十五・霊廟(八)
悪くないかもしれないと、ルドカは思った。
自分が青年の正体に疑問を
もっとも、王都から何日もかかる場所にいるのでなければ、の話だ。何か策を
その返答を聞くだけでも、一つ指標になるかもしれない。
「人質を取るわ」
言ってみることにした。
「正気ですか。面倒ですよ。死なない程度に世話をしなければならない」
青年は呆れたような顔をする。
「私は仮にも王太子よ。それくらい、なんともない」
「それはそれは。では考えましょう。何人か候補がいるが、王都から離れた場所にいる者を指定すると、あなたに妙な勘繰りをされそうですね」
どきりとした。見透かされている。
「なので、王都にいる者にします。霊廟を出た後にすぐ迎えをやれば、俺が小細工を弄する暇もありませんし」
何もかもお見通しだ。思わず不安いっぱいの眼差しで見上げてしまい、慌てて視線を逸らした。嘲笑われている気がするが、前言撤回するのも下策に感じる。
「言っておきますが、あなたが一方的に疑っているだけで、俺に後ろ暗いところはありませんから。気を張るだけ無駄ですよ」
「いいから、誰を人質にするのか教えて」
「今、仲間の一部が王都にいます。‶
旅芸人が仲間というところに、ルドカは驚いた。
「その人は……大切な人なの?」
「恋人です」
一瞬、この青年にそんな血の通った関係の相手がいるのかと、失礼なことを思ってしまった。本当に恋人なら人質に値するが、どう確かめたらいいのだろう。
「本人に直接聞いたらいい。俺がいつも、どんな風に愛しているか」
考えを気取ったようにそんなことを言われて、ルドカは思わず赤くなった。
「本人だと確実にわかる特徴は?」
「俺と同じ刺青があります」
後ろで一つに編んだ髪を肩に除け、青年が屈んでうなじを見せた。
近寄って覗き込むと、三角形と円を重ね合わせた形の藍色の刺青が、髪の生え際に小さく彫り込まれていた。
この不思議な空間の壁や、霊廟の壁画に彫られている文字に似ている。
「俺の体は王都ではない場所にあるので、案内はできません。
「セツ?」
「
そう説明を加えられ、ルドカの脳裏に、冷たい雪の白さが浮かんだ。
険しい山の岩肌に亀裂を入れる深い谷。その底で誰にも触れられず、融けることもなく、ずっと同じ白さと冷たさを保ち続けている万年雪。
「セツ」
思わず声に出して呟いた時、竹笛の音が聞こえた。
背後を振り返る。不思議な文字が配された白磁のような壁に、銀色の丸い鏡が嵌め込まれている。音はその奥から聞こえてくる。
もう四半刻(三十分)が過ぎたのだろう。反射的に吹き返そうと胸元を探ったところで、ここで吹いても聞こえない、とセツに止められた。
「今のあなたが身に着けているものは、実体の影に過ぎませんから。それに、もう戻った方がいい。下手すると本当に死んでしまうので」
そういえば、「普通の人間の魂が
「どうやって戻ればいいの?」
「誰かが体に触れてあなたに呼びかければ、魂は勝手に戻ります」
ルドカは葬儀の時の作法を思い出した。喪主が遺体に手を触れて三度名を呼ぶ。それでも息を吹き返さなければ、本当に死んだと見做されるのだ。
竹笛の音がまた聞こえた。十秒おきに三度鳴らして返答がなければ、家来が霊廟に入って主の無事を確かめる決まりになっている。
「頃合いを見てまた接触します。稗官の存在は王だけの秘密ですから、侍従や護衛に俺のことは言わないように。そうなると藍明の説明に困るでしょうから、助言しておきましょうか?」
焦ったような三度目の竹笛が聞こえた。間隔が短い。
ルドカは慌てて頷いた。言われてみればそうだ。誰にも説明できないまま、旅芸人の女性を王太子宮に留め置いたら、皆が困惑するに違いない。
「まず、三弦の名手の噂を聞いたので、お忍びで会いに行くことにする。
藍明に接触し、人質になれという俺の指令を伝える。
表向きは、あなたが藍明に惚れ込んで、愛人として囲ったと思わせておく」
ぐんっと体を後ろに引かれる感覚がした。
正しくは、魂が
愛人?
視界が銀色の光で埋まり、風や水流に似た音が耳の奥で唸った。
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