三十三・紅玲(一)
城下の兵舎にて部下たちと共に起居する彼女は、日の出前に起床してすぐ、前日に捌ききれなかった報告書に目を通す。然る後に中庭に出て、朝稽古で身体を温め、部下たちと同じ
短時間で出仕の支度を済ませ、その日の当番兵と共に駆け足で王城へ上がり、内堀前の
この間、衣服や髪など風に靡くもの以外、一切動かさず整然と待つよう、部下たちには言い含めてあった。
舐められては困るからだ。
巨大な朱塗りの外門の守備に就き、こちらと対峙する形になっているのは、
女は可愛がるものと素朴に思い込んでいる
南衛軍は素直で良かったが、問題は、外朝の要所と内朝の守備防衛を任務としている、
彼らは大抵、娘子軍より少し遅れて外門前に現れる。女たちの数倍は人数を揃えた男たちが、駆け足というより全力疾走で猛然と迫り来る様は、やはり迫力があると認めざるを得ない。
その先頭に立つのは、范家と肩を並べる名門武家の嫡男、
歳は紅玲の次兄と同じで、二つ上。自他共に認める洒落者の色男かつ、軟派な態度の割に腹の底を見せない人物として、評価が定まらない印象のある男だ。
范家と蘇家の始祖はどちらも、
そのせいか、容姿に異国の雰囲気が漂い、
紅玲に言わせれば、彼は武人らしさの欠片も見いだせない、唾棄すべき自惚れ野郎だった。まず、耳に穴を開けて飾りをつけている時点で許せない。そんなものをつけている暇があるなら素振りの一つでも追加しろ。
隣に並び立つなり、周季は白々しい挨拶を寄越してきた。
「おはよう、范家のお嬢さん。昨日は王太子殿下が
紅玲は前を向いたまま、お義理全開でぶっきらぼうに応じた。
「おはよう蘇家の若旦那。お聞き及びでしょうが昨日の顛末は王太子殿下が卑賎の者にも
「おや、いつもより会話が弾む。見かけほどにはその鉄面皮も硬くないらしい。卿のごとき根っからの武人が言葉を尽くさねば保てないほど、そちらの屋台骨は人情やら慈愛やらの甘い蜜に浸りきって軟いというわけですね。お察しします」
「黙れお喋り野郎」
「縮め城壁女」
最終的に端的な悪口の応酬となったところで、時を告げる太鼓が鳴った。
南衛軍の兵士たちが外門を開けるや、待機していた兵士や官吏たちが一斉に小走りを始める。それぞれの身分や職分に応じて、門も橋も通るべき場所が決められており、どちらも中央は王族しか通ることができない。
武人の門では、一瞬速く反応した紅玲に続いて、娘子軍が先に入城を果たした。蘇周季との会話を聞いていた副官が紅玲の背後で呟く。
「あいつの耳たぶ、飾りごと引きちぎっていいですか」
「駄目だ。私がやる」
冗談ともつかない口調で返しながら、紅玲は頬を引き締めた。
将軍同士の関係は軍全体に伝わるものだ。馴れ合うよりは、多少の挑発合戦をするくらいの方が、互いを競争相手と見做して良い緊張感が生まれる。だが、今年に入ってから娘子軍への風当たりは、それまでと明らかに毛色が違ってきたと紅玲は感じていた。
理由は言うまでもなく、ルドカが王太子の地位を退かないからだろう。
万一ルドカが即位ということになれば、国王の身辺を最も近くで護る重要な役どころの親衛軍に、史上初めて娘子軍が加わることになる。そんな想像をせざるを得ない状況が、男たちを苛つかせているのだ。
成人王族は必ず、どこかの軍の
女性王族の場合、娘子軍の上将軍が空いていなければ、全く関りのない辺境の一軍の上将軍となり、本当に記録上だけの関係で終わる場合も多い。
ところがルドカは娘子軍と身近に接しており、紅玲とは深い信頼関係を築き上げている。即位となれば当然、親衛軍に引き上げないわけがなく、その誉れ高い将軍職は紅玲の手に落ちること必至と、誰もが考えるのが自然だった。
もちろん実際問題として、女の
ちなみに、蘇周季率いる北衛軍の上将軍は、色男の親玉たるジスラだ。北衛には顔面審査があるらしいと、まことしやかに囁かれる所以である。
(女王が生まれないことを当然としてきた国。それが美談としてまかり通り、誰も疑問に思わないうちに、男が全てを決める体制が整えられてきた……)
無理もない。生まれた環境がそうなら、人はそれを自然の摂理と捉える。
紅玲とてそれが当然と思っていたのだ。ルドカに会うまでは。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます