Last Resort Ⅲ:Validate Eschatology

冠羽根

第1章「立てかけられた天への梯子」

第1章第1節「立てかけられた天への梯子」

「ミスター桜井結都、彼は暗殺が狙われるほどのお方なんですか?」

 大使館の受付カウンターにもたれかかるようにして立っていたニキータ・ジゼル・ド・ウォルザークは、隣で腕を組んでいるもう一人の女性へそう尋ねた。二人はお互いに共通の仕事に関わっている間柄で、その距離は近いわけでも遠いわけでもない。物心ついてから気さくな性格のまま育ったニキータはかなりフレンドリーに微笑みかけているが、対する女性は無愛想な表情で答えた。

「知らない」

 一度目を合わせてすぐに目を逸らし、話を終えるとすぐに正面の人通りのないエントランスを見つめる。

「私が任命されたのはあくまで桜井結都をラストリゾート大使館で出迎えて、女王陛下へ引き渡すこと」

 ぶっきらぼうな彼女の名前は鶯姫星蘭うぐいすひめせいらん。超常現象対策機関DSRに所属するエージェントであり、ラストリゾートではなく魔法郷アルカディアに駐在している。鶯姫は桜井結都を魔法郷アルカディアへ迎え入れるために、このラストリゾート大使館へ訪れていた。

 大使館はラストリゾートとアルカディアの親交を示す為の場所。十年前に発生した『フェイズシフト』によって世界に魔法がもたらされると同時に、世界は大きく分断され孤立した。魔法産業革命によって飛躍的な進化を遂げた人類だが、代償に支払ったものはあまりに大きく取り返しがつかない。そんな革命と混迷の時代において、両国の結びつきは得難く贅沢なものだった。

 鶯姫とニキータがいるエントランスは人通りこそ少ないが、ラストリゾートから贈られた大きな桜の木が植えられている。人工的に植えられたものだとしても自然のものと見た目遜色はなく、一年中咲いていることもあって美しい観光名所としても機能していた。今は見ての通り人は少ないとはいえ、そのほとんどが桜の木を目当てに大使館へ足を運んでいるのも事実。そもそも気軽に国家を渡ることができない時勢において外国への関心も薄く、こうして人の気配があるというだけ恵まれているというものだろう。

 風で運ばれてきた桜の花びらが鶯姫の肩に乗ると、彼女は表情一つ変えずに手で払った。

「でもまぁ、桜井っていうエージェントの噂はこっちにいても聞いたことがある」

 それは桜の花びらのように、風に乗って伝えられた話。それもラストリゾートから遥々国を超え、アルカディアで活動する彼女のもとまで。

「数週間前にラストリゾートでは有名なテロリストの一人の金盞花きんせんかを逮捕したみたい。それから博物館に出現した魔法生命体レリーフを倒したなんて噂もあった。最近だとケルベロス家の長女を逮捕したとか」

 DSRの本部はラストリゾートにあることが示す通り、鶯姫が所属するのはDSRの支部である。本部と連携を取っているかといえばそうではなく、それぞれが活動拠点に馴染むようにしてそれぞれの任務に当たっている。だからか、鶯姫からしてもラストリゾートのDSRについては知らないことの方が多い。

 確かめられない以上は噂の域を出ないが、それを聞いたニキータは目を丸くして言った。

「正直なところ、ラストリゾートの情勢はよく知りませんが……もしそれらの噂話が真実なら、レイヴェスナ卿が招聘なさるのも納得です。私たちアルカディア・タクトが警備に回されるわけですね」

 ニキータが着こなしている制服の胸元には音符をモチーフにしたバッジがついている。これは彼女の身分が『アルカディア・タクト』通称『アルカディア楽団』にあることを示しており、言わばアルカディアにおける正規の政府機関に所属することを意味する。『アルカディア楽団』はDSRとは中立的な立場にあるが、法に基づいた権限の上では当然ながら敵わない相手。今回は桜井結都という客人に免じて協力しているに過ぎず、それだけの特別扱いをされているというわけだ。

 大使館を見回せばニキータの他にも警備員と思しき人間が複数見受けられ、大使館の外にまで警戒網を張り巡らせている。楽団の中でもニキータは若くして『マエストロ』と呼ばれる主任クラスにいるらしく、彼女が現場の指揮を執る様子だ。万が一、ラストリゾートからの客人を狙ったテロ行為が起きれば、いつでも食い止めることができるだろう。ニキータは手足を覆う鎧を身につけ腰には二本のダガーナイフをしまう一方で、鶯姫の方は体を締め付ける金具とベルト以外に装備らしいものはない。これだけ身軽でいられるのは魔法技術による恩恵に他ならず、実際は武装を隠している。

 そうした万全の受け入れ態勢を整えた大使館で、招かれた客人を待つ二人。彼女たちは同じくアルカディア側の人間でありながら、今回ばかりはラストリゾートとアルカディアという二つをその肩に背負っている。

「…………」

 実のところ、二人は既に十分以上は立ち続けていた。彼女たちの会話はぎこちなく途切れ途切れ。その訳は決して長い時間が話のタネを絞り尽くしてしまったせいではない。何せ、二人は初対面。明るいニキータはともかく鶯姫は人付き合いが苦手な部類だった。だがニキータはお互いの妙に噛み合わない空気感と沈黙に嫌な顔をすることなく、数秒後にはまた鶯姫に話しかけた。

「もしかして、ミスター桜井は超能力者だったりするのでしょうか? レリーフを倒すどころか、あのケルベロス家の末裔まで逮捕するなんて只者じゃないですし……」

 突飛なことではあるにせよ、あり得ない話でもない。もちろん、彼女は憶測で語っているし鶯姫も真実は知らない。それでも超能力者という言葉を聞いた鶯姫はわずかに眉を動かした。

「超能力者のお二人が手を組むというなら、これほど心強いことはありません」

 構わず続けたニキータに対し、鶯姫は間を置いてから肩を竦めた。

「どうかな。いくらアルカディアにいる他の超能力者が非協力的だからと言って、ラストリゾートの超能力者にまで声をかけるもの?」

「超能力者は世界に九人しかいませんし、五年前の魔法戦争で一人は戦死したと聞きます。フェイズシフトから十年経った今だからこそ、力を一つに団結するべきなのかもしれません」

 魔法産業革命が起きるよりも前から存在していたという九人の超能力者たち。彼らの力を解析したり死体を解剖したりすることで、魔法産業革命が引き起こされた。今では誰もが魔法を扱えるが、やはり超能力者たちはその稀少性と偉業から尊敬される存在だ。DSRエージェントの鶯姫も、アルカディア楽団のニキータも超能力者への見解は同じ。

 雑談がいよいよおとぎ話の領域へ片足を踏み出そうとした時、ニキータの携帯端末が鳴動する。彼女は「失礼」と断ってから手早く端末を確認した。おそらくアルカディア楽団の連絡手段であろうそれを耳に当て、一言二言を交わす。短いやり取りで事態を把握したのか、通信を終えた彼女は鶯姫に向き直った。

「ごめんなさい、私はここで失礼します」

 どうやら急用ができたらしいニキータは手短に話す。雑談していた時よりもいくらか整然とした口調で。

「飛空船は既に手配しておきましたから、ミスター桜井が訪れたらあちらの発着場へ案内してください。あとは宮殿の者が引き継ぐはずです」

 大使館にはアルカディアの公共交通機関である飛空船の発着場が存在する。ニキータが指示した通り、アルカディアの女王がいるフォルテシモ宮殿には飛空船で向かう手筈となっていた。

 最後の業務的な会話を終え、ニキータはすぐに背中を向けようとする。彼女が一体何を急いでいるのか、鶯姫は詮索するつもりはない。当然、ある程度の察しがついている。だが彼女を呼び止める声は既に口から飛び出していた。

「ねぇ……ニキータ」

 呼び止められたニキータは今一度肩を翻すと、表情をほぐしてこう返した。

「ニッキーと呼んでください。私のことはみんなそう呼びます。フルネームは長いので」

 これまでの雑談を含んだ二人のやり取りは、お世辞にも弾んでいたとは言い難い。もとより、鶯姫は他人に対して無関心で必要以上に馴れ合おうとしない。しかしながら、例え他愛のないやり取りだったとしても退屈するような時間でもなかった。少なくとも、鶯姫にとっては。

「付き合ってくれてありがとう。わざわざ」

 鶯姫とニッキーは仕事だけの関係だ。もっと言えば、二人は雑談をする必要もなくただ桜井の到着を待つだけでよかった。その上で、ニッキーは鶯姫に話しかけた。それは事実として仕事には含まれていない。

 鶯姫自身、そこまで気を回して呼び止めたわけでもなかった。ただ、何も言わずに別れるよりきちんと挨拶をしよう。そう思わせてくれる人柄が、ニッキーにはあった。

 当のニッキーは受け取った言葉を深読みせず素直に受け取ると、柔らかい笑みを浮かべて、

「お安い御用です。今度はゆっくりお茶でもしながらおしゃべりできるといいですね」

 呼び止めておきながら言葉を用意していなかった鶯姫は黙って頷く。そこに笑みといった類の表情は見えずとも、ニッキーには確かに伝わっている。

「幸運を」

 今度こそ、彼女はその場を去っていった。

 鶯姫は大使館で引き続き桜井結都の到着を待たなければならない。大使館には受付係や警備員、一般の通行人など少ないにしろ人通りがある。偶に通りがかかる足音に、小さな話し声、混じってくる小鳥の囀りや、風が桜の木々を揺らす音。多すぎる雑踏とは遠い、心地良さすら感じる雑音は時間の経過を緩やかに早めていた。

 ボーッとするのにも飽きたのか、ポケットから煙草を取り出して一服する鶯姫。そうしていると、大使館の入退場口を兼ねたエントランスの奥から人影が現れた。


 超常現象対策機関DSRのエージェント。その身分を証明するIDカードを首に提げ、彼は魔法郷アルカディアに降り立った。

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