三十七・疑惑(二)
「ルドカ様、大丈夫ですか? 昨夜はよく眠れなかったようですね」
公務のない日、午前の早いうちは、こうして武芸の鍛錬にあてることが多かった。主に紅玲から剣術や弓術の指南を受け、簡単な模擬試合をすることもある。
思いっきり身体を動かせる貴重な時間なので、普段は目覚めた直後から楽しみにしているのだが、今日のルドカは傍目にも集中を欠いていた。
紅玲は構えを解き、木剣の切っ先を下げる。
「やめましょう。怪我をする前にお休みください」
「……ごめんなさい」
「いえ、報告は受けています。なんでも猿が出て、夜の散策をされたとか」
「え、ええ、そうなの」
控えていた
猿はともかく、〝夜の散策〟は
(盟約を破ったらどうなるのかしら)
昨日はそれを気にする余裕などなかったが、一夜明けて落ち着いてみると、彼女に隠し事をしていることが、じわじわと気にかかり始めた。
ルドカとしては全て話してしまいたいが、セツに繋がる藍明の正体を容易に明かすことはできない。今の時点で打ち明けられるのは、
昨夜の別れ際、藍明はこう言い残した。
今はその機会だった。
元々、武芸の鍛錬を早めに切り上げ、場を整えるつもりではいた。心安らげるために
実行に移そうと思い、紅玲を見上げると、視線が合った。
内心であれこれ考えている間、観察されていたらしい。
「昨夜現れたのは猿だけですか?」
出し抜けに訊かれ、心臓が飛び出そうになった。
「えっ……え?」
「そういえば猿は、旅芸人が使う動物だなと」
紅玲の鷹羽色の目が、中庭を挟んで南側にある建物を鋭く睨んだ。その一角からは、三弦を
視線をやると、
三弦の音が止んだ。
「もし昨夜の猿が旅芸人の飼っているものなら、あの三弦奏者は猿を使って、外部と秘密裏にやり取りができるかもしれません。または、その猿は偽装で、騒ぎを起こす間に別の目的を果たそうとしたのかも」
「かっ、考えすぎじゃないっ?」
「あり得ない事態も想定するのが将軍の務めだと、前将軍から教わりました」
ルドカへと戻った紅玲の眼差しは、平素より険しい。後ろめたいものがあるだけに落ち着いていられず、ルドカはおずおずと尋ねた。
「紅玲……何か、怒っている?」
「怒っていますよ自分に。旅芸人が
それを聞いて胸が詰まった。
彼女は昨夜、王太子宮を辞して兵舎に戻った後、藍明の話を裏付けるための調査員を手配している。その仕事をこなした後に戻ってきて夜番を務め、翌日もルドカの護衛をするなど、全く現実的ではない。
わかっていながらそんな言葉を吐いてしまうほど、護ろうとしてくれている。
(セツのことを話してしまえばいい)
霊廟での出来事から全て教えたら、彼女がそこまで気を張る必要もなくなるのではないか。そんな声が胸の内で主張を始めるが、踏ん切りはつかない。
(
そう自分を戒める声の方が、今はまだ大きい。
「紅玲、疑わしく感じるなら、藍明に直接聞いてみましょうよ。ちょうど私も三弦を聴きたいと思っていたところなの。誰か呼んでくれる?」
直ちにルドカの要望が娘子兵たちの間で伝達され、やがて三弦を抱えた藍明が、しずしずと音もなく主殿の
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