第1章第4節「立てかけられた天への梯子」
「飛空船の乗り心地はどうだったかな?」
「観光だったらもう少し乗っていたかったですね。普段からDSRの空飛ぶ車に乗ってはいるけど、あれとは全然違う」
「それはよかった。この世界の海に果てがあると分かってからずっと、アルカディアは船を海じゃなく空に浮かべようとしてきたんだよ。単なる飛行機はともかく、魔法産業革命がなければあそこまでのものは実現できなかったはずだ」
桜井は観光ガイドを求めていたわけでも、観光をしにきたわけでもない。しかしこうして迎え入れられるというのは、気持ちのいいものだった。最初の出迎え役だった
二人はフォルテシモ大聖堂の景色を楽しみながら歩を進める。噴水や小さな滝がそこかしこにあるせいか涼しげな雰囲気で、水たまりでは見たこともない鳥が水浴びしていた。石造りの壁や柱には葉をつけた蔦が伸び、やはり見たこともないトカゲが登っている。アルカディアの神秘的な景観は次から次へと桜井の目を奪っていくが、彼にはそれよりも身近な関心ごとがあった。
「どうして
アルカディアの女王が待つ宮殿へ向かう道すがら、思い出したように問いかける桜井。聞かれたルキナは快く答えた。
「まぁそんなところだね。彼には大きな借りがある。アルカディアとラストリゾートが結んだライミング条約も、彼なしでは実現できなかっただろう」
彼の口から語られた条約について、桜井は耳にしたことがある。
「ライミング条約って、確か魔法産業革命後初めて締結されたラストリゾートとアルカディア間の和平条約のことですよね」
「そう。二年前のあの日、両国の会談を狙って
桜井がDSRへ所属するよりも先にエージェントとして活動していた新垣。彼は名目上では桜井の上司ということになっているが、それは形だけのものではない。桜井が最近になって立てた功績など霞んでしまう武勇伝を持っている。その内の一つで最も有名なのが、獄楽都市クレイドルの征服軍の心臓たるグリゼルダ・レオグローヴを倒したというもの。即ち、ライミング条約の締結だった。新垣が実際に評議会に立って直談判したというわけではないにしろ、立役者になったのは紛れもない事実だ。
この話を知っていたからこそ、桜井は自分ではなく新垣が指名されるべきだとも思っていた。しかしアルカディアの女王は新垣ではなくまだ無名の桜井を指名したという。不思議にも、確かにそう伝えらていた。
「その彼からの推薦が君だ。君には期待しているよ」
「え? 新垣が俺のことを推薦したんですか?」
純粋に驚いている桜井を見て、ルキナもまた驚いて見つめ返す。
「なんだ、聞いてなかったのかい? もともとレイヴェスナ卿は彼を招聘するつもりだったんだけど、代わりに君を推薦したんだ。レイヴェスナ卿も、彼の言うことならと従われたんだ」
言ってしまえば、新垣晴人は嘘をついていた。よく考えてみれば条約締結の立役者である新垣ではなく、桜井が指名されるなんておかしな話だ。それが虫のいい話に聞こえたのは、新垣が推薦したからだった。しかしなぜそうまでして彼は桜井をアルカディアへ送ったのだろうか。疑問は尽きないが、桜井は一旦親友の小さな裏切りに目を瞑る。
経緯はどうあれアルカディアに来てしまった以上は腹を括るしかない。桜井はひとまず自らに課せられた使命について考え、時折名前が挙がる人物について聞いてみた。
「その、アルカディアの女王陛下ってどういうお方なんです?」
鶯姫とはできなかった雑談も満足に終え、いざ本題へ入る。そのタイミングになると、二人は既にフォルテシモ宮殿の門前までやってきていた。
「それは会えば分かるさ」
どこか誇らしげに見えるルキナ。自らの国のトップのことで胸を張れるということは、それだけ敬われていることの証でもある。アルカディアのことをよく知らない桜井がいきなり女王と会って、何を話せばいいのか。魔法生命体レリーフの件で招聘されている前提がある以上、それについて話せばいいし聞きたいこともある。だが正直なところ不安な想いの方が勝っていた。たった一人で送り出されたのだから無理もない。
アルカディアは余所者の自分を受け入れていくれるのか。そんな不安をかき消すかの如く、ルキナに先導された桜井は目的地である宮殿へ足を踏み入れた。
「ここはフォルテシモ宮殿。アルカディアの中心となる聖地であり、君たちラストリゾートの人間に言わせれば『シャンデリア』だ」
二人が歩いてきた街道はフォルテシモ大聖堂であり、その先にあるのがフォルテシモ宮殿。門の大きさだけで五メートル近くはある通り、非常に巨大な建築物である。飛空船に乗っていた時もその巨大さは際立っていたが、中に入れば全く異なった印象を受けた。というのも、建物の内部という感覚がなかったのだ。極めて豪奢なステンドグラスを通して射し込む光に照らされる宮殿内は、部屋というよりも緑豊かな庭が広がっている。見上げれば天井こそあれど、見渡せば植物が生い茂り人々が行き交う。退廃的な雰囲気にはそぐわない活気さが見て取れた。
ルキナの案内に従い、桜井は宮殿の中を歩いていく。道の脇には一本の木が平然と植えられており、枝の上にはツリーハウスと思しきものが設けられている。目移りしてしまう光景だが、それを堪能する暇はない。ルキナは宮殿の大広間から階段を昇って通路を進んで奥へ向かう。
「レイヴェスナ・クレッシェンド卿はこのアルカディアの女王であり、世界に九人しかいない超能力者にあらせられる。そして、世界で初めて超能力と魔法を融合させた偉大なお方だ」
曰く、アルカディアの女王は超能力者であるらしい。それには驚きだが、桜井の身の回りには超能力者の女性がいた。偶然だとはいえ、超能力者だからという先入観を持つことはない。無論気を引き締めはするといっても、まずそれ以前にアルカディアの女王である。
宮殿の奥へ入るにつれて桜井の緊張も徐々に強まり、ついには大理石と赤いカーペットが織りなす荘厳な通路へとやってきた。壁には多数の額縁に入れられた絵画がかけられ、中には肖像画もある。ネームプレートに記される名前はアルカディア先代国王アルカス六世や宮廷魔導師ユリウス・フリゲートなど錚々たる威厳を放つ。通路の奥にはこれまで見たものに引けをとらない威圧感を放つ扉が構え、ルキナはそれを見据えると立ち止まった。
「実際、卿は畏れ多く貴いお方だ。でも何度も言うようにあまり畏まらなくていい。君のことはきっと気にいるはずさ。ここまで話してきた僕が保証できる」
これが謁見前の最後の瞬間。本能的にそれを察知した桜井は、生唾を飲み込んで頷く。
「……あなたに言われたなら安心だ」
こうした時に素直に背中を押されると引くに引けず、困りながらも強気に呟いた。いつもの空元気や冗談の類であることは、知り合ったばかりのルキナには伝わっていないだろう。自信たっぷりだと解釈したルキナは微笑み、
「それじゃ、この先へ進んでくれ。扉を二枚超えた先で、レイヴェスナ卿がお待ちだ」
言い終わると肩を優しく叩いてから数歩下がる。
ここからは本当に一人だ。今にして思えば、無愛想だった
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