三十二・悪夢(四)

「待って、おかしいわ。たまたま人質だったからうまくいったけど……」

 思わず口元に手をやり、ぶつぶつと独り言つ。

「人質を取ることを選んだのは私よ。別の方法を選んだらどうしたのかしら」


「ああ、ルドカ様。セツはね、ほんの少し話しただけで、相手の特徴を掴むんです。その上で、どんな会話からでも、自分の用意した結論に相手を誘導します」

 聞き咎めた藍明らんめいが、どこか申し訳なさそうな声を出した。


「彼、人質の話になる前、別の無茶な提案をしてきませんでしたか?」

「ええ、したわ」

 ルドカはこくこくと頷いた。忠誠心を示すから、誰か殺すか玉璽ぎょくじを盗むか、手っ取り早い命令をしろと言われた。


「それが罠です。典型的な詐術さじゅつ手管てくだです。人は、無茶な提案や頼みごとをされた後に、それより難しくない話をされると、つい受け入れてしまうんですよ」

「え、でも、人質を取ると言ったらあの人、呆れていたけど……」


 言っている傍からルドカは自分で気付いた。演技だ。あれも手管だったのだ。

「選ばされたということ!?」

「そうです。だから、お気を悪くしないでくださいね、と」


 ルドカはむくれた。掌中で操られながら、気を悪くするなと言われても無理な話だ。気配を察したのか、藍明は慰めるような口調で裏事情を漏らす。


「セツは相手を見て柔軟に対応を変えます。もしあなたが計画の邪魔になるほど愚鈍であれば、こちらで仕立てた別の貴族役の前で例の暴漢事件を起こし、ハサライの話を持ち出して、塞尚食さいしょうしょくまで繋げる予定でした」


 そうならないだけ聡明だったと言いたいのだろうが、あまり気は晴れない。


「それで、その用意周到な計画は、一体いつから立てていたの?」

「一年ほど前からです」

「い……一年!?」


 ツンと鼻先をそっぽに向けていたルドカは、思いもよらない返答に目を剥いた。思わず藍明を振り仰ぐが、暗くて表情はよくわからない。


「あなたがどういう時に霊廟へ行くのか、確実に予測する必要がありましたので」

「そんなに前から……」

 絶句する。用意周到と口にはしたが、想像以上だ。


「そこまでしてなりたいものなの? りん家の惣領って」

「目的があるのです。機が熟さず、まだ多くは語れませんが……」

 不意に藍明が寝台を降り、床に跪くのがわかった。

 少し前の自分のように、闇の中で袖と袖を合わせ、揖礼ゆうれいする気配がある。


「ルドカ様。突然現れたセツを疑い、忠誠心を量ろうとしたあなたの判断は、間違っていません。私が純然たる人質としてここへ来たわけではなく、全てはかりごとの一端と知られれば、御不興を買うのも無理からぬこと。それでも伏してお願い申し上げます。私を近くに置いてください」


 先ほどとあべこべの状況に、ルドカは戸惑った。人質として連れ帰ったはずが、実は相手方の計画通りという真相は、確かに穏やかではない。


「暴漢から私を守ろうとしてくださったこと、ハサライへの誠心誠意の謝罪に、胸打たれたのです。これはセツと関りのない、私個人の気持ちです。お傍にいる限り、どんなときにもあなたを護ると、約束します」


 闇の中で黒い影がゆっくりと頭を下げてゆく。

 ルドカは寝台を降り、肩に手を置いてそれを止めた。


「頭を上げて。あなたを放り出したりしない。あなたが私を殺す気ならとっくにそうできるということは、わかっている。その言葉、ひとまず信じるわ」


 再び手に手を取る形で、向かい合わせに立った。

 立つと藍明の方が、頭一つ分ほど背が高い。

 ひとまずですか、という呟きと笑い含みのため息が、頭上から落ちてきた。


「用心深いですね」

「ついさっき、そうでもない自分を反省したところなの」

「ではさっそく、忠誠心を示す機会をいただいても?」

「え?」

「この宮、微かですが、匂います」

 すんと鼻を鳴らし、藍明は声を低めて囁いた。


「近頃、悪夢を見ませんでしたか?」

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