十四・霊廟(七)

 自分の周りを囲んでいた高い壁が、音を立てて崩れ去っていくような感覚に、ルドカは陥っていた。

 霊廟に入る前と今とで、世界はがらりと姿を変えた。

 違う。変わったのは自分の方だ。


(私は何も知らなかった……)


 青年が次から次へと明かす隠された国の姿に、立ち尽くすしかない。

 見える世界が広がったからといって、どこをどう進むべきかわからないのは、相変わらずだ。

 そんな自分を彼は、女王になれる場所まで導くと言う。

 己の目的のために。


「あなたがいなければ無理……?」

 ルドカは拳を握り締めた。


 傲慢に過ぎる物言いだと一蹴したかったが、彼の兄がジスラの配下であるというのが本当なら、確かにその通りだろう。

 王しか存在を知らない影の特殊能力者に対抗するためには、自身もそうである者に頼るしか方法がないのだから。


 青年の売り込みはむしろ、歓迎すべきものだ。

 でも、もうりょうを使って邪術めいた語りをする彼のことを、真正面から信頼できる気がしなかった。本当のことを話しているかどうか、自分にはわからないのだ。


 己の無力さを痛感していたところに、救いの手が差し伸べられる。

 話がうますぎるのではないか。


「あなたがジスラ様と兄君の手の者ではないという、証拠を見せて」

 思い切ってそう告げると、青年は軽く目をすがめた。


「……へえ」

 感心にも聞こえる声を漏らし、腕を組んで小首を傾げる。

「そこを疑いますか」


「当たり前でしょう。ジスラ様と兄君にとって私は邪魔者だということが、更にはっきりしたのだから」

 なるべく堂々と話そうとすればするほど、語尾が揺れた。


「あなたは最初、自分のことを稗官はいかんだと言ったけれど、時の王に任命された人が稗官になるのだから、本当は候補に過ぎないわよね。

 でもそれは兄君も同じこと。

 先君の御代に稗官の地位を引き継いだにせよ、王が不在の今はあなたと同じ稗官候補の立場に戻っている。

 稗官になった者がりん家の惣領の地位を継ぐのだから、その立場も今は暫定的なものになっている。そういうことよね?」


「その通りです」


「だったら兄君は、自分の立場を再び盤石なものにしたいはず。確実に召し抱えてくれるジスラ様を、一刻も早く即位させたいでしょうね。

 ジスラ様だって、そんな配下を手元に置きながら、何も仕掛けないはずがない。

 まずは最小限の手間で済むよう、私の懐に手の者を送り込んで、身を引くよう仕向けると考えるのが自然よ。それがあなたかもしれない」


 生身なら心臓がばくばく脈打っていたに違いない。

 そこまで年齢が離れているとは思えないものの、妙な威圧感のある年上の男性を前に、これだけのことを言うのは勇気が必要だった。

 けれども自分にだって、ごく少数ながら、護り慕ってくれる寧珠ねいじゅ紅玲こうれいのような家来がいる。簡単に丸め込まれるような主にはなりたくない。


「もし俺がジスラ殿下の思惑に沿って動く者ならば、手の内は明かさないと思いませんか。あなたを陥落させるなら蒙術か瞭術を使えば十分だ。

 稗官についても、もっと適当な説明をしておけばいい。そうしなかったのは俺なりの誠意です」


「そうやって信じさせるためかもしれないわ」

「なるほど。思ったより疑り深い公主だ」


 面白がるような口ぶりで言いながら、彼はこちらの出方を冷静に見定めているとルドカは感じた。掴み所がなさすぎて、疑い始めたらキリがない。

 身動きの取れない泥沼に引きずり込まれるかのよう。

 これも蒙術の一種だろうか。


「では、そちらの条件を呑みます。どうしたら俺を登用してくれますか?」


 今度は丸ごと主導権を渡してきた。

 ルドカの心境は嵐の中の小舟だ。こんな扱いづらい人、本当は登用しないのが一番なのかもしれない。

 けれど、もし全てが真実だった場合、彼をみすみす手放すのは痛手だ。


 兎国にはきっとまだ、自分の知らない何かがある。

 権力に固執するわけではないが、女王の座を諦めずにいれば、いずれその全貌が明らかになるのではないか。


 疑問が湧くと、とことんまで追い詰めてしまうルドカの性質を、女らしくないと言って父は嫌った。愛されるためにルドカは、それを隠した。

 でも、もう父はいない。

 女が王になってはいけない納得の理由さえ見つかれば、自分は潔く身を引くだろう。それまでは、どんなに嫌な顔をされようと、進めるところまで進んでやる。


 目の前の青年を見極めることは、喫緊の重要課題だ。

 とはいえ、自分から登用の条件を提示するというのは、恐ろしく難問だった。


「まず……あなたが本当に私のために働く気があるのか、それを示して」

 具体的なことが何一つ浮かばないので、あやふやな言い方になった。


「本当に私を女王にする気なら、何か計画があるのでしょう?」

「そうですね。でも、それにはあなたの協力が必要だ。ご希望の忠誠心を示しますから、もっと手っ取り早い命令をしてくれませんか? 誰かを殺して来いとか」

「こ……」

 物騒な単語に、自然と身がすくんだ。頼まれたら誰でも殺すのだろうか。


「そんな命令はできないわ!」

「残念。じゃあ、あれを盗んできましょうか。玉璽ぎょくじ


 とんでもないことを言われ、絶句する。

 玉璽は国政に関わる文書の決裁に必要な印章だ。せば王の意思でその命令が下されたことになる。

 今は宰相のジスラが保持し、王の代理であると示すために斜めに捺している。

 それを盗み出せば、国政をほしいままにしようとする邪な意図を疑われても仕方がない。


「兵符も揃えれば諸侯の軍を一気に掌握できますよ。どうです?」

「絶対にやめて!」

「それじゃ、どうしろと? ひざまづいて足に口づけでもしましょうか」

 青年は煩わしげに前髪をかき上げ、溜息をついた。


「先に言った二つは、こういう時の定番のやり方です。あとは遅効性の毒を飲ませておいて解毒剤を預かるとか、人質を取る方法もありますが」


 ルドカはたじろいだ。毒なんて人に飲ませたら、一生眠れる気がしない。

 人質。もし彼が裏切ったら、その人質をどうにでもしろ、ということだろう。

 自分に残虐なことができるとは思えないが、他の案よりはマシな気がした。


「もし人質を取ると言ったら、あなたは誰を差し出すの?」

「その方法を選ぶと決まったら考えます」

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