三十一・悪夢(三)

 どう反応したらいいかわからず、ルドカは固まった。

 床に座り込んで膝を突き合わせ、手を取り合った姿勢のまま、藍明らんめいは視線を流して悩ましげなため息を漏らす。


「あの時も、ちょっと危ない気はしたんです。ほら、剣を抜いて私を暴漢から守ってくださったでしょう? あんなの予定になかったから、あなた自身が咄嗟とっさに動いてくれたのだとわかりました。よろめきますよね」


「予定?」

 その言葉にハッとして、ルドカは思わず身を乗り出した。


「やっぱり、あれは全部、セツが計画していたこと!?」

「しー、声を抑えて。すみませんが、とばりの中に入れていただいても?」


 二人は天蓋から垂れ下がる帳の中に移動し、寝台に並んで腰かけた。月明かりが届かなくなり、闇が深くなる。


「私も教えてほしいことがあるんです。あなたは私に、『しばらく人質になってもらう』と言いました。承知してみせましたが、実は、それも予定になかったことです。一体、セツとどんな会話をしたのですか?」


 それを聞いてルドカは、セツはあの後、本当に仲間たちと接触していなかったのだと知った。


(じゃあ、藍明の言う『予定』は、いつ立てられたものなの?)


 気になるが、ひとまず今は自分が語る番だと察し、記憶を探る。


 月蛍つきぼたるを追ってセツに会い、稗官はいかん蒙瞭もうりょう術について聞いたこと。セツ自身の目的のため、ルドカを女王にする必要があると明かされたこと。登用されたければ信頼に足る証拠を見せるよう、彼に迫ったこと。その結果、藍明を人質に取る流れになったことを、ぽつぽつと話す。


「別れ際、周囲の者たちへの説明に困るだろうから、愛人を囲ったように見せかけろと言われたの。とても無理だと思ったわ。でも、蓋を開けてみれば、準備されていたとしか思えない状況で……」


 言葉を切ったのは、小刻みな震えが隣から伝わってきたからだ。

 一瞬、藍明が泣いているのかと思ったが、違った。

 笑っている。


「藍明、どうしたの」

「いえ、ごめんなさい……あの、事情がわかりました。今度は私がお話する番ですね。ルドカ様、どうぞ、お気を悪くしないでくださいね」


 笑いを噛み殺したような声で言ってから、咳払いを一つ。

 打って変わって落ち着いた口調で、藍明は語り始めた。


「まず、こちら側の視点をお話します。細かい目論見もいろいろありましたが、最大の目的は、私がこうして王太子宮へ上がることでした。セツがあなたと接触し、遊花街いろまちに向かわせるところが始まりです。私はあなたの目の前で暴漢に襲われ、仲間に助けられた後、己の悲運を切々と訴える手筈てはずになっていました」


「暴漢……」

 聞き捨てならず、ルドカはつい口を挟む。


「あの暴漢もやっぱり、あなたたちが用意した人だったのね」

「あれは本物です。しつこく言い寄ってきたくせに、少し裸を見せてやったら逃げ出し、貢いだ金を返せとうるさく付き纏うようになった男です。面倒なので、蒙術でちょっと仕込んで使ってから、巡軍じゅんぐんに引き取っていただいたのですわ」


 ルドカにしてみれば耳を疑うような世界の話だ。藍明が朗らかに笑って言うものだから、余計に凄みが増して聞こえる。


「あなたは私に同情を示し、女だてらに身請けを承知するだけでよいと、セツから言い含められているはずでした。後はさっきの猿にでも笠を取らせ、旅芸人の女を身請けした剛毅な貴婦人は王太子なのだと、民草に知らしめれば大成功。ところが、あなたの言動は予定と違っていた。何が起きたのか不思議でしたが、お話を聞いてわかりました。あなたは詳しい計画を知らされておらず、お膳立てされた場だなんて思いもせずに、心のまま動いていたのですね」


 ようやくルドカも合点がいった。まるで準備されたような状況だと思ったのは、まさにその通りだったからなのだ。


 セツは元からあった計画に、偶発的な人質の話を盛り込んでみせた。ルドカの猜疑心をかわしつつ、計画自体は円滑に進めるために。

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