第4章第7節「夢から揺すり起こされて」

 獄楽都市クレイドルの旗艦ワルキューレ船内。魔導粒子ユレーナを動力源とした全長二〇〇〇メートルに及ぶ魔導母艦の内部は、軍の移動型の大型基地となっている。クレイドルの国土に依存せずに済むよう、この船自体が本拠地を兼ねているのだ。軍隊に属する兵や戦闘機を含めたあらゆる兵器は船内の工場で開発され、そのまま収容される。たとえ戦争状態になったとしても船内工場では絶えず兵器を増産し、半永久的な軍事行為を展開することができた。

 そんな船内工場と離れた別区画、捕虜を収容するための監房にて彼は目を覚ましていた。

「あーあ、万事休すか」

 無機質な金属の机と、小綺麗な椅子。それに腰掛けもたれかかっていたのは桜井結都さくらいゆうとだ。彼は時計台でバンビと戦っていたのだが、突如として現れたワルキューレの爆撃に遭い、気づいた時には此処にいた。机と椅子以外に何もない空間に、閉じ込められていたのだ。

 壁の一辺は半透明のバリアが張られていて、あらゆる物質をシャットアウトし外には出られない。そして外に見えるのは、向かいにも蜂の巣の如くびっしりと詰まった無数の独房のみ。

 前向きに捉えるなら、ファンタジアの森の時とは違って手錠はかけられていないし、椅子と机もある。

 ひとまず命拾いはしたようだ。とはいえ、バンビはどうなったのだろうか。アルカディアはどうなっているのだろうか。どれくらい時間が経っているのだろうか。

 ふと肘を曲げて腕時計を見ると、時刻は午前十一時頃を指している。おそらく三十分も経っていないはず。しかし遠く離れたDSR本部と連絡を取ることはできない。腕時計に内蔵されたホログラフィックディスプレイを投影して操作しても、オフラインと表示されている。状況ははっきり言って良くなかった。

 その時、状況を進展させることが起きた。監房の外から聞こえてくる物音、それが事態を好転させるのか悪化させるのかはともかく。

「目が覚めたかね」

 監房に響く男の声には聞き覚えがあった。見上げると、監房のバリアの外には貴族を彷彿とさせる背格好の男が屹立していた。

「お前は、月城財閥の宝物庫に来た……クレイドルの将軍か?」

「如何にも。我輩の名はクリストフ・ラベルツキン。レリーフから仄聞したところによれば、貴様は桜井というそうだな」

「…………。ってことは、ここはあの船の中か」

 クリストフはどうやら桜井だけでなくレリーフ・バンビも捕まえているらしい。そして気を失う直前にバンビが割った空から現れた巨大な母艦。そこから察するにあの船はクレイドルの旗艦であり、自分はそこにいるのだろう。

「理解が早いな」

 思いの外すんなりと状況を飲み込んでみせた桜井は、冷静にクリストフへ訊ねる。

「レリーフ・バンビをどうするつもりだ? まさか俺やアルカディアの味方ってわけじゃないんだろ。バンビを捕らえて何を企んでる?」

 記憶が正しければ、クレイドルの旗艦ワルキューレは時計台を砲撃した。桜井を狙ってかバンビを狙ってか。いずれにせよ、彼らが時計台を砲撃し桜井とバンビを回収したということは、何か目的があるはずだ。

 と、クリストフはわずかに顔をしかめる。椅子に座る桜井は確信を得ているようだが、彼の言葉には誤解があった。

「どうやら思い違えているようだな。我輩もあれの消息を掴めていない。我輩が捕らえ貴様をここへ連れてきたのは、魔法調律連盟の盟主だ」

「デュナミスがか? いったいどうして」

 自らが置かれている状況を差し置き、驚いた素振りを見せる桜井。なぜ彼女がクレイドルに囚われることになったのか。なぜ彼女が桜井をクレイドルへ引き渡したのか。

 湧き起こる疑念に訝しむ桜井に構わず、クリストフはデュナミスから伝え聞いたことの真偽を問う。

「あれが言うには、貴様はレリーフの元凶らしい。それが真実ならば、我輩は貴様を粛清せねばならん」

 あろうことか、デュナミスはレリーフが桜井のドッペルゲンガーであるということを明かしてしまったらしい。女性である彼女にその事実の真偽を確かめる機会には恵まれなかったが、まさかこうして間接的に関係を認められるとは思いもしていなかった桜井。

 混乱する思考を整理しようと椅子から立ち上がる。彼はクレイドルの将軍の前へ立ち、なぜ自分やデュナミスを捕らえ、バンビを攻撃したのかを探った。

「まさか、レリーフを倒すことが目的なのか?」

 粛清という言葉を言い換えれば、彼らはレリーフを滅ぼそうとしているらしい。であるなら、レリーフの元凶たり得る桜井自身──あるいは内に宿るユレーラも倒すべき相手となる。

 だが、桜井には気がかりな点があった。

「クレイドルは世界を征服するために、無差別に戦争を仕掛けたんじゃなかったか? 五年前、お前たちはラストリゾートにも攻撃してきた。あれもレリーフを倒すためだったとでも言うのか?」

 クリストフが将軍として率いる獄楽都市クレイドルは、魔法による世界征服を目論み世界中でテロを起こしたことで知られる。過去にはラストリゾートもその被害に遭い、おそらく今はアルカディアが戦場になっている可能性がある。

 もしも彼らのそうした行為が、レリーフのように世界を脅かす魔を排除するためだったとしたら。

「戦は手段に過ぎん」

 遠回しに桜井の言葉を肯定しつつ、クリストフは足を前へ踏み出した。バリアが張られ通過できないはずが、将軍は何の滞りもなく通過し桜井がいる独房へ入る。そうして、彼の前を通り過ぎながら重く語りかけた。

「この世界は魔に脅かされている。我々が築き上げてきた文明は自然へと還され、尊ぶべき命は有無を言わさず淘汰される。我輩は魔に囚われた哀れな者たちを解放すべく、レリーフのような魔を粛清し征服せねばならんのだ」

 魔胞侵食まほうしんしょくの脅威。魔法生命体レリーフの脅威。

 それらは桜井が所属するDSR、延いてはラストリゾートが抱える大きな問題。さらには遠く離れたアルカディアもまた、同じ問題に直面している。もっと言うなら、それはクレイドルとて例外ではない。ただ彼らは武力行使によって魔を征服しようとしているのだろう。

 桜井はクリストフが志を同じくする同胞であることを知り、将軍の背中に諭しかけた。

「レリーフは俺たちにとって共通の敵だ。もし本当に奴らを倒したいだけなら、戦争なんてする必要ない。きっと協力できるはずだ」

 彼らは武力行使をする過程で、世界を恐怖に陥れた。クレイドルがしてきたことは許されることではないかもしれないが、桜井の考えは違う。彼はクリストフを許すことを躊躇わない。だから協力を申し出た。

 しかし、クリストフは桜井に振り返ってすぐに握手を交わしたりはしない。

「ならば信用に足る真実を話せ」

 少なくとも、将軍は桜井の言葉を拒絶したりはせずに更なる告白を求めた。人に限らず相互する関係性は利害のバランスによって成り立つもの。将軍の信用を勝ち取るためには、意味と価値を示す必要がある。

 無論、桜井にとって将軍の信用を勝ち取ることには大きな意味がある。この状況を打開するだけでなく、レリーフを追う将軍から情報を得られるチャンスでもあるのだ。付け加えれば、将軍との交渉に失敗すればどのみちレリーフとして始末されるのは目に見えている。

 もはや桜井が渋る理由もない。彼は意を決して、現状で把握している真実を告げた。

「……俺がレリーフの元凶だっていうのは本当だ。何せ、あいつらの一部は俺のドッペルゲンガーだった。それも一人じゃない」

 最初に言及したのはユレーラのこと。桜井と似た容姿のレリーフは自身のドッペルゲンガーであり、今では一つになっている。そしてアルカディアでは新たに少年の姿をしたバンビ、少女と女性の姿をしたレリーフ──ニュルンガムとデュナミスに出会った。彼らと対話した中で、少なくともユレーラとバンビが桜井の分身であることに間違いはない。

「なぜだ。なぜ超能力者でも魔法生命体でもない貴様が、レリーフを生み出せる?」

 と、クリストフが問い詰めたのは根本的な部分だ。桜井はレリーフが分身であることを認めたが、その根拠については一切触れていない。それは意図して避けたというよりも、彼自身にも分かっていないこと。

 都合の悪い質問に桜井は無駄な講釈を垂れたりはせず、素直に首を振る。

「分からない。あるレリーフは魔法で分裂したと言ってた」

「魔法で分裂しただと?」

 世界魔法史博物館においてユレーラが語ったところによれば、桜井は何らかの奇跡によって分裂したという。

「あぁ。どうして分裂したかまでは、俺には分からない。……ただ手元にあったのは、魔剣ライフダストと魔剣デスペナルティ、生命と死を司る二振りの魔剣だ」

 奇妙にも、桜井とユレーラはそれぞれ生きた可能性と死んだ可能性を持つとも話していた。

「魔剣デスペナルティはユレーラっていうレリーフが持ってた。そいつは俺と出会うまでは魔界に囚われてた、俺のドッペルゲンガーだ」

 魔界に囚われていたというユレーラ。神話が現実であることを知った今の桜井なら、魔剣と同じく魔界という場所についても確信を持つことができた。

 彼の確信を持った言葉を聞き入れるクリストフは、魔剣や魔界という単語を聞いても眉ひとつ動かさない。将軍はそれらの存在をとうに把握していたのだろう。

「魔剣ライフダストは────」

 そして、着実に真実を告げる桜井の声がある男の名を紡ぐ時、

「────浅垣から……俺の親友からもらったものだ」

 クリストフは確信を得た。顔に刻み込まれた無数の傷跡やシワに変化はないが、将軍は桜井友都という存在の意味に気づく。

「……やはりの仕業か。まさか禁忌を犯すとは」

 超能力者。脈絡のないように聞こえる将軍の言葉は、いったい誰のことを指しているのか。桜井はすぐにそれを理解できずに言葉を詰まらせた。考えれば考えるほど、超能力者が指す人物は一人しかいないからだ。

「なに? 超能力者だって? 誰かと間違えてないか?」

 動揺を隠せずに乾いた笑いをこぼす桜井に、クリストフは冷たい眼差しを向ける。

彼奴あやつが超能力者だということも知らないのか? なんと愚かな」

 そんなことあり得ない。

 そんなことあり得るわけがない。

 馬鹿げた考えに心を強く揺すられ、桜井は俯いて目を泳がせた。

「五年前、我輩はラストリゾートへ降り立ち、超能力者であるあの男を粛清しようとした。だが我輩は欺かれ、仕損じたのだ。その代償として目を失った。忘れるわけもない」

 これまでの落ち着き払った口ぶりとは打って変わり、やるせない感情を帯びた言葉を紡ぐ将軍。それは確かに桜井の耳にも届いていて、彼の濁った認識を明瞭に澄み渡らせる。さざなみは心のざわめきとなったが、やがて緩やかな響きは静まっていく。

 そして最後に残ったのは、

「あいつが、超能力者……?」

 浅垣晴人が超能力者であるという、真実だった。

『五年前に起きたことのせいで、私たちは分かたれてしまった』

 次いで胸に反響した言葉は、将軍の言葉と何の矛盾もないどころか朧げな事実を繋ごうとした。


 五年前に起きた獄楽都市クレイドルによるラストリゾート襲撃。


 何らかの魔法──奇跡によって生と死に分裂したという桜井とユレーラ。


 浅垣晴人が超能力者だったということ。


 いつしか自分の心臓の音だけが響くようになり、彼の胸にはトクトクと脈打つ感覚があった。そしてそれを覆うように大きな手が重ねられていて、伝わる温かさは鼓動を落ち着かせる。その手は自分のものではない。

 落ちていく心を拾ってくれた大きな手。それが誰だったか。桜井は真っ白になった意識の中で、親友の顔を見ていた。

「やはり皇帝陛下が仰る通りだ」

 懐かしい白昼夢に陥っていた桜井を現実へ引き戻したのは、クリストフの深刻な声だった。

「なに?」

「超能力者を野放しにしていれば、彼らはその力を利用し過ちを犯す。あの男──浅垣晴人は、超能力者としての力を使い貴様を分裂させ、貴様のような魔法生命体を生んだのだ。よもや、危惧していたことが起きるとは」

 将軍は世界で何が起きているのかを理解し、居ても立っても居られない様子で足早に独房から出ていく。

「待て、どうするつもりだ?」

 バリアは味方を識別する機能があるらしく、将軍の後に続いて出ようとした桜井の行く手を阻んだ。バリアに張り付くことしかできない桜井に、将軍は一度足を止めて宣言する。背負うべき使命を確かめるかのように。

「世界を蝕む魔を粛清する。それが我輩の使命だ」

 結局、将軍は監房から去ってしまった。残された桜井は一旦バリアから離れ、その場に立ち尽くす。受け入れ難い真実は横に置き、今すべきことを改めて認識する。

 真実を知ったクリストフがどんな行動に出るか、真実を見て見ぬフリをした桜井に予測することはできない。なんにせよ、ワルキューレの監房からなんとしてでも抜け出す必要があるだろう。

 幸か不幸か、彼は一人ではない。

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