第5章第3節「神に見棄てられた土地」
フォルテシモ宮殿・女王の間。自身の超能力によって奇跡を引き起こし、アルカディアを破滅の淵から掬い上げたレイヴェスナ。彼女は残り一時間三十分を指す世界終末時計を引き出しにしまい、評議員のアニマ・ニュルンガムから報告を受けた。
魔法調律連盟の盟主デュナミスが自分たちを裏切るような行為をした。桜井結都から死を司る魔剣デスペナルティを奪った、と。
ラストリゾートからの貴客である桜井結都の中にはレリーフがいた。彼の正体は何者なのか、と。
「どういうことか説明しなさいよ! 桜井結都がレリーフだって知っていながらアルカディアに招き入れたんじゃないでしょうね!?」
「落ち着いてください、ミス・アニマ」
「これが落ち着けるもんですか! ただのDSRエージェントだと思ってみれば、アタシと同じレリーフだったなんて信じられないわ!」
魔導図書館で桜井自身にも告白した通り、ニュルンガムはデュナミスと共に実験によって生み出されたレリーフである。そんな彼女からすれば、桜井は完璧に同じではないにしろ近しい存在とも見做せるだろう。
そして、レイヴェスナは少女を説き伏せることにその類似を利用した。
「正体を明かすかどうかは本人が決めること。同じ境遇の貴方なら、きっと理解してあげられるはずですわ」
ニュルンガムはデュナミスと同じレリーフでありながら、レリーフとしてではなくコンツェルト評議会の評議員兼魔導図書館司書として生きている。デュナミスやレリーフとは袂を分かつ選択をしたが、やはり正体はついて回るもの。ニュルンガムもその実力が認められるまでは、レリーフとして差別や侮辱を受けてきた過去がある。
レリーフと関係を持つと明かすことは、そう単純なことではない。そのことを身を以て知っているからこそ、ニュルンガムは言葉を詰まらせていた。
「……フン、いいわ。詳しいことはアタシが直接聞くから。でもレイヴェスナ卿、話は終わりじゃないわよ」
どちらかといえば、ニュルンガムにとってはここからが本題だ。
「問題はデュナミスよ。アイツは桜井結都を利用して何かを企んでるわ。死を司る魔剣を奪ったのよ? アタシの目の前で!」
デュナミスはニュルンガムに相談もせず、凶行へと及んだ。本来は客人として丁重に扱うべき桜井から魔剣を奪い、あまつさえニュルンガムを攻撃した。あの時に杖を折られてしまい、今は応急処置で繋いで間に合わせている。だが酷ければ、怪我を負っていたかもしれないのだ。
これはレイヴェスナへの報告というよりは、告発に近い。彼女はそれほどの過ちを犯したと、ニュルンガムは認識していた。のだが、
「
「なんですって!?」
予想もしていなかった返答に、ニュルンガムは目を見張った。
対して、レイヴェスナは机から離れてテラスの方へ向かいながら話す。
「一度お会いしておきたかったのです。尤も、彼女のやり方は少々手荒だったと認めざるを得ませんね」
テラスの手前で止まり、いつもと変わらない様子のアルカディアを眺めるレイヴェスナ。彼女が言うには、もう一人の桜井友都に会うようにデュナミスと約束を取り付けていたらしい。そのために、彼女はあのような行動に出たのだ。
驚きのあまりニュルンガムは口答えをする気概も忘れ、事の成果を尋ねた。
「それで、何かわかったんでしょうね?」
女王はアルカディアの景色を眺めたまま、率直に答える。
「少なくとも、彼は私たちの敵ではありませんわ」
素直に喜ぶべきか。味方と答えなかったことを怪訝に思うべきか。
「ならいいんだけれど」
ニュルンガムが反応に困っていると、テラスからは白い小鳥が何匹か飛んで入り、壁の植物に実った木の実を咥えて飛び去った。
先ほどまで侵略を受けていたとは思えないこの光景は、目の前にいる女王の力の賜物。それを改めて思い知り、ニュルンガムは黙り込むしかなかった。彼女にとって女王は絶対であり、女王を信じるほかないのだから。
「ただ、ミス・デュナミスが心配ですわね」
振り向きざま、レイヴェスナはデュナミスの安否を案じた。彼女の行方が分かっていないことはニュルンガムも知らされている。そしてその行方について、二人は大方の予想を同じものにしていた。
「戦は価値のあるものを奪い合って起きる。戦を生き残る術は決して戦うことや隠れることだけではありません。奪い合われる価値そのものになる方が、より確実に生き残ることができるでしょう。そこまで分かった上でクレイドルへ投降したのかどうか、私たちに知る由はありません」
その生死はともかく、デュナミスがクレイドルのもとへ行ったのはニュルンガムも勘付いていた。魔法生命体の粛清を狙うクレイドルならば、レリーフであるデュナミスはターゲットである。命を惜しんで投降したというのは希望的観測に過ぎず、既に殺されている可能性も否定できない。
だがどちらとも言い切れない、不確定さを持っているのが彼女の特徴でもあった。
「アイツはずっと叶わない理想や夢、願望、終末論に執着していたわ。もしもアタシたちがアルカディアから追放されたらとか、アタシたちがレリーフとしてアルカディアを支配できたらとか、わけの分かんない妄想に取り憑かれてるみたいにね」
もしもを心の中で思い巡らせる。それだけなら誰しもが思う普通のことだったが、デュナミスの場合はそれに強く依存していた。だからこそ、そのもしもを恐れて連盟を立ち上げたのだ。
「ありもしない不可能な状況は、時に忌避され時に渇望されるもの。もしかしたら彼女は、もし自分とエージェント桜井がクレイドルに捕らえられたら……世界がどう傾くのか興味があったのかもしれませんわね」
「アイツに限ってあり得ないわ。アイツは誰よりも淘汰を恐れてる。だからレリーフや評議会、堕天使とも中立を保ち続けてきたんだもの」
反論するニュルンガムの言葉を聞き、レイヴェスナは自身の机へと戻ってくる。
「であれば、彼女は信じているのでしょう。これしきのことで、淘汰されることはないと。実際、エージェント桜井は貴方とミス・シグナスのおかげで取り返されました。彼女が恐れた最悪の可能性は、不可能だったと証明されたのですわ」
そう。デュナミスは最初から可能性と不可能性を選別していたのだ。そのために敢えて、反魔法主義者や堕天使が共存する連盟を立ち上げ、彼らが淘汰されないように調停してきた。連盟が終末論を唱えるのも、それが実現できない終末論に留めておくため。
「自分が唱えた終末論が不可能だってことを証明するためだけに、アイツやアタシたちを危険にさらしたっていうの?」
言わば、危険な理論は机上の空論であるべき。倫理を無視するが為に実行されない実験のように、それは不可能でなければならない。可能であってはならない。
デュナミスはニュルンガムや桜井、シグナスたち、延いてはアルカディアに、不可能を証明させようとしたのだ。
「ふふ、ミス・デュナミスは貴方や私を信頼してくれているみたいですね。ですが、彼女を信頼する必要はありませんわ。信頼に対価を求めてはならないのですから」
「そんな……バカげてるわ。アイツは許されないことをした」
到底理解の及ばない理念であり、受け入れる事のできない荒唐無稽な空事。
混乱するニュルンガムにも一つ分かるのは、そんなものの為にアルカディアを危険に晒してはいけないということだった。
「ミス・アニマ。善悪の価値観を持つのは人間としてとても良いことですわ。ただ、人にはそれぞれの価値観があることを忘れてはいけません。事実は尺度を変えれば善悪は百八十度変わるのが常です。今回だって、クレイドルは撤退しました。それが彼女のおかげかもしれないでしょう? 自分が気に食わないからといって頭ごなしに否定するのではなく、見方を変えて理解することも肝要なのです」
おそらく、レイヴェスナの言葉に間違いはないのだろう。かといってそれが正しい事なのかどうか、判断しかねてもいた。
「尤も、貴方はミス・シグナスのことをよく分かってくれていますから、その心配はいりませんわね」
押し黙るニュルンガムはレイヴェスナの不思議な眼差しに包まれ、居心地の悪そうに目を泳がせた。
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