第4章第9節「夢から揺すり起こされて」
桜井は魔導母艦ワルキューレの船内構造を知らない。デュナミスの助けを借りて監房『ハイヴ』から抜け出したとしても、そこからは右も左も分からない状況。
それでも彼がハイヴのコントロールセンターにまで辿り着けたのは、蟻の巣のように入り組んだ通路は全て一つの出入り口──コントロールセンターへ繋がっていたからだ。
コントロールセンターの中央には、監房内のシステムを管理するであろう複数枚の透明なモニターがある。脱出にあたって少しでも船内の情報が欲しい桜井は、すぐさま駆け寄るとパネルに触れた。
幸いにも認証の類は求められず、スリープ状態だったシステムが起動。手元のパネルからはミニチュアサイズの監房が立体的に浮かび上がる。見たところ、DSR本部やラストリゾートでは一般向けにも普及しているホログラフィックディスプレイと同じ技術が用いられているらしい。
上部モニターには監房内の使用状況が映し出されていて、手元のパネルから浮かぶミニチュアに直接触れることで詳細を確認できるようだ。
桜井は手慣れた動きでホログラムのミニチュアを回転させる。そうしてモニターを見て監房は桜井が閉じ込められた部屋以外の全てが空室になっていることに気づいた。
(……この監房は使われてないのか?)
ここに来るまで監房内を彷徨ってきた桜井だったが、他の捕虜と出会うことはなかった。彼がコントロールセンターで真っ先に監房に誰かいないかを調べようとしたのも、それを確認するため。
仮に捕虜がいたとして助けられるわけでもないが、これだけ広い監房にいったいどれほどの捕虜が囚われているのか気になったのだ。
尤も、監房には見ての通り誰もいない。
「クレイドルは囚人を必要としていないのかもしれない。彼らの軍は将軍を除いて機械で構成されていた」
心の声──それはいつしか隣に立っていたデュナミスの口から語られた。
「でもそれならこの監房がある意味は何だ?」
桜井は彼女のことを特別気にしたりはせず、ただ疑念を口にする。彼にとって、これは心の中で行われる自問自答なのだから。
ホログラムのミニチュア監房に両手を触れ外側に動かし、拡大するジェスチャーをする。するとそれぞれの監房に紐付けられたリストが表示された。
「囚人の出入りがあるようね」
心の声──デュナミスの言葉通り、リストは過去に監房に入っていた人物を記録したもの。リストにある人物は国籍様々で、クレイドルが世界各地を襲撃したことを如実に表してもいる。
そして、ワルキューレは今アルカディアにいるはず。であれば、監房に捕虜が入ってくるのも時間の問題かもしれない。
「この監房は捕虜を一時的に拘留するための場所かしら」
「いいや……」
その時、桜井は監房のリストにある異変に気がついた。
「それだけじゃない」
言いながらも、彼は次から次へとホログラムに触れて多数のリストを見比べていく。リストの中に見知った名前があったというわけではない。いや、彼は確かにその名前に見覚えがあった。
だがそれよりも目を疑ったのは、その名前が全ての監房にあり、『収容不可』と記されていたことだ。
「ここは単なる監房じゃなさそうだ」
『セピア』。
それが何者かを知っていた桜井は生唾を飲み、やや急いで両手を内側に動かし縮小のジェスチャーを取る。
各監房の詳細から全体図へ移り、さらに縮小すると監房と隣接する区画までをホログラムで映し出す。
監房に隣接していたのは、クレイドル軍が投下される発着場であるハンガーだ。捕虜をスムーズに監房へ移すために近いのだろうが、桜井としても好都合。
「ハンガーに行こう。船を奪えば脱出できるかも」
彼は既にラストリゾートで、クレイドル軍のステルス機スキャフォールドを目撃している。軍の魔導母艦のハンガーならば、同型機があってもおかしくないだろう。
DSRから支給されている腕時計型のデバイスがあればある程度のハッキングは可能であるし、船から降りるにはそれに賭けるしかない。
何としてでもワルキューレから脱出し、無事にラストリゾートへ戻らなくてはならないのだ。DSR本部へ帰り、新垣に真実を問うために。
決意を胸にハンガーへ続く通路へ向かおうとすると、
「珍しいね。まさかワルキューレから脱獄する捕虜が現れるなんて、びっくりだよ」
桜井以外に誰もいないはずの監房に響く声。彼はすぐさま振り返ったが、声の持ち主の姿は見えなかった。それでも、彼──セピアがそこにいることは直感的に分かっている。
警戒心を強めよく目を凝らしていると、やがて壁をすり抜けて現れる人影があった。
「レリーフを連れ歩いてるんだ。そいつの手助けってところ?」
無意識か否か、桜井は右手に魔剣ライフダストを喚び出していた。戦いを避けることはできないと思ったのだろう。
しかし、彼の右手にはそっと手が添えられる。剣を納めるべきだと暗に告げるその手は、彼をすり抜けて前へと出た。
「戦う必要はない。元より、超能力者と私たちとでは敵うわけもない」
警戒心を持ち続ける桜井とは対照的に、抵抗する素振りを見せないデュナミス。そんな彼女が前へ出てきたのを見て、超能力者セピアは面食らったように首を傾げてみせた。
「へぇ、物分かりがいいね。物分かりの良い人は好きだ。だけど残念だよ」
そうして、ゆっくりと近づいてくるセピア。近づくと言っても、膝から下の足は塵となって流れていて、幽霊のように不自然な動きだった。
そうして、彼はゆっくりと手を伸ばす。手を伸ばすと言っても、指先からは灰がこぼれ落ち、触れれば脆く崩れてしまいそうな手だった。
飢餓に苦しみ痩せこけた体は、触れれば跡形もなく崩れてしまいそうに思えた。
「せっかく良き友になれたとしても、手を繋いだり、ハグをしたり、触れ合うこともできないんだもん……ねぇ?」
だがどうだろう。
「え…………どうして?」
なぜ、セピアの手はデュナミスの頬に触れても崩れることなく、その柔らかさと温かさが伝わってくるのだろうか。
セピアは久しく忘れていた感触を味わい、動揺を隠せずにいた。
「どうして私が触れても君は崩れない? どうして私は君に触れるの?」
彼の手はわずかに震え、反射的にデュナミスの頬から離れた。しかし、感触を名残惜しむようにもう一度触れようとした。
これが夢や幻ではなく、現実であることを確かめる。
そんな風に狼狽えるセピアを見たデュナミスは、
「かわいそうに」
そう呟くと、自分からセピアの手に触れる。彼の手は確かにそこにあり、彼女もまたそこにある。
思ってもいなかった事態にひどく怯えるセピアは、ひゅっと手を引っ込めた。
彼は今一度その手を見下ろすが、指先からはなおも灰がこぼれ落ちている。それを見て、彼は理解できないといった調子で戸惑いを口にした。
「私が触れるものは全て絶縁してしまう。誰かに触れることなんてできなかったのに……」
言うまでもなく、セピアは超能力者であり触れたものを絶縁させる。桜井はそれを当たり前に知っていた。
監房のデータベースでセピアの名を見た時、確かな危機感を覚えた。
デュナミスが彼を超能力者と呼んだ時、何の疑問も持たなかった。
そんなこと知らないはずなのに?
「────」
次第に朦朧としていく意識、その深淵から記憶が引き揚げられた。時によってふやけたそれは断片的で、焦点も合っていない。
微かに分かるのは、DSR本部のデータベースで検索をかけているということ。調べているのは九人の超能力者についてだった。DSRに入りたての頃は興味本位だけで色々な情報を調べていた覚えがある。
超常現象対策機関DSRのデータベースであれば、九人の超能力者に関する資料もあって当然。そう考えていた桜井だったが、当時の権限──エントリークラスでは閲覧制限がかかり見ることができなかった──はずだった。
『認証。ハイエンドクラスエージェント、桜井結都。アクセスを許可します。「超能力者・セピア」』
データベースの電子音声は、桜井が知るはずのなかった情報を読み上げた。
『この超能力者は触れたものの魔力を絶縁させてしまいます。言い換えれば、セピアはありとあらゆる魔法を無効化してしまうのです。この世に存在する万物であれば、自分自身でさえも例外ではありません』
セピアという名前。絶縁させるという力。
知ることができないはずの情報を、桜井は思い出した。彼はそれが矛盾していて、あり得ないことであると瞬時に理解した。
「────」
不可能な白昼夢から目が覚めると、目の前にはセピアが立っている。彼が超能力者であることは、もはや疑いようがない。
彼のあやふやな輪郭は時折揺らぐように見え、実在を感じ取るのは難しい。それは彼自身も同じらしく、デュナミス──桜井に触れたことで懐かしい実在という感覚に恍惚と浸っていた。
さながら、渇ききった喉で久しく美味しい食べ物を飲み下すように、幾度も幾度もその瞬間を反芻する。
「人の肌って、こんなにあったかいっけ?」
衝動を抑えきれなくなったのか、セピアは再び灰がこぼれる手を伸ばす。目の前に立つ、桜井の手に触れようとして。
あたかも、最初からそこにデュナミスの存在などなかったかの如く。
手を握られた桜井は状況に追いつくのに必死で、手を振りほどいたりはしなかった。
ただ、セピアが興味津々に自分の手を掴んだり揉んだりするのを眺める。まるで初めて目にする玩具を弄り回すようにして、彼はついに桜井の手を顔に近づけた。
何をするかと思えば、彼は手に鼻をつけて匂いを嗅ぐ。次の瞬間には思い立ったように手のひらを舐め出し、桜井は手のひらから伝わる冷たく、得体の知れない感触に顔を
あの手この手で飢餓を潤そうとするセピアに対し、桜井は為す術もない。相手が超能力者であるという事実がある以上、下手な行動を起こすことはできずにいた。
そもそも、なぜセピアは監房内にいるのか。考えられる可能性は一つだ。
「まさか、お前も捕らえられているのか?」
あの将軍の話が正しければ、クレイドルは魔を粛清しようとしている。魔法生命体レリーフはもちろんのこと、将軍は超能力者にも強い執着を示していた。つまり、超能力者であるセピアもまた、桜井と同じ立場であるかもしれない。
そう考えた桜井に対し、セピアは面食らったような表情を浮かべてから面白おかしく笑う。
「私が? ははっ、面白いことを言うね。私を留めておけるものはないんだ。この世界さえも、私を留められやしない」
その時、ワルキューレ船内に警報が鳴り響く。聞こえてくるのは監房と隣接するハンガーの方から。誰かが助けに来てくれたというのは希望的観測だが、何かが起きているのは間違いない。
この機に乗じて、船から脱出する。超能力者との遭遇で忘れかけていた本来の目的を思い出し、桜井はセピアへ声をかけた。
「それで、通してくれるのか?」
「もう行ってしまうのかい? 友よ」
思いの外、セピアに桜井を引き止める気がないらしい。仮にも桜井が脱出し、船内では警報が鳴っているというのに、彼は我関せずといったふうに続ける。
「まあ、どのみち私じゃ君を止められないしね。逃げられるものなら逃げてご覧よ」
その言葉が何を意味しているのか、はたまた罠に掛けるための嘘なのか。今の桜井には推し量ることすらできず、信じることもできない。
それでも、彼にはここから逃げる理由と目的がある。
桜井はそれだけを手放さないようにしながら、一歩ずつ後ずさる。決して、セピアには背中を向けず。桜井の方を見ようともせず、自らの手を感慨深そうに眺める彼から目を逸らさずに。
「ねぇ、また会える?」
ふと、そんなことを問いかけてくるセピア。
彼が何を意図して質問したのか、もはや推し量ることなど意味がないだろう。桜井は船内に響く警報に急かされながらも、短く答えた。
「見逃してくれるならな」
答えを受け、セピアはしっとりと微笑む。
心底嬉しそうに。
心底残念そうに。
無限に広がる砂漠においてオアシスを見つけ、それが幻か現実か。彼は天に答えを求めて天井を仰ぎ見ると、横へと視線を流す。
その時にはもう、桜井の姿はなかった。
しかし、セピアには確かな実在の感触が残っている。
絶縁されることのない、実在が。
手のひらに残っているのだ。
「約束、だよ」
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