第1章第6節「立てかけられた天への梯子」

 コンツェルト評議会は、魔法郷アルカディアの法を司る政府機関として設置されている。レイヴェスナ・クレッシェンドはアルカディアを統治する女王の立場にあるが、実質的な支配権を持つのは評議会だ。常に女王と同等の権限を持ち、判決如何では女王の決定をも覆すことができた。元々はまだ若いレイヴェスナが暴走することを恐れて設置された機関であり、フォルテシモ宮殿に拠点を置く。ラストリゾートで例えるなら、空中城塞シャンデリアに拠点を置く楽園政府ネクサスに相当する。

 当然、桜井結都さくらいゆうとの招聘についてもコンツェルト評議会で議論された上で認められた行為。そして必然的に、桜井が評議会に出席するのは変えられないことでもあった。彼自身ラストリゾートから遥々やってきた以上、必要なことなら拒否することはしない。とはいえ、評議会に出席するという心算ができていなかった彼は、お茶を飲んだばかりのはずが喉に渇きを覚えていた。

 彼はレイヴェスナによって宮殿内部にある議事堂へと案内された。重々しい扉が魔法によって開かれると、すぐに中から話し声が聞こえてきた。彼女の背中に隠れるつもりはないが、先導する後に続いていくと声は鮮明なものへと変わる。

「やっと来たのね」

 最初に目が合ったのは銀髪の少女だった。なぜ彼女と目が合ったのかというと、彼女の目線が誰よりも高かったからだ。そしてなぜ彼女の目線が高いかというと、なんと宙に浮かせた杖を横にして座っているからだ。

「はぁようやくお出ましか。これ以上、彼らと顔を突き合わせていたら気が狂ってしまうところだよ」

 次に、少女の隣の席に立っていた片眼鏡が特徴的な男性。嫌味の込もった彼の口ぶりに、銀髪の少女は杖の上で足を組み直してそっぽを向く。

「あら何か聞こえたわね。羽虫でも飛んでるのかしら。ねぇド・ウォルザーク辺境伯夫人?」

 杖に座る銀髪の少女が戯けた調子で話を振った先。そこにいたのは金髪の貴婦人で、いかにも貴族らしく着飾っている。

「まったく、わたくしの貴重な時間をかけただけの価値がそちらの殿方にあるんでしょうね?」

 彼女は不機嫌そうにため息を吐き、服にあしらわれた毛皮を払い被った帽子を直しながら桜井を睨みつける。

 レイヴェスナに連れられてきた議事堂には、五名の評議員と聴衆が桜井たちを待ちわびていた。桜井は人の前に立つ経験を何度かしてきたが、慣れているとはとても言えない。まして、見知らぬ土地でこれから審議にかけられるというのだ。

「彼はDSRのエージェントなんだろう? 以前やってきたエージェントとは有益な交渉ができたと思ったけどね」

「どーだか。ラストリゾートの人間なんてたかが知れてるってのよ」

 しかも彼にとっては最悪なことに、評議員たちは桜井を歓迎するどころか険悪な雰囲気。息を忘れるほどに体を強張らせていると、

「これこれ、もうよさんかニュルンガム。大切な客人の前で喚くでない、お前さんの程度こそ低く見られてしまうぞ」

 議事堂にいた評議員の中で唯一、そのしわがれた声だけは桜井に友好的なものだった。

「ちっ、なんでアタシだけ」

 指摘を受けた銀髪の少女は口を噤み杖に座り直す。どうにも不満が残っていそうだが、それ以上文句を言うことはなかった。

 穏やかな声色に反して一瞬で場を宥めたしわがれた声。その持ち主は半円形に広がる議席の中心に構える玉座に腰掛けていた。

「いやーすまんの。わしの顔に免じて、この失敬は聞き流しとくれ。ラストリゾートから客人を招くのは久しいもんだから、皆気が立っとるんだ。ほれ、お前さんも突っ立ってないで早う席につくといい」

 杖を携え立派な口髭を蓄えたスキンヘッドの老人────ディノカリダ・ラザリアス公爵。その風貌や、議事堂の奥にある玉座のような席からも、彼が最高議長であることはすぐに察しがついた。

 桜井は深呼吸をして、議事堂の中心にある演壇へ促されるままに進む。少なくとも、この場で桜井を親しんで接してくれる人物は二人に増えた。アルカディアの女王と、評議会の最高議長。これより心強い布陣はないだろう。緊張は解けないにしても不安は和らぎ、自ずと背筋を張った。

「お前さんが桜井結都だな? 魔法郷アルカディアに歓迎する前に、まずはちょいと試させてくれんか。お前さんが信用に値する人物かどうか、見極めさせてもらうぞ」

 ラザリアス公爵が簡単に前置きをする中、桜井から離れたレイヴェスナはいつのまにか議事堂の奥へ。そのまま玉座に座るラザリアス公爵の隣に立った。

「皆さま、大変長らくお待たせいたしました。ラストリゾートからお越しになりました、DSRエージェント・桜井結都を召喚させていただきます」

 評議会の開始が宣言され、一同の視線は再び桜井へと集まった。すると、半円形に並ぶ議席と桜井が立つ演壇の間の空間に資料が投影された。それらの資料はDSRが提供したもので、ラストリゾートと彼が関わってきた事件の簡単な情報が次々と表示されていく。

「既にご存知の通り、エージェント桜井はラストリゾートにおいて魔法生命体レリーフを撃破されたとのことです。アルカディアが置かれている現状を打破するための、大いなる力となってくれるでしょう」

 話を聞いている間、片眼鏡が特徴的な男性──オーウェン・アダマスフェルトは、資料に手を伸ばした。ホログラムで作られたデータは抜き出され、彼の手元で展開される。それは『灰皿』に関するもので、彼は興味深そうに眉を顰めた。

 レイヴェスナによる簡潔な紹介が終わると、次に話を始めたのは彼女の隣にいる老人ラザリアス公爵。首筋から頭部にかけては魔法陣にも見える特徴的なタトゥーが彫られていて、穏やかな雰囲気を持ちながらも威厳を損なわない。桜井の予想通りコンツェルト評議会の最高議長となる人物のようだ。

「して、お前さんはレリーフについてどこまで知っとるんだ? 正直に言うてみい」

 単刀直入に核心を突いた問いを投げかけられ、桜井は演壇から高く位置する議席を見上げた。

 浮かんだ杖に座る少女や貴婦人はともかく、ラザリアス公爵は温和で聞く耳を持っている。桜井も知っていることを素直に話すべきだろう。だがいきなりレリーフが桜井の分身であることを明かしたりはしない。彼らを混乱させるだけでなく、まず彼らがどこまで把握しているのか。逆に探る機会でもあるのだ。

「レリーフは魔法生命体。言うなれば、魔法そのもので……人間と同じような意志を持った存在です」

 最初は手探りに進むという選択は、何も間違いではないはず。アルカディアにやってきたのはレリーフについて知るためだが、答えを急いではいけない。桜井は桜井なりの考えで発言をした。

 だが、評議員たちの反応は芳しいものとは言い難かった。

「ねぇ貴方、本当にDSRのエージェントなの?」

 それどころか、金髪の貴婦人──レナータ・ジゼル・ド・ウォルザーク辺境伯夫人は懐疑的ですらあった。

「そんなことは誰でも分かるのよ。わたくしたちが聞きたいのは、バケモノの正体が何者かじゃなくてどうすれば跡形もなく消せるのかということよ」

「それは……」

 全くもってその通りの意見だ。評議会はレリーフの対策を立てるために開かれたもので、それを対処できたから桜井が招聘された。期待されているのは、どのようにしてレリーフを倒すかということ。かといって、レリーフは桜井友都の分身であると突然告白できるだろうか。

 いや、するしないの問題ではないのかもしれない。再三確認するが、アルカディアに来たのはレリーフの正体を探るためである。言い訳を考えている場合ではない。遅かれ早かれ、直面せねばならないこと。やはり覚悟を決めて、全てを明かすべきなのだろう。

「まぁまぁ、結論は急いでも出てこないものだよ。向こうから顔を出すのを待たないと。そうすれば自ずと見えてくる」

 逡巡していた桜井に助け舟を出したのは、片眼鏡のアダマスフェルトだった。だが事態が好転するわけでもなく、かえって悪化しつつある。その皮切りになったのが浮いた杖に座っている銀髪の少女──アニマ・ニュルンガムの大きなため息だった。

「アンタら科学者ってホンットに頭がハッピーな人ばかりよね。結論が自分から顔を出すですって? 本気でそう思ってるから行き当たりばったりで無駄な実験を昼も夜も続けられるのかしら。バッカみたい」

 ニュルンガムは杖に乗り、足を組んで誰よりも高い目線で他人を見下している。その態度に相応しいほどの高飛車な性格を見せつけ、アダマスフェルトを捲し立てた。二人は特に険悪なムードだが、もともとがそうなのだろうか。桜井が呆気に取られていると、床に何かを強く打ち付ける音が響いた。

「これこれ、静粛に!」

 最高議長であるラザリアス公爵が杖を打ちつけたことで、全員が今一度静まり返る。

「わしらが直面するであろう終末は、このままでは魔法によってもたらされることになるだろう。巷で噂されとる根も葉もない終末論が実現するやもしれん。それを推し進めておるのがレリーフだ。あやつらを食い止めない限り、アルカディアはおろか世界は魔に奪われてしまう。魔法によって滅んだかのレミューリアのようにな」

 レミューリア。その単語を、桜井はラストリゾートでも何度か耳にしたことがあった。レミューリアといえば神話の世界のことだが、それとレリーフを繋げることはできない。少し考えようとしてやめると、ラザリアス公爵の言葉をレイヴェスナが継いだ。

「エージェント桜井。状況は差し迫っています。貴方はどのようにしてレリーフを鎮圧したのですか?」

 覚悟を決める時。桜井は答えを知るためにも、アルカディアへ渡ることを決めた。今こそ、答えを知る時なのだ。

 今さら怖気付くことはない。とはいっても、いきなり全てを明かすのは悪手だ。少しずつ理解を得ながら、手順を踏む必要があるだろう。

「正直なところ、具体的な方法を口で説明するのは少し難しいです。でもそれを実現する手段なら、今すぐにお見せできます」

 そうして、桜井が最初に選んだもの。

 彼はおもむろに手をあげて、指を鳴らす。まるで手品をする合図のように見えるその動作で、彼の指からカラフルな火花が飛び散る。

 そのままそれを掴むようにして手を握りこむと、彼が愛用する剣が召喚された。

 鍔から柄にかけての意匠は孔雀の羽を彷彿とさせ、いくつかの飾り羽まで象られている。孔雀の羽模様における目玉の部分が、ちょうど柄の部分にあたる構造だ。が、目を引くべきは外見の特徴ではない。

「魔剣ライフダストですって……?」

「こりゃ驚いた」

「ちょ、ちょっとアンタ! どこでそれを手に入れたのよ!?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る