十二・霊廟(五)

「一つ聞きたい。なぜ王太子の地位を降りないのですか」


 急に話を変えられ、ルドカは眉をひそめた。

 下位の者からざっくばらんに振られて良い話題ではない。だが、この空間で身分を強調しても虚しいだけだろう。


「そうする理由がないからよ。女は身を引くのが正しい選択なのだとしたら、私がこの白銀の髪を持って生まれてきたのは、一体なんのため? 『華国世話』に伝わる公主の逸話が理由だというのなら、納得できないわ」


「でもあなたは、心のどこかで、もう逃げたいと思っている」

 鋭い指摘だった。すぐには返答できず、ルドカは青年を睨む。

「私が兄上の木牌に話しかけるのを、聞いていたわね!」


「聞かなくてもわかる。あなたは今、宮廷で針のむしろの上にいる。誰もあなたの即位を望む者はいない。努力は空回りし、目指すべき道もわからない。

 そもそも、旧例に疑義を差し挟むのは構わないが、それだけの才覚があるのでしょうか。あなたが即位したところで、女王に対する幻滅を増幅させるだけかもしれない。それどころか国政に失敗し、月兎に見放され、民や家畜を餓死させた挙句に、国を滅亡させるかもしれない。

 意地を張り通した結果、無数の無辜むこの命であがなうことになってもいいと?」


 口を開けたまま、ルドカは二の句が継げなかった。

 面と向かってこんなに批判めいたことを言われたのは、生まれて初めてだ。

「……誰にも望まれていないわけじゃないわ。紅玲こうれい娘子じょうし軍の将は……」


「ああ、女の身に不満を覚えやすい職業の筆頭ですね。訓練や義務は男と同等に求められるが、給金や待遇には差がある。娘子軍の役割はあくまで女性王族の警護であり、戦場や匪賊ひぞくの討伐において作戦を任され、それを足掛かりに出世できる目はない。

 女が王ならあるいはと、夢を見るかもしれません。ですが、その方は一体、どれだけの軍勢を率いることができますか」


 肉体は霊廟に置いてきたはずなのに、冷や汗が背を伝う気がした。


 娘子軍における正規兵の数は千に満たない。結婚や出産に伴う休職者がたびたび発生するので熟練兵が少なく、月経による体調不良者も常に一定数存在する。万全な態勢で即時対応が可能なのは、半数程度と見積もった方がいいだろう。


 対して、不在の王に代わり玉璽ぎょくじを預かるジスラは、宮軍と呼ばれる宮中警護兵と巡軍と呼ばれる王都防衛兵、併せておよそ一万は即時動員できる。

 自身や協力者の雇っている私兵をも合わせれば、その兵力はさらに上がる。

 兵符を使えば各州の諸侯の軍隊さえ動かすことが可能なのだ。


 売り言葉に買い言葉で紅玲の名を出しはしたが、ルドカとて、叔父と軍事面で事を構える気は毛頭なかった。だがそれは、お互い様だと思っていた。

 正当な王太子であるルドカに兵を向かわせれば、いくら人望厚いジスラであっても謀叛だ。女王太子はあくまで、自ら身を引く形を取らねばならない。そうでなければルドカなど、とっくに引きずり降ろされている。

 それなのに突然、兵力差を指摘されるとは。

 軍事衝突などありえないと考えていた自分は、甘いのだろうか。


「事が起こればあなたの味方は全員が死ぬ」


 黒々とした瞳に見据えられ、ルドカの視線は行き場を求めて彷徨った。

 そうじゃない、と反論したかったが、寄る辺がどこにも見つからなかった。

 セドクが背中を押してくれた。百年後の公主のため。

 自分にとっては大きなことでも、今生きる臣民にとっては関係ない。


 不吉な女王を倒すためにジスラが立ち上がれば、それこそ天命であると、皆が支持するのではないか。単に暗殺されることだってあり得る。

 考えれば考えるほど、己に分がないことがわかる――


「……と、まあ、こんな具合です」


 不意に青年が声音から毒気を抜いた。

 そうされて初めて、今までの口調に毒が含まれていたことに気付いた。

 夢から醒めたように、ルドカは目をしばたたく。

 今のはなんだ。


「わかりませんか? これが‶もうを操る〟です」


 青年の言葉に、数拍置いてから、寒気が走った。

 自分は今、実際には起きていないことを理由に、くじけようとしていなかったか。

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