第2章第8節「地続きの天国と地獄」


「……レリーフが、だと?」

 桜井結都は魔法生命体レリーフの分身である。

 その真実を知ったシグナスは、一瞬の内に桜井を拘束した。彼が気付いた時には、両手は後ろ手に魔法の手錠で拘束されて草原へ倒される。光を帯びた草のおかげで衝撃は少なかったが、起きたことを理解するのに数秒を要した。

「なら本体であるお前を殺せば、あの忌々しいレリーフも消える。そういうことだな?」

 背中をヒールで踏みつけ、シグナスはツリーハウスで念入りに手入れをしていたクロスボウを片手に召喚する。もう片方の手には弓矢を出すと、彼女は弓板へ乱暴に叩きつけた。火花と共に矢が番られ、魔法によって弦を張る。矢を装填したクロスボウを片手で構え、地面に倒した桜井の頭へ向けた。

「うわ痛そー」

「そう? 全然痛くなかったけど」

 遠巻きに眺めるセレサとシグナスは呑気に指を咥えているが、桜井からすれば一大事。

 彼は慌てて首を動かしてシグナスの方を見ようとする。だがヒールを履いた足がより強く背中に食い込み、身動きを制される。

「待ってくれ! 正直に言うと俺もよく分かってない、レリーフがどうして俺の分身なのか知らない! だから知りたいんだ。アルカディアに来たのはそのためでもあるんだ」

「お前を信じるだけの価値がどこにある?」

 シグナスはクロスボウの引き金に手をかけた。真実を知った彼女を止めるにはどうすればいいか、桜井は必死に考える。レリーフが桜井の分身であることを明かさなかったことが、ここにきて彼の首を絞めていた。それは行動を共にするシグナスを騙していたことにもなるのだから。

 ここから彼女を信じさせ、踏みとどまらせるのは困難を極めるだろう。レイヴェスナには、レリーフが桜井の分身であったことから彼を始末したと報告するだけのこと。それは桜井がよく分かっている通りに事実であり、覆すことはできない。

 だからこそ、桜井は陥った状況を逆手に取った。

「今ここで俺を殺せば、どうなるか分かったもんじゃないぞ」

 そう言った時には、桜井は魔法の手錠で後ろ手に拘束された手を動かし、一振りの魔剣を喚び出していた。うつ伏せに倒して踏みつけているシグナスには、ちょうどその魔剣が視界に映り込む。

「ッ!?」

 彼が握っていたのは、生命を司る魔剣ライフダスト──その対になる魔剣デスペナルティだった。黄金の刀身を持つそれは死を司る魔剣であり、ユレーラが使っていたもの。彼がユレーラと一体化したことで手元に残された、ユレーラの存在を証明する魔剣だ。

 シグナスは当然、それがレミューリアの遺物であることを知っている。

「この私を脅しているのか?」

 魔剣ライフダストと魔剣デスペナルティ。片方の魔剣を持っているだけでも驚くべきことにも関わらず、彼は両方を持っている。どれだけ尋常でないことか、シグナスは本能的に分かっていた。

 桜井はラストリゾートと異なるアルカディアだからこその価値観を利用したのだ。

「そうじゃない。いやそうだけど……とにかく、この魔剣がどうしてここにあるのか。どうして俺の分身がこの世界にいるのか。突き止めるのを手伝ってほしいんだ。頼む」

 桜井はレリーフが自分の分身であることに責任を抱いている。言うなれば、背負うべき宿命なのだ。奇跡と不条理は紙一重であり、桜井にとってそのどちらかであるかは誰にも決められない。決められるとすれば、桜井本人だけだ。

「レリーフの問題は俺が背負うべきことだ。君らには任せられない」

 シグナスはフリゲートという宿命を背負っている。それは誇りであり、呪いでもあった。いや、桜井から見ればそれは呪いに他ならないだろう。彼女は行く先々でフリゲートの娘という理由だけで糾弾されていた。

 しかし、桜井はそんな彼女の味方をした。アルカディアの文明を知らない部外者だからこそ、なのかもしれない。部外者の言葉など場違いで響かない、かもしれない。それでも、と。

「……殺すのは全てを終えた後でも遅くない、そうだろ?」

 草の上に倒した桜井の横顔を見下ろし、シグナスは息を吐いた。言葉も何も乗っていない、それでいて僅かだが確かな感情が乗っていた。

 その意味を桜井が理解できるかはともかく、顔にかかった影が離れるのを感じた。見ると、頭に突きつけられていたクロスボウは下げられている。

「お前の言いたいことは分かった」

 まだ刺々しさのある声色で言いながら、彼女は彼の背中から足を下ろす。クロスボウに番えていた魔法の矢を摘んで取り上げると、火花に変えて武装を解いた。

「利用できる内は生かしておいてやる」

 彼女が指を鳴らすと魔法の手錠も解かれ、彼は安堵の息を吐いた。ようやく死の危機から解放されたのだ。

「助かるよ。シグナス」

 立ち上がりながら礼を言うが、シグナスは彼と目を合わそうとしなかった。

「気安く名前を呼ぶな」

 シャツについていた草や土を手で払うと、ふと思い出す。レリーフ・バンビはどうなったのだろうか。

「レリーフは?」

 レリーフが桜井の分身であることをシグナスが知った時、彼女は迷うことなく彼を拘束した。以来、バンビは二人の注意から外れ、その隙に逃げていたのだろう。見渡す限りの草原に影はなく、あくびをしているセレサ以外には誰もいなかった。

 しかし代わりに、森の方から新たに入り込む影があった。

「ん? あれ誰?」

 最初に気付いたのはセレサで、桜井とシグナスも彼女の視線の先へ目をやった。

 次の瞬間、眩い光が迸る。森の中の影から射出されたレーザーは一直線に進み、草原の草や花を焼き払って突き進む。シグナスと桜井のもとへ向けて放たれたレーザーに、咄嗟に動いたのは桜井だ。地面に落ちていた魔剣デスペナルティを拾い、シグナスを庇うようにして躍り出た。

 大質量のレーザーに魔剣の腹を盾にして構えると、衝突した光は拮抗。両手で握り込んでも魔剣は言うことを聞かず、抑えきれない光は徐々に腕を蝕み始める。このままでは押し切られると悟り、彼は最大限の力を振り絞って切り返す。すると、なんとか跳ね除けることに成功するも、握っていた魔剣もまた光の残滓となって舞い散った。

「はぁ……はぁ……」

 魔剣デスペナルティ。月城財閥の『宝物庫』での出来事もあって、彼はそれを使うことを敬遠していた。体にかかる負荷が大きく扱うこともできない。レーザーを跳ね除けたとはいえ、辛々だ。魔剣ライフダストと扱いに差が出るのは、やはりその本質ゆえだろうか。

 そしてすぐに、レーザーを放った何者かに意識を戻す。何者かはレーザーが一直線に焼き払ってできた道を歩き、その姿を現した。

 正体は男性であり、魔導骨格によって武装していた。魔導骨格とはラストリゾートでも開発されている武装であり、アーマーのように着用して使用する。様々な機能を搭載した外骨格は、着用者に人間離れした能力を与える。本来は工事での用途を想定されているが、戦闘で用いる者も少なくない。

 魔導骨格を着用した男は、ヘルメットを解除して素顔を見せた。

「ようやく見つけたぞシグナス・フリゲート。さっきはよくも俺の仕事を邪魔してくれたな。おかげでそいつをそこねた」

 髪は金色で顔にあるそばかすが特徴的な男の名前はギルザード・オスカー・バルズウェイ。ギルザードはシグナスと浅からぬ因縁を持っていて、つい先程も交戦していたことを思わせる口ぶりだ。

「どういうことだ?」

 どうやらそれには桜井が関係しているらしい。彼は知る由もないが、実はラストリゾートからの客人を暗殺する計画が動いていたのだ。

 ではなぜ彼が今まで知らずに済んだのか。

「これだからお守りは嫌なんだ」

 シグナスは多くを語らない。やりとりは一言二言しか交わされていないが、桜井にも分かることがあった。

「お前に復讐するついでにそいつの首も持ち帰ってやろう。あの男も俺を見直すはずだ」

 ギルザードは桜井が理解するのを待ってくれるほど優しくはない。彼の当初の計画はシグナスによって打ち崩されてしまったが、復讐と挽回のチャンスのためにこの場にやってきた。

「さがってろ。あいつの目当てが俺なら、俺が相手をする」

 一度シグナスに助けられたのなら、今度は彼自身で身を守る番だ。いくら招かれた客人とはいっても、守られてばかりでは格好もつかない。

 彼は魔剣デスペナルティではなく魔剣ライフダストを手元に召喚する。やはり扱い慣れた魔剣の方が、戦いを有利に運ぶことができるだろう。

「はぁ、さがるのはお前の方だ。このバカめ」

 既に桜井は前へと進み出しているが、シグナスは一切彼に同調しない。彼女は彼女で、左手に魔法の矢を喚び出す。そして右手に持っていたクロスボウへ乱暴な勢いで矢を装填した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る