二十六・出自(二)

 丞土じょうど大陸の中央部には、雨が少なく植生に乏しい、砂や岩石ばかりの広大な沙漠地帯が広がっている。


 沙漠といっても、まったく水に恵まれないわけではない。外縁部には周辺の山脈から流れ込む河川も多いし、河川に恵まれない場所であっても、地中の硬い岩盤層の下には、大昔から溜め込まれた水が眠っている。

 後者の場合、地下水路を築いて水源から地表面まで水を誘導すれば、植物が育ち人も住めるようになる。


 ハサライは、そうして生まれた緑泉オアシス都市の一つだ。

 歴史は古い。少なくとも、帝国以前よりその存在は記録されている。


 小規模ながら独立国家の機能を備え、時代ごとに勢いのある周辺国と柔軟に結びついて、強かに生き延びてきた。兎国とこくが成立した時も、早々にその傘下に収まることで、東西交易の要衝としての地位を盤石なものにした。


 広大な平野である華瞭原かりょうげんには、同時期に成立した五つの神獣加護国があるが、中でも北西に位置する兎国には、西域との交易がしやすい地の利があった。

 南方から延び華瞭原の西側を通って北辺にまで至る鱗剣りんけん山脈の険しい峰が、兎国の左肩の辺りでふと途切れ、急に低くなっているためだ。


 王都・白麟はくりんからは、十分な替え馬と人の用意があれば、五日ほどで着くという。

 足の遅い隊商の列ならば、その数倍はかかるだろう。


 ルドカはもちろん、行ったことなどない。が、ハサライより献上されたという珍しい香料や香木、絨毯、毛織物や金属器など、異国情緒漂う品々が宮殿内に溢れていたため、遠い親戚のような繋がりを幼心に感じていた。


 その状況が一変したのは、十年ほど前のことだ。

 北方の高原で頭角を現した新興の騎馬民族に急襲され、ハサライは兎国が援軍を差し向ける間もなく、壊滅状態に陥ってしまったのである。


「首長家の者は、血縁者はもちろん、奴隷に至るまで皆殺しにされました。民も多くが西域に売られ、様々な地で奴隷になったと聞きます。わたくしもその一人でした。たまたま乳母めのとの家にいて、命だけは助かったのです」


 まさか、首長家の生き残りがいたとは。

 ルドカと同じく、寧珠ねいじゅも相当な衝撃を受けているようだった。先ほどまでの剣幕はどこへやら、魚のように口を開け閉めしている。


「その話が本当なら、お前の名は……」

「元の名はサニヤ・ラディフィヤ。無礼を承知で申し上げます。私の母は第三夫人でしたが、さい氏の傍流より嫁いだ者であり、あなた様は塞家宗主の奥方であらせられます。わずかながら、ご縁がございます」


 淡々と喋る藍明らんめいの言葉には淀みがない。


(そういうことだったのね)

 ようやく合点がいって、ルドカは内心で頷いた。


 ハサライにはハサライの流儀がある。兎国で正室は一人と決まっているが、ハサライでは正式な妻を、平等に扱うという約束の元に、財産に応じて何人でも持つことができた。兎国の傘下に収まってからというもの、王家の意向もあり、ハサライの首長は必ず一人は兎国人の妻を迎えることになっていた。それが藍明の母であり、たまたま塞家の傍流の者だったのだろう。


 どうりでこの美貌、と、女官たちが囁くのが聞こえた。

 異民族の血が混じると、美しい顔立ちになると昔から言われているのだ。


「証拠はあるのか」

 早くも我を取り戻した声で、寧珠が厳しく問うた。


「ハサライの悲劇は世間で広く知られている。名乗るだけなら誰にでもできること。お前が確かにサニヤであるという証拠がなければ、信じるに値せぬ」


「証拠になるかはわかりません。ですが、首長家のごくわずかな人間にしか知りえぬことを、わたくしは知っているのだと思います」


「随分ともったいぶる。そんなものがあるのなら、早く言ってみたら良い」

「お人払いを。これ以上は、塞尚食さいしょうしょくのご事情に踏み込むことになりますゆえ」


「無礼な。お前が一体、私の何を知ると言うのか!」

「カムジーナー」


 華民族のものではない言葉を、藍明は発した。

 寧珠の眉が跳ね上がった。


「この場で申し上げてもよろしいのでしたら、そういたします」

「……ルドカ様」

 固唾を呑んで見守るあるじへと向き直り、寧珠はどこか疲れたような声を出した。


「すっかり暗くなってしまいました。まずは夕餉ゆうげをお取りくださいませ。膳の段取りは杏磁あんじさんに任せましょう。わたくしはこの者に詳しい話を……」

「私も聞きたい。話すなら目の前で話してちょうだい。器くらい自分で取れるわ」


 きっぱり告げると、寧珠は困ったように眉尻を下げたものの、静かに頷いた。

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