第2章第6節「地続きの天国と地獄」

「私の実家だ」

 つまり、フリゲート家の屋敷ということだろう。最初こそ驚きはしたが、考えてみれば彼女の家があるのは自然だ。かつては貴族領だったというのだから、そこに偉大な魔女の娘が住んでいてもおかしくない。そもそも、彼女は領地を持つ者でなければ解けない封印を解くことができていたのだから、即ち彼女の家系の領地でもあるのだ。

 現在のシグナスはツリーハウスを拠点としているようだが、本来の家となる場所は既に自然に侵食されてしまっている。フリゲートの屋敷であることを知ってみると、途端に廃墟が寂しいものに感じる。まさかレリーフ・バンビが廃墟となったフリゲートの屋敷に訪れるとも思えないが、シグナスがここを訪れたということは心当たりがあるのだろうか。

 実際、デュナミスはシグナスと確執を持っているようだった。同じレリーフであるバンビもシグナスと何らかの因縁を持っている場合、廃墟に狙いがある可能性は捨て切れない。屋敷に何かが隠されているというのも、桜井にとっては思い当たる話だ。

「…………」

 今のシグナスは口数が少なく、村での一件で多かれ少なかれ心理的な傷を負っている。そんな状態でレリーフの追跡のためとはいえ実家に足を運ぶとは、偶然にしても奇妙だ。

 桜井はなんと声をかけるべきか迷っていると、シグナスはそれ以上のことは言わずに歩き出した。倒壊した正面玄関へ向かう背中は凛としているものの、何にも埋め合わせられない孤独を纏っている。すると、セレサは次のように付け加えた。

「ボスは小さい頃はこの家に住んでて、ユリウス卿が居なくなってからはフォルテシモ宮殿に引き取られたの。それもレイヴェスナ卿のお情けだったんですけど、当然ボスは嫌がって出て行きました。で、今ではお家がこの有様だからツリーハウスに移り住んだんです」

「母親がユリウス・フリゲートなのは分かった。そのユリウスは、今どこにいるんだ?」

 シグナスの母は魔法を生んだ魔女ユリウス。桜井はラストリゾートの木漏れ月魔法学校である程度は魔法の歴史を学んだ。そこでユリウスについても知ったが、彼女の行方については消息不明とされていた。だがそれはラストリゾートでの話であり、アルカディアでは違うかもしれない。レミューリア神話が常識であったように、桜井はあえてユリウスが失踪したという文言を口にせずに尋ねた。

「なぜユリウス卿が魔法の母と呼ばれるか知っていますか?」

 質問に質問で返したセレサだったが、桜井は素直に自分の知る常識を口にする。

「この世界に魔法をもたらしたから、だろ?」

「それはそうだけど」

 セレサとの会話に割り込んできたのは、彼女の肩で足を組んでいるヴェロニカだ。

「世界に魔力が溢れたフェイズシフトの発生を機にユリウス卿は消えた。それってつまり、ユリウス卿の魂が世界に溶け込み魔力となって循環していると考えることもできるでしょ? ……ってな具合でユリウス卿を崇拝した団体がいたんだよ」

「えっと……つまり消えたってことか?」

「ビンゴ!」

 ヴェロニカが例に出した思想はやはりというべきか神話的で、アルカディアらしい解釈が加えられていた。魔法文明の誕生から十年もの時が経つが、その起源については諸説ある。魔法の母と崇拝する者もいれば、逆賊と糾弾する者もいる。いずれにせよユリウスが消息を絶ったことに変わりはないらしい。

「じゃあ父親は?」

 であれば残るのは父親になる。魔法の母とまでいわしめる女性の伴侶がどういった人物なのか、桜井には想像もつかない。だが同時に、世界的に有名になったにも関わらずその夫が話題にならないのも不思議な話だ。何か理由があるのだろうが、彼がそれを知ることはなかった。

「……しっ」

 何かを察知したのか、セレサは口の前に指を立てて会話を打ち切る。静かになった途端に、どこかから笛を吹く音が聞こえてきた。

 誰かいるのかと思い辺りを見回してみても、人影らしきものはない。代わりに視界に目立ったのは、風に揺れる笛によく似た形状の植物だった。

「植物が音楽を奏でてるのか……?」

 セレサ曰く、アルカディアの歴史は音楽と深い関わりがあるらしい。だからと言って、まさか楽器のような植物まで存在するのだろうか。

 彼の奇想天外な連想は当たった。

「この音色……気をつけてください!」

 一つ、また一つと楽器植物が演奏に加わり、徐々に強まっていく笛の音。セレサが注意を促した直後に、桜井はさらなる異変に気づいた。

 地面を何かが突き破ったかと思えば、それは瞬く間に低木へと成長。楽器植物の音色に応えるように、『木』は生物的に蠢いた。

「何が起きてる!?」

「あの笛みたいな植物は『ムジカリリス』です。魔力を増幅させて、こうやってレリーフを生み出すんですよ」

 木に見えるそれは大きな人型をしていて胸には赤く輝く魔力の心臓を持っている。下半身は無数の蔦がスカートのように広がり、地面に根を下ろしていた。頭部と思しき部分には光の眼を鈍く光らせると、胴の部分から分かれた枝が緻密に絡み合っていく。それはコントラバスに似た形状となり、弦を枝で弾くことで威嚇の咆哮メロディを奏でた。

「くっ!」

 メロディは魔力を伴っているせいか、それを聞いた桜井達に目眩と頭痛を引き起こした。

 植物質のレリーフは珍しくもないが、ここまで大型で複雑な成長を遂げた個体を見るのは桜井とて初めてだ。しかも楽器まで演奏しているのだから。

「参ったな、森の精霊にお目通り叶うなんて」

「所詮はレリーフです。雑草を引っこ抜くみたいに足元の根っこさえ千切れば、大した敵ではありません」

 セレサは生きた木を目にするとすぐにその正体を見破った。さすがはレミューリアの堕天使というべきか、彼女が隣にいる頼もしさからか自然と笑みが溢れた。恐怖よりも好奇心の方が勝ったからだ。

「了解」

 桜井は自らの愛剣である魔剣ライフダストを右手に喚び出す。攻略法が分かっているならその通りにやるだけだ。いくらか強気に出た桜井だったが、

「あの耳障りな音に近づくのは危険だから、ここは私に任せて」

 肩に乗っているヴェロニカは「もー寝てたのにうるさいんだけど」と目を擦っているものの、反対にセレサはやる気満々。堕天使がどういった戦いをするのかは分からないが、桜井は一度彼女に前線を譲る。

 セレサは自信に満ち溢れた表情で、懐から何かを取り出す仕草を見せた。すると彼女の手には見たこともない武器が握られた。

「私の相棒に挨拶しな、この盆栽オルゴール野郎!」

 レリーフへ突きつけたのは、なんと合計十個もの銃口を持った拳銃だった。しかも二丁構えており、あわせて二十もの銃口がへと向けられている。

「相棒ってアタシのことじゃないの?」

 一方で、肩に乗ったヴェロニカはセレサの顔を覗き込んでいた。彼女が手を振ってもセレサは意に介さず引き金にかけた指を徐々に沈ませていく。

「おらっ、二十倍の威力の集中砲火を喰らえ!」

 もしかすると普段のセレサとあまり変わらない口の汚さとともに、彼女は奇想天外な銃の引き金を引き切った。

 ズドドドドドン!! という轟音と共に二十もの銃口から弾丸が同時に射出される。数メートル先に迫ったレリーフは蔦でできた両腕を伸ばしていたが、無数の弾丸は木の両腕をかち割って進んでいく。弾が通った箇所は無残にも焼け落ち、あっという間に胸元の光る魔力のコアを貫いた。たった二丁だが十倍もの集中砲火を受けたレリーフは、抱えていたコントラバスに蜂の巣を作り出している。

 セレサはヒューと口笛を吹き、銃口からの煙に咽せるヴェロニカ。

 魔力でできたコアを撃ち抜かれ、残った木の体も凄まじい火力の余波が燃え移っている。もはや再起不能なダメージのように見えたが、レリーフは死んでいない。

 周囲に咲く笛の形をした『ムジカリリス』が旋律を奏で続け、レリーフの力を増幅させているのだ。

 地中に根を下ろしたスカートから新たな木が瞬く間に成長し、ぎちぎちと木が軋む音が響く。そして破壊された両腕やコントラバスは胴へと取り込まれ、新たに無数の蔦が飛び出した。蔦は満足していたセレサを突き飛ばし、彼女は桜井がいるところまで投げ出される。

「おい平気か?」

 慌てた桜井はセレサに駆け寄ると、彼女は高いテンションのまま叫び散らす。

「あーもう! 今の見ました? たまんない威力だけど、根っこ千切んないと意味ないんですよ!?」

 確かに彼女は事前に話していた。レリーフは根を断ち切れば大したことはない。だが彼女は正面から二十もの銃口で集中砲火を浴びせて悦に浸っていた。

「なんで怒ってるのか知らないけど、実演どうも」

 いつの間にかセレサの肩にいたはずのヴェロニカがいないこともすっかり忘れ、桜井は立ち上がってレリーフへ立ち向かう。

 彼が握っているのはレミューリア神話の遺物である。その真実を本能的ではなく頭と心で理解しているからか、目の前の精霊樹ともその魔剣で戦える自信があった。

 加えて言えば、桜井は力が漲るのを感じてもいた。これも、あの『ムジカリリス』の旋律の影響なのだろうか。

 既にコントラバスを再生させていたレリーフは、蔦で弦を弾いていく。弦から弾かれた魔の音符は数メートル離れた桜井へと襲い掛かり、魔剣で次々と切り落として突き進んでいく。魔剣はその性質上、斬撃には魔力を伴う。彼が振るう度に剣の軌跡に残る虹色の煌めきがそれであり、彼はその火花を制御する術を会得していた。

 桜井が回転をつけて魔剣を手放すとそれは瞬く間に火花の大車輪となる。広げた孔雀の羽を模した大車輪は桜井を掴もうとして伸びてきた木の腕を焼き切っていき、レリーフは押し負けてしまう。続けて桜井は大車輪へ手を伸ばして魔剣の形へ戻すとそのまま横へ薙ぎ払う。コントラバスの弦が弾かれるのを防ぐべく伸びる蔦を切り裂き、続けてコントラバスもろとも胴を貫いた。そのまま体勢を崩した精霊樹のスカート状の根が浮き上がり、桜井は勢いをつけて腰を落とす。

「そこだ……!」

 彼の頭上を乱れた蔦が掠め、地面に沿って滑り込ませた魔剣は地中に降りた根を断ち切った。

「……っ」

 桜井は一旦距離を置くと、地面に倒れもがいているレリーフを見下ろす。地中と繋がった根を断たれ、とうとう力を失っていく。かと思って見ていると、木は絶えず成長を続けている。

 ギチギチパキパキと木が軋む音が鳴り、今までよりも一回り大きな体躯を現す。本来の木としての原型はなく、あちらこちらが歪んだ木は曲がりくねり奇怪なシルエットを形作る。

「…………」

 だが木の色は先ほどよりも薄く白けていて、触れれば折れてしまいそうな部位も目立った。根を絶たれたことで確かにレリーフは力を失いつつあった。

 そう。それは再生しているというより、無理矢理に暴走させられているのに近かった。

 元凶として考えられるのは、今なお響き渡る『ムジカリリス』の笛の音だ。

 強引に輝かされる生命の異形。桜井たちを呑み込まんとする勢いで成長していくレリーフに、終止符などない。

「…………?」

 奇妙なことに、桜井は高揚感を覚えていた。ムジカリリスの旋律を聞いた時から、彼は自信と力が湧き出るのを感じていたのだ。不思議と抵抗はなかったが今なら分かる。

 これは魔への陶酔であり、破滅へと導くものであると。

 旋律に酔いしれた桜井は意識を朦朧とさせ、セレサも地べたに座り込んだまま。

 ムジカリリスの旋律に終止符を打たねば、先に生命が暴走するだろう。

 ──そうなるよりも先に終止符が打たれたのは、ムジカリリスの方だった。

 暴走状態に陥っていたレリーフに向かったのはクロスボウの矢。単なる矢ではなく、矢尻を中心に魔法陣が展開されていた。それが精霊樹へ突き刺さると、内部へと染み込みあっという間に青白い炎に包まれていく。

 振り返ると、座り込むセレサの隣でクロスボウを片手に構えたシグナスがいた。

「私達が探しているのは有象無象のレリーフじゃない。ムジカリリスの旋律に惑わされるな」

 今一度レリーフを見ると、青白い炎が灰すらも残さずに焼き尽くしてしまっていた。周囲に咲いていたあの笛の形をした植物『ムジカリリス』も、飛び火によって沈黙。シグナスによって放たれ全てを燃やした炎は、塵と共に虚空へと消えていく。ムジカリリスが奏でた破滅の音はあっけなく断たれたのだ。

 森に静寂が戻ったことで、桜井を包み込んでいた高揚感も消えた。セレサも正常な感覚を取り戻したらしく、シグナスの手を借りて立ち上がる。

「……うぅ、変な感じ……。まさか本物のムジカリリスが生えているなんて」

 未だ動揺しているらしいセレサ。どうやら堕天使である彼女でさえ、想定外のことだったようだ。

「あの笛みたいな植物はなんなんだ?」

 セレサとシグナスの元へ歩み寄った桜井は、率直な疑問を投げかけた。

「あれはレミューリアの魔界に植生する『ムジカリリス』。本来ならこの森にあるべきではない危険なものだが、魔剣に斬れないものでもない」

 シグナスは手短に答えると、顎を使って桜井の手元を示した。

「宝の持ち腐れだな。それがあれば不可視をも斬れるというのに」

 魔剣ライフダストのことを言っているのだろう。

「返す言葉もないな」

 生命を司る魔剣ライフダスト。レミューリア神話に起源を持つ剣は、桜井のような人間が持っていていい代物ではない。ではなぜ彼が持っているのかは、評議員にさえ分かっていないようだった。桜井の記憶では新垣晴人あらがきはるとから譲り受けたもので、彼に聞いてもはぐらかされてしまった。

「話は逸れるけど」

 魔剣のことで知っていることは少ない以上、聞かれても答えられないことばかり。桜井は話題を変えようと目についたものを指して言った。

「君が使ってるクロスボウについてるそのぬいぐるみ、結構可愛いな。でも君のことだから、それも魔具だったりするんだろ?」

 シグナスが魔法を使うための『魔具』と思しきクロスボウ。四〇センチ程度の本体の弓やケーブルに沿って微かな魔法陣が張られていて、魔法の矢を射出する仕掛けになっている。

 桜井が注目したのはグリップの方で、ぬいぐるみのキーホルダーがつけられていた。やや古いのか所々に修繕した跡があり、気に入っていることが伺える。

 それにも魔具としての役割があるのか、単に飾りなのか純粋に疑問に思っていたのだが、シグナスは不意に言葉を詰まらせていた。何か言いにくい理由があるのかと思って見つめると、

「お前は……私を舐めているのか?」

 村にいた時とまではいかずとも繊細に震えた声。ファンタジアの森に来てから多少は落ち着いてきたところに、気を悪くさせてしまっただろうか。

「悪い。そんなつもりじゃなかったんだけどな」

 大人であるからには桜井にもある程度のデリカシーがある。年頃の少女が身につけるものにいちいち口を出すのは失礼だ。実際、シグナスはそれを気に入っているからこそ愛用の武器につけていた。魔具とは関係なく、信じることのできるお守りとして。

「ふんっ、まぁいい」

 だがシグナスの態度の方が大人だ。気を取り直した彼女は桜井を流し目で睨んでから体を翻した。

「ついてこい。向こうの草原に人影を見つけた」

 どうやら誰かがいるのを見つけたらしい。彼女は廃墟となったフリゲートの屋敷へ再び向かう。桜井は地べたに座り込んだままのセレサに手をやって起こすと、シグナスの後についていった。

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