第2章「地続きの天国と地獄」

第2章第1節「地続きの天国と地獄」

 魔法郷アルカディア・テノール地区。フォルテシモ宮殿が存在する行政区ソプラノに対し、テノールは有力貴族の下層と庶民たちの住む地区である。最大の特徴は全長数百メートルに及ぶ巨大な『ユレケラスの大樹』と、その木陰に擁されたルズティカーナ村だ。

 エンジェルラダーが拠点とするツリーハウスは魔法によってアルカディア各地のツリーハウスと重なって存在し、扉を経由すればそれぞれの場所へ自在に移動することができる。宮殿内部のツリーハウスにいたはずの桜井さくらいたちが扉をくぐると、眼前には絵本の中かと錯覚する神話的な村が広がっていた。

 ツリーハウスがある大木の何百倍ものスケールを持つ『ユレケラスの大樹』は、村をすっぽりと抱え込んでいる。さながら村が緑の大きな傘をさしているようで、見上げてあるのは青空ではなく巨大な枝葉と木漏れ日だ。遠方に広がる枝葉の上には人が何人も乗れるどころか、多数の民家や木の通路を行き交う人影が見て取れる。

「なんていうか、こんなの見たらさっきのツリーハウスなんて霞んじまうな」

「時間があったらアルカディアを見て回ったらどうです? 全部見終わる頃には卒倒してそう」

 桜井は脱いだ上着をツリーハウスへ預け、今はシャツにベストを着た格好だ。ネックストラップに提げた身分証は評議会を終えてからはベストの内側に挟んでしまっている。いつもと同じ格好で活動するほうが、故郷から遠い地にいても何かと落ち着くものだ。

 なぜか留守番をするというヴェロニカを置いて、桜井とシグナス、セレサの三人はルズティカーナ村へと降り立った。

 建物一つ取っても荘厳な雰囲気を持っていた大聖堂と違い、ルズティカーナ村はゆったりとした掘立て小屋が並んでいる。大樹の枝葉が太陽の光を遮っているせいか、空気感も薄暗くどこか寂しい。住人たちの様子も宮殿の周囲とはかけ離れていて、時折通りがかる村人たちも質素な身なりだ。宮殿で見た人々を典型的な貴族とすれば、まさに貧しい村人然としている。

 そして最も気にかかったのは、足元に溢れ返った無数の落ち葉。

「すごい落ち葉の数だな」

「おかげで村の人は仕事に困らないんですよ」

 桜井の瑣末な疑問に、セレサは丁寧に答えを教える。

「ルズティカーナ村に住んでるのは上流階級から弾かれた貴族の端くれとか、雇い主の貴族が没落して路頭に迷った使用人たちばっかりなんです。もし掃き掃除がなかったら、今頃ここは紛争地帯になってますよ」

 ツリーハウスからは絵本のように見えた村だったが、降りてみると質素な印象を受けていた桜井。彼の感性は正しかったらしく、アルカディアという社会の全体で見ればここは庶民たちの集落のようだ。貴族たちが住む大聖堂や宮殿との変わりようにも納得がいく。

 桜井に構う素振りを見せないシグナスは落ち葉を散らして村へ入っていき、セレサと桜井も後へ続いた。セレサの言った通り村人たちは箒を持って落ち葉を掃いていて、その内の一人の小太りの男性がこちらに気づくと恭しく声をかけてきた。

「おや、ルズティカーナ村に何か御用ですかな?」

 挨拶をしてきた男性の髪色は、茶色とオレンジ色が混じっている。セレサやヴェロニカと似た特徴的な髪色で、桜井はすぐさまその男が只者でないことを察した。

「魔法調律連盟に案内しろ。盟主に用事がある」

 やはりと言うべきか、小太りの男に対してシグナスは足を止めて取り合った。彼はここの顔役なのだろうか。魔法調律連盟とはなんだろうか。あれこれと推測していると、男は自分の耳を疑うように聞き返した。

「デュナミス様と謁見したいですって? あのフリゲート家の末裔であるあなたが?」

「勘違いするな、会いたいのはこいつだ」

 シグナスが桜井を顎で指し、小太りの男は箒を持ったまま顔を覗き込んでくる。

「ふむ、もしや例の桜井結都さくらいゆうと様ですか? お噂はかねがね聞いておりますよ」

 桜井のことを知っているらしい男は愛想笑いを浮かべ、途端に諂い始めた。

「俺を知ってるのか?」

 今日アルカディアに訪れたばかりで、ルズティカーナ村の村人と面識があるはずもない。にも関わらず自分の名前を知っていた男に、桜井は怪しんだ目を向ける。

 しかし、男はとぼけているのか真面目に言っているのか、大袈裟に声を強めて答えた。

「それはもちろん、デュナミス様はあなた様を待っておられますから。ささ、わたくしめが案内いたしましょう。フリゲートの末裔と一緒では、些か面倒でしょうからね」

 小太りの男は言うや否や、近くの小屋に箒を立てかけた。どうやら案内してくれるらしい。彼の言葉には気になる点がいくつもあるが、シグナスが黙っている以上は異論もないのだろう。

 いざ彼が先導を始めたかと思えば、またもや思い出したように人差し指を立てて振り返る。

「おっと申し遅れてしまいましたね。私はネスロメオ・ラピエール。覚えずとも構いませんが、『魔法調律連盟』にご入用の際はこの私めにお申し付けくださいませ」

 ラピエールという小太りの男は、音程の取れていない鼻歌を歌いながら村の奥へと進んでいく。

 桜井は後を追いながら、頭の中で状況を整理する。シグナスとラピエールのやり取りから推察するに、自分たちは『魔法調律連盟』の盟主に会おうとしているらしい。連盟の従者らしきラピエールに詳しく聞きたいところだが、彼はシグナスを挟んで前にいることもあり今は黙って従うしかない。特に、シグナスは気難しそうな性格だ。客人の立場を弁えるなら、無用に口出しをすべきではないだろう。

 セレサ曰く、ルズティカーナ村は没落貴族やその元使用人ばかりだという。ラピエールの板についた立ち振る舞いからして、彼もまた貴族の使用人だったのか。素性が気になるところだが、桜井にはより純粋に気になる点があった。

「失礼かもしれないけど、あいつとか君の髪色がカラフルなのって、やっぱり魔力の影響なのか?」

 隣を歩いているセレサや留守番中のヴェロニカ、そして前を歩くラピエールの髪色は二色含まれている。それが単なる偶然かどうか、桜井はあるニュースを思い出していた。ラストリゾートでは魔力の影響で二色以上の髪色を持つ人々が増えたという。染めたものではなく地毛で、である。アルカディアでは魔法植物がラストリゾート以上に繁茂しているため、妥当に当てはめられるはずだ。

 が、セレサは桜井の予想の斜め上をいく答えが明かす。

「あぁ、レミューリア人の髪色はみんなこうなんですよ。あなたにとっては珍しいかもしれないけどね」

 レミューリア人。聞き馴染みのない言葉だったが、セレサとヴェロニカは『堕天使』だとシグナスが言っていた。神々や天使が住まう世界を神話になぞらえるなら、レミューリアはそこ。

「……まさか」

 履き慣れない靴で歩くように桜井はラピエールを見ながら言う。

「じゃああの男も……?」

「うんそう。言い忘れてたけど、ルズティカーナ村には私みたいな堕天使もいっぱいいるよ。まぁ、私ほど悠々自適に暮らせてはいないけどね」

 涼しげな顔でスラスラと嫌味を含ませるセレサ。数時間前までなら疑ってかかっただろうが、今では彼女の言葉を信じこめてしまう。アルカディアでの常識や価値観に触れ始めているものの、桜井は未だその取り扱いに慣れていない。

 如何にも使用人といったあの男が堕天使。パズルのピースは一辺だけがはまってももう一辺がはまらないこともある。この世の事実にも同じことが言えるようだ。

 納得しながらも動揺する、地に足がつかない状態でいるとセレサは声を抑えて耳打ちしてきた。

「ラピエールはもともとレイヴェスナ卿に仕える宮廷道化師だったらしいけど、あるとき任を解かれたんだって。それから魔法調律連盟に拾われて、今じゃここの召使いってわけ」

 驚くべきことだろうか。この質素な村での案内人は本来であれば、あの宮殿での案内人だったかもしれないのだ。率直な印象で言えば、ラピエールにはあまり清潔感がなく想像のしにくいところだった。と、

「仰る通り」

 セレサとのやり取りが聞こえていたのか、ラピエールは足を止めずこちらを振り向かずに呟く。

「レイヴェスナ卿に仕えることは私の生き甲斐でしたのに、彼女に見放され生きがいを失いました。神がこの地を見捨てたように、レイヴェスナ卿もまた私を見捨てたんですよ。あぁ、同情は結構。あんな神のままごとに付き合うなんて、私もまっぴらごめんですから。稚拙な愚か者には叶いもしない理想を追いかけるのがお似合いですけどね、まったく」

 彼の言葉の節々には恨みつらみが滲み、声色は哀しみを帯びてもいる。桜井は同情を誘われそうになるが、告白を受けてセレサは目を丸くしていた。

「わお、言うね」

「……評議会の連中に聞かせてやりたいな」

 これまで沈黙を保ってきたシグナスでさえ、一言を挟む。もちろん桜井はすぐに理解できたわけではない。だが現地人である彼女らからすれば、ラピエールの言葉は良くも悪くも聞き捨てならないのだろう。何せ、彼は白昼堂々とアルカディアの女王を揶揄しているのだから。

 啖呵を切って見せた当のラピエールは、セレサとシグナスの言葉を受けてなおも退く気配はない。それどころかより勢いをつけて、

「評議会? 波長の乱れたお遊戯会の間違いでしょう。超能力者であれ貴族であれ、魔法調律連盟の崇高な理念の足元にも及びません。桜井様も、私を救ってくださったあのお方──デュナミス様にお会いすれば、きっと感銘を受けられるはずです」

 先ほどから聞くようになったデュナミスという名前。おそらくその人物こそが魔法調律連盟盟主であり、シグナスが会おうとする人物のはず。ラピエールとのやり取りではどんな人物か分からないが、シグナスが村に来る前に言い放った言葉が気がかりだ。

『レリーフに会いに行く』

 果たしてデュナミスとは何者なのか。果たしてシグナスは何を考えているのか。

 桜井はシグナスの様子を伺おうと、前を進む背中に視線を投げかける。ポニーテールにして高くまとめられた金髪、それが風に靡くといくつかの毛束が目を引いた。なぜなら、その毛はではなくだったからだ。

「…………」

 世界に魔法をもたらしたというユリウス・フリゲートを母に持つ少女、シグナス。彼女に関してはともかく、この村の奥に行けば彼女が何を考えているかが分かるはずだ。

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