第1章第8節「立てかけられた天への梯子」

 コンツェルト評議会を通して、桜井は正式にアルカディアでの活動を認められた。評議会の進行は順調で何の問題もなかったとは言えないが、彼にとって収穫のあるものになった。レミューリア神話というこれまで知ることのなかった歴史を知り、愛用する魔剣の起源を知ったのだ。あとは本来の主目的である魔法生命体レリーフを見つけ出し、対処することが彼に課せられた使命である。

 彼はすぐにでも行動に移せる状態になっていたが、レイヴェスナは彼を貴賓室へ向かわせた。おそらくシグナス・フリゲートと行動するに当たって、打ち合わせがあるのだろう。

 今後の動きを想像しながら貴賓室へ入った桜井だったが、そこには既に先客がいた。

「くそっ、ちょっと盛りすぎたかな」

 貴賓室に入るなり悪態をつく声が飛び込んでくる。彼女は桜井が入ってきたのに気づいて振り返り、少しの間固まった。

「……あー失礼? 私はセレサ、エンジェルラダーの。よろしくね」

 セレサと名乗った少女は手を振って挨拶する。茶髪をベースに毛先をピンクと紫に染めた鮮やかな色合いに十字架型に割れた瞳孔など特徴的な容姿をしているが、それ以上に目を引いたのはもう片方の手に持ったもの。なんと、十段にも重ねた規格外のアイスクリームを持っているのだ。

「あぁよろしく……」

 桜井のような人間が入るには場違いな空気感に戸惑いつつ、彼はとりあえず扉を閉める。評議会での緊張のせいか暑く感じ、スーツの上着を脱ぐ。そうこうしている間にも次にどうやって場をもたせるかのを必死に考えた。相手は十段重ねものアイスを頬張っている。生半可なことでは満足させられないだろう。そして彼が考え抜いた答えは、

「でエンジェルラダーっていうのは」

 自己紹介をしたセレサ・ユヴェリナスは聞きなれない単語を口にしていた。アルカディアでは何もかものものが見慣れないし聞き慣れない。かえって慣れて流してしまいそうになったが、彼はあえてそれを聞き返した。

「あれ、シグナスから聞いてない?」

 その名前は記憶に新しい。先ほどの評議会に乱入してきたあの少女のことだが、セレサは彼女と繋がっているのだろうか。とはいえ彼女とはまだ一言も話していない。桜井は「いいや」と素直に首を振る。

 だがセレサは特に説明する気はないらしく、アイスを舐め始めた。桜井との会話は二の次らしい。あれだけ規格外ならば早く食べないと溶けてしまいそうなもの。桜井にもそれくらいは分かっているが。

 すると、セレサが座るソファとは別のソファからも声が聞こえた。

「やっほー久しぶりじゃーん」

 出入り口に立ったままの桜井からはちょうど背もたれで死角になり、誰かが寝転がっているのに気づかなかったのだ。そこからひょいっと顔を出したのは、白と黒が入り混じった髪色の、これまた特徴的な十字架型の瞳孔を持った少女だった。

「ありゃ、あたしのこと覚えてないの? あの日のことは昨日の夜のように思い出せるのにイケズだねぇ」

 彼女はあたかも桜井のことを知っている素振りを見せるが、見たこともない人物だ。おそらく人違いか、彼女のイタズラっぽい笑みからしてからかっているのだろう。

「ヴェロニカ、彼困ってますよ」

 アイスを食べていたセレサは、イタズラ好きな少女ヴェロニカの名を呼ぶ。咎められたヴェロニカは反省したのかしていないのか、ウインクを残してソファに寝っ転がった。

 桜井はおそるおそるといった調子で、セレサとヴェロニカの顔が見える位置まで進む。二人が貴賓室にいるということは、レイヴェスナが先に呼んでおいたのだろうか。あるいは、評議会で見たあの少女と関係しているのだろうか。

 答えを知るためにも、桜井は二人を交互に見て尋ねる。

「君たちは、あのシグナスって子の仲間?」

 思いの外、二人は間髪入れずに頷いた。

「そうですよ」

「大正解!」

 ということは、桜井はこれからこの二人とも行動することになるのだ。比較的大人しめに見えるセレサもイタズラ好きなヴェロニカも、どちらも独特で一筋縄ではいかないタイプ。DSRにおいて桜井の上司にあたるコレット・エンドラーズも最初は色々な意味でとっつきづらかったが、もう慣れきった今なら大丈夫だろう。

 楽観的に考えている矢先、さっそく問題が起きた。

「エンジェルラダーっていうのはこのあたしヴェロニカちゃんとセレサ、石頭のシグナスの三人のことだよ。ね、セレサ?」

 桜井は目を離していたわけではない。ありのままに言えば、瞬きした時にはヴェロニカがセレサのいるソファに移り、彼女と思いっきり肩を組んだ。十段重ねのアイスを持ったセレサに、勢いよく。

「あっ」

 当然、重ねられたアイスは無惨に崩れ去り高級な素材をふんだんに使ったカーペットに落ちる。十段に重なっていたアイスは、三段にまで減ってしまった。いや、三段でも十分多いと桜井は思うが。

「ちょっとヴェロニカ、これ何回目?」

 がっくりと落ち込んでしまったセレサだが、今回が初めてのことでないらしい。まさかこれもヴェロニカのイタズラなのだろうか。

 ヴェロニカの悪質なイタズラはさておき、桜井は思わず首を傾げていた。アイスが落ちたことに気を取られるが、ヴェロニカはいつセレサのソファに移ったのか。つい先ほどまで別のソファに寝そべっていたのに関わらず、彼女は今もセレサと肩を組んでいる。瞬間移動でもしない限り、そんなことできないはず。

 考えても全く分からないが、彼が考えるのをやめたのは諦めたからではない。貴賓室の扉が開かれたからだ。

「おかえり」

「おかえりなさーい」

 セレサとヴェロニカが適当に出迎えの言葉をかけた少女。桜井が評議会でも見た彼女の名は、シグナス・フリゲート。身に纏うメルヘンチックなワンピースドレスも、この場ではよく馴染んで見えた。

「評議会の連中の戯言は聞くに堪えなかっただろう。ついてこい。少しは落ち着ける場所に案内してやる」

 シグナスは桜井はおろかセレサとヴェロニカさえ目もくれず、貴賓室を突っ切っていく。彼女はその場にいる全員を無視したが、残していった言葉は明らかに評議会に出席していた人間に対するもの。つまり、桜井への言葉。

 セレサは立ち上がり、残り少ないアイスを舐めながらシグナスの後に続いていく。ソファに残されたヴェロニカは桜井に指で合図を送っている。後についていけ、と。

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