろうとしていることはとても正気に聞こえない。図書館と水は最も組み合わせてはいけないもの。
だが、彼女に踏み留まる気配はなく、杖に流れる水の勢いだけが強まった。
「魔導書だろうが禁書だろうが、まるごと押し流してあげるわ!」
もはや勢いに任せて、彼女は杖にかざしていた手を床まで振り下ろした。その手に従って何層かの魔法陣はまとめて床へと降り、彼女が膝を折って床に触れた時には恐るべき現象が引き起こされる。
ニュルンガムの足元を中心にした複数の魔法陣と共に、荒波が溢れ出した。堰き止めることなどできない波は瞬く間に広がっていき、無数の本を丸ごと飲み込んでいく。ものの数秒で彼女たちのいた空間は満水となり、桜井は水の中に立ち尽くしていた。そう、彼は息を止めてこそいるが、水に流されることなく立っていた。足を持っていかれるどころか、目を開けることもできている。
バンビとスライムは水の中を漂っているが、隣にいるニュルンガムも、後ろのデュナミスも溺れる様子はない。まるで彼らだけが水の中から切り離されているかのようだった。
そんな中、ニュルンガムが舞いを踊るように杖を動かすと、どこからともなく激流が生み出される。それは整理整頓されていた大量の本を巻き込むと、桜井たちを掠めてバンビとスライムを奥へ連れ去った。空間の亀裂もろとも禁書書庫へ押し流していったのだ。
彼女の水を操る魔法の規模感に呆気に取られる桜井。その後ろで、デュナミスは水に流されていく本を眺めて、呆れたとも感心したとも取れる表情を浮かべた。
『本を濡らさないようにすることもできたでしょうに、見上げた人情ね』
『失礼ね。本よりアンタたちやお客さんの方が少ないでしょ。楽な方を選んだだけよ』
水中に反響して聞こえてくる二人の声。水の中にいるはずなのに、彼女たちは涼しい顔で言葉を交わした。それを見た桜井はようやく事態を把握する。
『……あーあ……冗談だろ』
息を止めなくても呼吸ができ、声を出せる。手は水の抵抗をほとんど感じず、服も濡れた感覚はしない。あたかも、ニュルンガムの魔法は味方を識別しているかのように。ニュルンガムほどの実力となればこれくらい造作もないのだろうか。
『さ、アイツを中に閉じ込めるからアンタたちも手伝って』
ニュルンガムは図書館を水浸しにしたが、利用客が避難した受付や司書室は無事だ。おそらく自分達のいる空間だけに津波を引き起こしたのだろう。そして完璧に制御された水は桜井たちを攫わなかったが、蔵書は台無し。デュナミスが勘づいたように、ニュルンガムは本ではなく桜井たちを守ることを選んだからだ。
水を制御する彼女が禁書書庫へ移動すると、それまで空間を満たしていた大量の水は禁書書庫へ入れ替えられていく。バンビを禁書書庫へ押し戻すためとはいえ、ここまでするのは流石というべきか。
ようやく水中にいることを受け入れた桜井は、先に禁書書庫へ入ったニュルンガムを小走りで追いかける。
『……これでよかったのか? いくらホコリだらけだって言われても、本当に水洗いするやつは見たことないぞ』
対して、彼女は小さく笑った。
『その考え方は斬新ね。でもまぁ、確かに長い間手入れを怠っていたことを否定はできないわ。本が濡れたのは、蜘蛛の巣を洗い流すついでだったことにしておきましょっか』
禁書書庫。元より関係者以外の立ち入りが禁じられていて、一般人には閲覧する権限のない本が集められている場所だ。もちろん、DSRエージェントという身分を利用すれば立ち入ることはできるかもしれないが、まさか水没した状態だとは彼も想像だにしていなかった。
一般の利用客もいるスペースに比べて遊びがなく、等間隔で数メートルに及ぶ本棚が列をなしている。外と通じる窓が一切ないせいか、鬱屈な雰囲気だ。そんな場所に水が流し込まれ、陽の光が届かない深海に沈んだ図書館のようにも見えた。
全ての水が禁書書庫の中へ流されると、ニュルンガムは書庫内の広間に青い魔法陣を投げ込む。すると魔法陣は排水溝としての役割を持ち、大量の水を抜き出していく。同じように、魔法陣は書庫内の唯一の出入り口だった空間の裂け目にも被せられた。
『あいつが持ち出した魔導書を知ってるのか?』
水が抜かれている間、桜井はバンビが持っていた本についてを尋ねる。
『あの魔導書には、ユクシーと呼ばれる魔神が封印されているの。ユクシーは相手の胸の内に秘めたものを引き摺りだす力を持っていて、他者の心臓を奪う逸話が多く語られているわ。比喩でもなんでもなくね。奪った心臓を我が物にして、その力を得るの』
『心臓を奪う……』
それこそ比喩的なものにしか思えない。神話に限らずあらゆる伝聞は多かれ少なかれ、脚色されたり誇張されたりしたものが多い。だが、ニュルンガムはレミューリア神話においてその限りではないことを断った。その上で、先ほど桜井へ教えた知識を掘り起こす。
『さっき言った話、覚えてる? 超能力者は禁断の果実のカケラが宿って力を得た。そのカケラって、どこに宿ったと思う?』
彼女がなぜ、ここで一見すると関係のない話題を結びつけたのか。桜井はそれが分からないほどウブではない。
「まさか」
「えぇ、そのまさかよ」
同時に、禁書書庫を満たしていた水が抜かれ桜井たちは水中から顔を出す。問題なく呼吸できていたものの、自然と空気を大きく吸い込んだ。やはり水中よりも地上の方が体を無駄に気張らなくて済む。
そして、水中から出たのはバンビも同じだ。バンビが持っていた魔導書は水によって掻き乱され、既に使い物にはならない。敗れたページや浮き出たインクが、水浸しの床に打ち上げられている。
本に封印されていたスライムは今も蠢き、やや離れた位置にいたバンビの元へ這っていく。水にふやかされたせいか、徐々にその力は衰えていき一定の形を成すこともできていない。
バンビは両膝を折り、力なく両手を地面につけている。結局スライムの全てを吸収することは叶わず、彼は体に残された一部の力を奮い立たせるようにゆっくりと拳を握りこむ。
魔神の力を借りて、レイヴェスナ・クレッシェンドの心臓を奪う。彼には為さねばならない目的があるが、魔導書の残骸を踏みつける少女がいた。彼の行手を阻むかのように、彼女たちは仁王立ちする。
「言っとくけど、レイヴェスナ卿のもとへは行かせないわ。ここで食い止めるから」
水に濡れたバンビは顔をあげ、ニュルンガム、桜井の二人に視線を流す。最後に、彼らよりも後ろで見守っているデュナミスに視線を留める。その瞳には体に取り込んだスライムが混じり、暗い闇を湛えていた。
やがて、バンビはゆっくりと立ち上がる。その動きは弱く戦えるほどの力を感じさせない。だが、ニュルンガムはバンビが顔を上げるのを待たずに杖を構えた。
「気をつけて! ユクシーは相手の精神に入り込んでくる。アイツが取り込んだのは一部とはいえ惑わされ────」
声は最後まで続かなかった。
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