第1章第7節「立てかけられた天への梯子」

「正直なところ、具体的な方法を口で説明するのは少し難しいです。でもそれを実現する手段なら、今すぐにお見せできます」

 そうして、桜井が最初に選んだもの。

 彼はおもむろに手をあげて、指を鳴らす。まるで手品をする合図のように見えるその動作で、彼の指からカラフルな火花が飛び散る。

 そのままそれを掴むようにして手を握りこむと、彼が愛用する剣が召喚された。

 鍔から柄にかけての意匠は孔雀の羽を彷彿とさせ、いくつかの飾り羽まで象られている。孔雀の羽模様における目玉の部分が、ちょうど柄の部分にあたる構造だ。が、目を引くべきは外見の特徴ではない。

「魔剣ライフダストですって……?」

「こりゃ驚いた」

「ちょ、ちょっとアンタ! どこでそれを手に入れたのよ!?」

 ド・ウォルザーク辺境伯夫人も、アダマスフェルトも、ニュルンガムも、その場にいる全員が奇跡でも目にしたような反応を見せた。

「よもやレミューリア神話の遺物をお前さんのような若造が持っていようとは……」

 魔剣ライフダストを見たラザリアス公爵は、再びある単語を口にした。

 レミューリア。なぜ彼らは度々それを話題に持ち込むのだろうか。今議論されるべきはレリーフについてであり、神話のことではない。にも関わらず、彼らは神話を口にする。

 そう、神話を。

「あの……恐縮なんですけど、レミューリア神話っていうのはあののことを言ってます?」

 純粋に疑問に思った桜井は、本当に何気なくそう質問した。彼らが当たり前のように扱っている神話は、ラストリゾートでは単なるおとぎ話だ。それを真面目な顔をして言うのだから、桜井としては不思議で仕方がなかった。

 しかし、彼の疑念には常識外れの答えが突きつけられた。

「レミューリア神話はおとぎ話などではない。だ」

 答えたのは魔剣ライフダストを見るまでは黙り込んでいた、辻褄戦つじつまそよぎという男。

「現実……神話が現実……?」

 答えを得たはずの桜井だったが、納得するどころか理解し難いといった様子。だが考えてみれば、魔剣ライフダストが生命を司るという伝説について、彼は信じつつある。生と死を司る魔剣。その性質を利用したからこそ、彼は自身の分身を倒した。その性質を利用したからこそ、月城時成つきしろときなりの弟の亡霊は息を吹き返した。

 あれらを目の当たりにしても、神話は現実でないと否定できるだろうか。

「……そうか……」

 考えれば考えるほど胸の内で腑に落ちていく真実と答えに、彼は感嘆の息を漏らした。

 そんな桜井を見下ろす評議員たちはというと、

「どうやら、レリーフのことよりもまずレミューリア神話について学んだ方が良さそうだ」

 片眼鏡のアダマスフェルトは頭を抱えている。ニュルンガムやド・ウォルザーク辺境伯夫人も似たような反応をする中で、レイヴェスナだけが彼に寄り添う声をあげた。

「ご心配には及びませんわ。彼がレミューリア神話についてご存知ないことは織り込み済みです。皆さんどうか忘れないでいただきたいのですが、彼はラストリゾートからいらした方であり、アルカディアの価値観で測ってはなりません」

 レイヴェスナが言うには、アルカディアの人々にとってレミューリア神話は常識か、かなり身近なものであることが伺える。

「ふん、ラストリゾートねぇ。大層な名前の割には、まさかアタシたちより劣ってるなんて。所詮はまやかしの楽園ね」

「全く同感だわ」

 杖の上で足を組み直すニュルンガムと彼女に同調するド・ウォルザーク辺境伯夫人。桜井が住むラストリゾートは魔法産業革命の象徴とまで揶揄されるが、魔法の文明として見た時にアルカディアの歴史には及ばない。そのことを思い知らされ、桜井は返す言葉を失っていた。

「お二人とも言葉を謹んでください」

 桜井とラストリゾートを軽蔑するニュルンガムらに対し、レイヴェスナは一言で制した。桜井を招聘した張本人である彼女からすれば、客人を庇うのは当然かもしれない。しかしだからこそ、自身の無知ゆえに余計な迷惑をかけているようで肩身が狭く思えた。

「で誰が説明するの? 俺は朗読なんてしないよ。数式は朗読するものではなく紙に書くものだからね」

「ニュルンガム、魔導図書館司書のお前ならば適任ではないのか?」

 我先に傍観を決め込むアダマスフェルトに続き、辻褄戦つじつまそよぎは杖に座る銀髪の少女を白羽の矢に立てた。

「はぁ? 真っ赤な素人に教えられることなんてないわ! それにね、世界の謎を説明するのではなくて究明するのがアタシの使命なのよ」

 当然と言うべきか、彼女は断固とした態度を貫く。

 これまで桜井の肩を持ってくれていたラザリアス公爵だったが、彼もシワだらけの顔によりシワを増やして困った様子だ。

「魔剣ライフダストを持っていながらレミューリア神話を知らないとはのお。文化の違いゆえに致し方ないとはいえ、これには正直驚いたわい」

 結局、説明役を名乗り出る者は一人もない。観光ガイドじゃない、鶯姫星蘭うぐいすひめせいらんから聞いた言葉を思い出した桜井は苦いものを食べているかのようだ。こうなることなら少しくらいはアルカディアの文化について勉強するべきだったと後悔する。とその時、

「では、僭越ながらわたくしが説明しましょう」

 最終的に説明を請け負ったのはレイヴェスナだった。もとより評議員たちは最初からそのつもりだったことは、桜井の目から見ても明らか。それでも彼女が立候補を待ったのは、何か意図があったのだろうか。

 とにかく、桜井はレミューリア神話について知る機会に恵まれた。レリーフの正体のヒントと、二振りの魔剣について何か分かるかもしれない。彼は意識を集中させて、レイヴェスナの声に耳をすませた。

「かつてある一人の人間が誕生し、彼ないし彼女は良心と悪心が引き起こす軋轢に苦しみ、二つの心を引き裂いたとされています。良心を引き裂いた剣を、生命を司る魔剣ライフダスト。悪心を引き裂いた剣を、死を司る魔剣デスペナルティ。そして二振りの魔剣を用いて世界を切り拓き、引き裂いた心を封印した。魔剣ライフダストが切り拓いた土地は天国、魔剣デスペナルティが切り拓いた土地は地獄と呼ばれるようになりました。こうして天国と地獄はレミューリアとして、その者によって統治されたのです」

 今まさにこの瞬間にも、彼が握っている魔剣ライフダスト。その正体が明かされ、彼はようやく魔剣の本質を認めることができた。まさか身近なところに神話に所縁のあるものがあったとは想像もできなかっただろう。

 そして神話はここで終わりではない。

「しかしある時、天国と地獄の均衡が崩れてしまい魔界と化してしまいました。滅んだレミューリアを舐め尽くした魔力は行き場を求め、ついに私たちの住む世界へ溢れ出しました。最初にこの世界に魔法を持ち込んだのは、ユリウス・フリゲート卿。私の師でもあるお方です。彼女はその命を以ってして世界に魔力を馴染ませ、魔法産業革命の礎となったのです」

 ユリウス・フリゲートという魔導師については、桜井も知っている。世界で最初に魔法を使った魔女であり、魔法の母と呼ばれている存在だ。彼女のルーツが神話にあったというのは驚きだが、魔法学校の教科書にもその名は確かに刻まれている。つまり、神話などではなく現実に実在するということ。言うなれば、神話と現実は地続きなのだ。

「──フリゲートのせいで、の間違いでしょ。聞いてらんない」

「──ふん、大罪人を師に持つなんてわたくしなら恥ずかしくって口が裂けても言えませんわ」

 彼女は間違いなく偉人であるはずだが、レイヴェスナの語りに紛れて嘲笑する声が聞こえたのは気のせいだろうか。

「そして今、先生の遺産でもある魔法が意志を持ち、レリーフとなって私たちの世界を脅かそうとしています」

 魔法生命体レリーフ。やはりその正体は簡単に分かるものではなかったが、神話に対する理解は以前より深まったといえるだろう。

「これが私たちが相対する敵の正体であり、お伝えすべき真実です。エージェント桜井、何か心当たりはありますか?」

 ここまで丁寧に説明してきたレイヴェスナは、改めて問いかけた。レリーフを倒す術について。

 桜井はもう一度、魔剣ライフダストへと意識を向ける。レミューリア神話を通して見ても、レリーフが桜井の分身であることを説明できるものはなかった。それより、彼にとってはもっと身近で不可解な疑問が浮かび上がってくる。

「この魔剣はある日から手元にあったものだ。俺の親友から譲られたものだけど……正直さっぱり……」

 なぜ彼の手元に魔剣ライフダストがあるのか、それは彼自身もよく分かっていない。魔剣が神話の遺物であることを理解した今だからこそ、なおさら謎が深まる。いったいなぜ、神話の遺物が彼の手に渡ったのか。もしかすると、新垣晴人あらがきはるとなら何か知っているかもしれないが。

「無理もないだろうて」

 すると、ラザリアス公爵は桜井の肩を持つような発言をした。が、彼は単に桜井を庇ったわけでないことは、その険しい表情を見れば分かる。

「お前さんは所詮何も知らない被害者に過ぎなかったということだ。薄々気付いているんじゃないのかね? 魔法が意志を持って牙を剥いておる。そりゃそうだ。だが誰も発端に目を向けない。魔法があまりにも我々を豊かにしたあまり、疑うことすら忘れておる」

 これまでの和やかな物腰と笑みを絶やし、公爵は堂々と告発する。歴史に隠された真実、魔法文明の発達に隠された原因。魔法は産業革命を引き越し、人々の生活を豊かにした。その矢先に現れたレリーフたち。

「そもそもだ。そもそも誰がこの世界に魔法を持ち込んだと思うね?」

 桜井は神話を知ってなおそれらを結ぶことができなかった。だが、ラザリアス公爵はある解釈を加えて結びつけていた。

「この神話における大罪人は、この世界に魔法を持ち込んだ逆賊ユリウス・フリゲートであることは明らかだ」


 その時、議事堂の分厚い扉が開け放たれた。評議会中は強力な封がされるのだが、それさえも破った少女は悠々と議事堂へと足を踏み入れる。


「おやおや、お偉方が雁首揃えて何をしているかと思えば……何も知らん部外者に絵本の読み聞かせか」

 桜井が振り返ると、金髪をポニーテールにした少女を見た。まだ幼さが抜けない顔立ちにそぐわない凄み、角度によって虹色に輝く瞳。上品なワンピースドレスは白をベースに青と緑が盛り込まれ、胸元や腰には青い薔薇の造花がつけられている。彼女を見たのは初めてだが、流し目でこちらを見てすれ違う様は他人と一線を画していた。

「シグナス・フリゲート! どういうこと? アンタまで来るなんて聞いてないんだけど!」

 桜井を無視して議事堂の中央に躍り出た少女。ニュルンガムにシグナス・フリゲートと呼ばれた彼女は、評議員に囲まれているにも関わらず臆する気配を微塵にも感じさせない。

「私が召喚しました。それからミス・シグナス、エージェント桜井は部外者ではありませんわ」

 レイヴェスナはシグナスの入場を許可していたが、ニュルンガムを始め他の評議員たちは些か不満げだ。

「コンツェルト議会は平和の協奏曲を奏でるという理念の下に設立されたものですのよ。議席に立つのならばその態度を改めなさい。貴女を呼ぶのだってわたくしは反対ですのに、わざわざ義理の為に貴女まで召喚されたクレッシェンド卿に感謝するべきではなくて?」

 ド・ウォルザーク辺境伯夫人は厳しく言い付けるが、シグナスは彼女の方を一度も見向きもせずに鼻で笑った。

「はん、何が協奏曲コンツェルトだ。不協和音もいいところだ」

「この頭の高い小娘がッ」

「落ち着きたまえド・ウォルザーク夫人、仮にも客人の前だぞ」

 事態を静観していた辻褄戦が夫人を制すと、彼女は咳払いをしてドレスを払う。身だしなみを整えてなお、目だけはシグナスを睨みつけて。

「それで? クレッシェンド卿。この場に議席を持たないフリゲートを召集した理由をお聞かせ願えるかしら」

 シグナスの乱入に多かれ少なかれ評議員たちが取り乱す中で、桜井は彼女の背中をじっと見つめることしかできずにいた。

「彼女は我々評議会や魔法調律連盟には属さない自由な立場にあり、超自然的事件にも精通されています。今回のレリーフの件に関しても独断で動いていることは皆さんにも聞き及んでいることでしょう。そこで、彼女にはエージェント桜井の先導役を頼みたいのです」

 あろうことか、レイヴェスナはシグナスを桜井の案内人として呼んだという。桜井のことなど一度目を合わせたのを最後に無視し、こうしている今も背中を向けたまま。もはや眼中にないと見えるが、それはすぐに確信へと変わった。

「ふざけたことを抜かすな。なぜこの私が外来者の子守をせねばならないんだ?」

 憤るシグナスに対し、アダマスフェルトはふむと鼻を鳴らした。

「シグナス君はあのユリウス・フリゲート卿の娘だろう。魔法郷を案内するという意味では理に適ってはいるな。どう思いますかなラザリアス公爵?」

(……ユリウス・フリゲート卿の、娘?)

 聞き間違いではない。確かに彼女の名前はシグナス・フリゲートと呼ばれていた。つまり、魔法の母を肉親に持つというのだ。そんな人物が眼前にいるなど、信じられるだろうか。

「うぅむ、逆賊の娘に大切な客人を任せるのは些か不安が残るが、だからこそ枷にもなるだろう。不本意ではあるが、陛下の意見を否定はせんよ」

 桜井が事態に追いつけていないことは露知らず、事態は着々と進みつつある。

「待て、勝手に話を進めるな。案内役ならば評議会にとって私よりも信頼のおける者がいくらでもいるはずだ。ニュルンガムはどうした? お前なら暇を持て余していることだろう」

「は? 失礼ね、アタシはアンタと違って評議会に議席を持つのよ? 恐縮にも女王陛下から直々に指名を預かっているというのに、少しは立場を弁えたらどうなの?」

 シグナスとニュルンガムが言い合いをしていることは一旦起き、レイヴェスナは他の議員にも目配せをする。

「ド・ウォルザーク辺境伯夫人は如何でしょう」

「……異論はないわ」

 彼女は少しだけ考えてから結論を出した。辻褄戦つじつまそよぎもまた、レイヴェスナに頷きかけた。

「では、決まりですね」

 レイヴェスナが結論を急いだのは、シグナスの登場で評議会どころではなくなることが分かっていたから。夫人が言った通り、シグナスは議席を持たない。彼女を招集した時点で、評議会が破綻するのは想定内だったのだろう。もしかすると、最初からそれを狙っていたのかもしれない。

 ともあれ、レイヴェスナの隣にいるラザリアス公爵も異論はないようだ。桜井は公爵に和やかな第一印象を持っていたが、シグナスが現れてからはひどく軽蔑的に見える。公爵以外の評議員にしても、桜井に対してよりも一層辛辣な態度だ。なぜシグナスという少女がここまで嫌われているのか、桜井は興味を持って彼女の横顔を見つめた。

 次の瞬間、再び杖で床が打ち鳴らされ、ざわめく議事堂が静寂に包まれた。

 そうして先ほどまでの態度から変わり和やかな声色に戻って、公爵は桜井に諭しかける。

「桜井友都。お前さんがレリーフを倒したという功績を疑いたい訳ではない。こうしている今も魔法生命体は世の秩序を乱さんとしている。如何なる手段を使おうとも、あやつらを永遠に葬り去るのだ。どうか、このアルカディアの為に一肌脱いでやってはくれんか?」

 桜井は評議会を通してレミューリア神話への造詣を深めた。アルカディアに来た目的はレリーフの正体を暴き、二振りの魔剣について知ること。彼は魔剣について知ることができたが、レリーフについては未だ謎が多い。ラザリアス公爵が話していたことが真実か否かも、今の彼には判断することができない。そして目の前に現れたシグナスという少女。彼女にそれらの謎や真偽を確かめるのもいいだろう。レイヴェスナが彼女と行動するように仕向けたのも、おそらく何か意図があるはずだ。

 DSRのエージェントとしてアルカディアを防衛することはもちろん、桜井結都として彼にはなすべきことがある。

「……約束はできませんが、善処します」

 その利害関係が一致するのなら、今はアルカディアに従うことが懸命だ。

「よろしい。お前さんには期待しとるぞ」

 最高議長の相槌と微笑みをもって、コンツェルト評議会は閉廷された。

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