四・決意
兄は己の運命を予感して、様々なものをルドカに残してくれたのではないだろうか。今になってそう思う。
――王は百年、五百年、時には千年先を見て動かなければならない。
会話の折々にそんな格言めいた言葉を混ぜたのも、恐らく、王としての心得を学ぶ機会のないかもしれない妹を案じて、先に教えてくれていたのだ。
実際、王太子になったルドカに、帝王学を教える者は誰もいなかった。
ルドカは十歳までしきたり通りの王族教育を与えられ、その後は他の貴族家の姫と同様、いずれ他家に嫁ぐことを前提とした女子教育を施されることになった。
父、夫、息子に従い容姿を整えよ……などと教える『三従四善』を読み、琴や刺繍の腕を磨くことを求められたのだ。指南役はいつのまにか女老師ばかり。
宮廷人の期待は全て、先君の弟である、人望の厚い叔父に向けられていた。
未成年であるうちはと理由付けられ、朝議の場にも参加できない。本当に名ばかりの王太子で、これでは兄の残してくれた言葉が無下になると危機感を覚えた。
そこでルドカは、静かに、せめてもの抵抗をすることにした。
空いた時間に勝手に
そして考えた。
兄に教えられた通り、百年、五百年、千年先を。
「あのね、例の故事を知った時、女はその程度かと思って、私は悲しかったの」
寧珠に話しかけるというより、自分に言い聞かせるように呟く。
「父上の忠告に従って、ここで身を引くことは簡単よ。でもそれでは、同じことの繰り返しになるだけ。百年後、私と同じような公主が現れて、きっとまた同じ思いをするわ。でも、もし私がここで、身を引かなかったら……」
たとえ一瞬でも、王になったなら。
百年、五百年、千年先に、史書の片隅にでも、その事実が記されていたなら。
「人が前例に倣うものだということは、よくわかった。だったら、私が女王になることが、いずれ何かの礎になるかもしれない」
自分の髪を弄ぶのをやめて、ルドカは顔を上げた。
不安げに眉尻を下げる寧珠と目が合う。その視線に向けて、きっぱりと言う。
「だからやっぱり、父上の忠告に従うことは、できない」
「ルドカ様……」
寧珠は震え声を出し、そわそわと周囲を見回した。
王都・
あまり怖がらせてもいけない。ルドカは口調を和らげた。
「もちろん、父上のことは尊敬しているわ。どこまでできるか試したいだけ」
「そのお気持ちは結構ですよ。ただ、御身に危険が及ばないか心配で……」
「ああ、お腹が空いたわ。ばあや、
説教が始まりそうだと察してわざと声を尖らせると、寧珠は我に返ったような顔つきで花窓の方を見た。
「まあ、影がもうあんな。すぐに支度をしなくては!」
慌てた様子で寝台の柱に取り付けられた鈴の紐を引く。
シャンシャンと涼やかな音に運ばれるようにして、女官や宮女たちが滑らかな足取りで入室してきた。朝の支度を携えて前室に控えていたのだ。
寝台の傍に風除けの屏風が設えられ、ルドカは室内履きに足を入れてその中へ入った。
差し出された水盆で手と口を清め、濡れた布で顔を拭った後は、立っているだけで事が済む。夜着を剥がれ、あっという間に公務用の衣服を纏わされた。
王太子が公務の時間に着る前合わせの長衣は、黄の絹地に銀糸で月光紋を刺繍したものと決められている。王になると、紫の絹地に金糸の月兎紋となる。
白銀の長い髪はそのまま王権の象徴になるため、冠の据わりを良くするために一部だけ髷を作り、あとは背中に流しておく。
この髪色は月兎の加護により、王の子のみに発現すると決まっていた。
もし即位前に生まれた子がいれば、その髪色は親の即位と同時に白銀に変わる。誰に王位継承権があるのかが、ひと目でわかる仕組みだ。
兎国で現在、白銀の髪を有する人物は、ルドカの他に四人いた。
先々王の正室の子である叔父の
先々王の側室の子で、州大公に封ぜられて王都を離れている二人の叔父。
中でも宮廷人がこぞって王になることを切望しているのが、宰相として病身の兄をずっと支え続け、今はルドカの後見役をしているジスラだった。
王位継承順位から言っても、ルドカに次いで第二位と、順当である。
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