四十六・疑惑(十一)
翌朝、ルドカは目覚めた瞬間に掛け布を撥ね除け、寝台を飛び降りた。
周囲はまだ薄暗いが、手元が見えないほどではない。寝所を抜け、主堂の東側に設えられた書房で文机に陣取り、筆にたっぷりと墨を含ませる。
そして夢の中で見た高札の字を、できるだけ真似て紙に書きつけた。
〝立少女王 是兆凶事也〟
(綺麗な
そのつもりで観察すれば、気付くべき点がありありと浮かんで見える。なぜ今まで気にも留めなかったのだろうと、己の迂闊さに唇を噛んだ。
骨字を簡略化させて生まれた皮字は速記に適しており、商人や豪農の覚書、急ぎの伝令などに使われる。貴族女性が書く文字も、王族やよほどの才女である場合を除いて、普通は皮字だ。
一方で骨字は、国政に関わる文書のほか、学術書や詩歌など、形式を整えて保存される文書に使われる。国に仕える官僚を目指すなら絶対に必要な技能だった。
そこへ入るのもまた狭き門である上、学費の他に教師への付け届けが物を言うので、結果的には貴族や裕福な家の子弟で官僚の座が占められる現状がある。
ちなみに、女性に受験資格はなく、官位を得るためには内朝で女官になるか、
夢の中の高札の字は、整然としてお手本のようだった。
しかし、本来跳ねるべきところが、優雅に流されていた。
これは女性が骨字を書く際、男性的な印象を和らげるために用いる手法だ。
(つまり黒幕は、身分の高い女性)
ゾッとした。自分と近しい立場にいる女性に、悪意を向けられているのか。
主殿の正面扉が開く音がした。
歩き方の特徴から
どんな奇跡が起こったものか、初対面では牙を剥き出し威嚇していたはずの藍明に対し、すっかり親身になっていたので驚いた。
「大変な苦労をした末に、あの稀有な演奏技術を身につけたのだということがわかりました。ルドカ様に見出されて、本当に幸運な娘ですわ」
頑なだった彼女が手巾を目に当てながらそんなことを言うのだから、弟である鄭家当主も同様に
『本人の証言以外に身元を確認する術がなく、筋から言えば
と、実に商人らしく抜け目のない文章ではあったが、ともかく承諾の証文を書いて寄越した。
(藍明はうまくやったのかしら……)
一泊の間に暗躍して、予告状だの鄭家の調査だのを済ませているはずだ。
首尾よく事が運んでいれば、その成果の一つを、寧珠は報せに来たに違いない。
急いたような足音が寝所へ向かおうとしているので、ルドカは立ち上がって、書房の出入り口から顔を出した。
「私はここよ。今朝はいやに早いのね。どうしたの?」
薄暗い室内で急に脇から声を掛けられ、寧珠は肩を跳ね上げて振り返った。
「ルドカ様! ああ、心臓が飛び出るかと思いました。ですが、お目覚めならちょうど良かった。今、門兵から伝令が参りまして、なんでも
(来た)
予定通りの展開が訪れたと知って、ルドカは表情を引き締めた。
寧珠は、伝令が紅玲から預かったという予告状を持参していた。
衣服を裂いて作ったと思しき帯状の布に、骨字交じりの皮字で朱墨を使って、ふてぶてしい文言が書き込まれている。
〝予告状
「この布が棒に括りつけられて、娘子軍の兵舎の前に落とされていたそうです」
荒々しい筆致の赤い文字は真に迫って見えた。身内の仕業とわかっているルドカでさえ、少し恐ろしい気持ちになる。
「嵐奇漂って何かしら」
そこだけよくわからなくて尋ねると、寧珠はぶるりと身を震わせた。
「わたくしは骨字を読めませんので、伝令に教わってきたのですが、辺境を騒がせている
「匪賊?」
その瞬間、ルドカの脳裏を
(そんな人の名前を使っちゃって大丈夫なの!?)
内心で悲鳴を上げたが、表に出すわけにはいかない。
「白キオリって、
知らずにこれを読んだら自分が言いそうなことを口にしてみると、寧珠は真剣な顔で頷いた。
「紅玲さんも同じ考えのようです。念のために警護の兵数を倍に増やしたいと訴え、その判断の是非をルドカ様に仰ぐため、門前でご下命を待っております」
ルドカは寝所に駆け戻り、剣と共に枕元に置いていた
黄水晶に白銀の房は王太子の地位を示す色合わせだ。渡せばその者の行動は王太子の意思に基づいたものと認められることになる。
取って返し、勢いよく寧珠に差し出した。
「これを紅玲に。万事
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