四十七・疑惑(十二)

 紅玲こうれいは王太子宮に至るや、全ての女官と宮女を引き連れて後宮へ移るよう、ルドカに進言した。

 後宮とは、王の后妃こうひと子供たちが暮らすための宮殿群のことだ。内朝の西側に広大な区画を有しており、娘子じょうし軍は旧来、こちらの警護を主要な任務としていた。


「一箇所に纏まってくださった方が警護しやすいので」

 とのよしだが、もちろん打ち合わせ通りである。王太子宮を空にしている間に関連各所を探る計画だ。


 現在の後宮には先々王の後后である太王太后と、話し相手として残留を許された元側妃二名が暮らしている。ルドカはさっそく伝令に手紙を持たせた。

 間もなく東から西へと、女たちの大移動が始まった。


 明るい色の衣が石畳の道を軽やかに流れる様は、春の川に遊ぶ杏の花びらのようだ。それを城壁の上や内朝の区画を隔てる小門、建物上階の窓から、兵や官吏の男たちが好奇の眼差しで眺めている。


「女どもは全員、西の〝墓場〟に籠るつもりのようだな」

 内朝で小門の守備に当たっている北衛軍の一兵卒が、傍らの同僚に囁いた。


「馬鹿馬鹿しい。賊が女を盗るのに、礼儀正しく予告などするか?」

「女将軍もたまには素直に怯えて、可愛げを見せたいんだろうよ」

「俺は副官なら相手してもいい。下からあのきつい目に睨まれたら、そそるぜ」


「杖罰十回」

 突如、冷たい声を背後から浴びせられ、二人の兵は顔を強張らせた。

「職務中に私語の罰だ。それと内容がつまらない。追加で五回」

 開け放された小門の内側に、いつの間にか北衛将軍・蘇周季そしゅうきが立っていた。


 連行された二人が罰を受けて戻るまで、周季はその場に留まった。ちらちらと自分を見て頬を染める女官や宮女たちに、それとなく甘い微笑を投げかけながら、色素の薄い目で背丈の近い女将軍を探す。

 見当たらないが、たとえ行き合っても、奴はこちらなど一顧だにしないだろう。可愛げは粉微塵にして池の魚にでもくれてやったに違いない。


(あいつが素直に怯えるタマかよ)

 大方、変則的な警護の良い演習機会くらいに捉えているのだろう。そうでなければ、他の何かだ。



 内朝と外朝の境に立つ正殿二階の露台には、三人の高級官僚の姿があった。

 司法を束ねる御史ぎょし府の長官、軍事を担う兵馬ひょうば府の長官、そして行政を掌握するさい府の長官、ジスラである。

 国家運営に欠かせないこの三者を三公と呼び、その権力は王に次ぐものだった。力関係は世代により微妙な揺らぎを見せるが、現在は宰相の存在感が頭三つばかり飛び抜けている。


「ふん。有事に慣れぬ女どもが大げさに騒ぎ立てておるわ」

 黒い長官服に身を包んだ御史相が鼻を鳴らし、兵馬相を横目で見た。

「勝手をさせていいのか?」

「たかが女護衛の増減だ。公主が認めたならば、吾輩の出る幕ではない」


 花公主とはルドカのことだ。血縁関係にない男性は公主の名を全て口にすることを憚り、最後の骨字こつじを称号に冠して呼ぶ伝統がある。


「ふん。このまま再び後宮に収まってくれても構わんのだがな」

「娯楽に飢えているのであろう。噂では女の愛人を囲ったそうではないか。男嫌いとあらば後継者は見込めぬ。これは王太子の地位に対する罷免要求の十分な事由になると考えるが、宰相殿のご意見は、いかがですかな?」


 そろりと二人が窺うように目を向けたのは、露台の角に立って銀湖山ぎんこざんの上方を眺めていると思しき、白銀の髪の美丈夫だ。

 ゆるりと振り向いたジスラは、意味深な笑みを浮かべた。


「過去には男色を好む王もおりましたゆえ、いささか弱いのでは。それより、公主に対する三公の伝統的な職務を果たした方が、効果的と考えますが」


 言われた二人は顔を見合わせてから、揃って驚愕に口を開けた。

 王の娘を公主と称するのは、帝国時代、その結婚を三公に取り仕切らせたという慣習に由来する。つまり公主に対する職務とは、結婚の支度だ。


「では、ついに降嫁先の選定を……!」

「既に候補をお考えなのですか?」

「ええ。今日お呼び立てしたのは、そのご相談のためです」

 温もりを含んだ柔らかな東風こちの行く手へと、ジスラは視線を流した。



 女官たちを引き連れ後宮に移入したルドカは、まず太王太后たいおうたいごう跪拝きはいを行った。

 実の祖母ではない。彼女は前后が亡くなった後にきさきとなった元側妃で、その前は女官だった。側妃時代に白銀の髪の息子を一人産んでおり、ルドカの義理の叔父にあたるその人は、もう一人の義理の叔父と共に州大公に封ぜられている。

 血の繋がりはなくとも、太王太后はルドカを実の孫のように遇した。


「ほほ、少しの間にまた大きゅうなったな。もっと近う寄れ」

 手招かれて傍へ寄ると、強い白粉の匂いが鼻を衝いた。

 膝元に侍ったルドカの手を、宝飾品で飾られた爪の長い指が強く握りしめる。


「静かな暮らしに大勢で押しかけて、申し訳ありません」

「よい。老いた身には刺激が必要じゃ。時に、縁組は決まったか?」

 もうその話題かと、ルドカは内心で身構えた。会うたびに毎回訊かれるのだ。


「家格さえ相応しければ夫は誰でも良いが、必ず男児を産むのだぞ。息子のない女ほど惨めなものはない。そうじゃ、産み分けの方法をまだ教えておらなんだな。正しい飲食法を身につけ祈祷を念入りにし、交合の日を過たず行えば、それほど難しいことではない。月のものは正しく訪れあるか?」


 鮮やかな紅を乗せた唇が忙しく動くのを見つめながら、身体の芯が急速に冷えていくのを感じた。本当に男児を産むことが全てだとしたら、女とはなんてつまらない生き物だろう。

 でも、若くして後宮に入った太王太后にとっては、それが現実だったのだ。

 義理の孫にも愛情を持って、結婚後に辛い思いをさせまいとしてくれている。

 そう自分に言い聞かせて、いつものように息苦しさを耐えた。


 予告状にあった〝赤午あかうまの刻〟は、昼時を示す言葉だ。一日を二十四等分した場合、十一から十三番目の時間帯に当たる。狭間の十二時を正午と呼ぶため、その前後を午前、午後と昔から言い表す。

 その刻が過ぎ、紅玲から「厳戒態勢を解除したい」との申し入れが届いた。

 一も二もなく承諾し、ルドカは飛ぶように王太子宮へと舞い戻った。


 娘子軍は再編成に、女官と宮女たちは半日分遅れた仕事に追われ、王太子宮は俄かに騒然となった。喧噪の合間を縫うようにして、いつの間にか藍明らんめいがひっそりと帰還を果たしたらしい。

 紅玲と共に主殿に姿を現したので、ルドカは緊張した。

 二人が揃って来たからには、大事な報告があるに違いない。

 傍に控える寧珠ねいじゅに聞かせていいものか、迷っているうちに、紅玲は表の兵に一声かけると、開け放されていた主殿の正面扉を閉じてしまった。


「ルドカ様、日用品や髪の持ち出しですが、少なくとも五名の女官が関わっている形跡がありました」

 最低限の礼をとるなり、紅玲は細かい説明を抜きにして本題に入った。

「五名?」

 人数の多さに絶句しながら寧珠の方を見ると、当然のことながら戸惑っている。


「なんのお話です。まさか、女官の誰かが盗みでも……」

「実は王太子宮に不穏な動きがあり、調査していたのです。何者かがルドカ様に邪術をかけ、しいそうとしていました」

 寧珠は顔面蒼白になり、ルドカを見て何か言いかけたが、紅玲が先んじた。


「誰が犯人かご存知では?」

 鷹羽色の鋭い眼差しが寧珠を見据えている。ルドカは凍り付いた。

「邪術に使う香が発酵室のひしお樽から見つかった。管理者は、尚食のあなただ」


 寧珠が呆けたように口を開け、身を戦慄おののかせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る