八・霊廟(一)


 兎王家の霊廟れいびょう白貴はっき城の最奥にある。

 城の北辺に聳える神域・銀湖ぎんこ山の裾野に広がる岩盤を刳り貫いて造られているが、正面からは各王族の住まう宮殿と同様の建物に見える。臣下を交えて何かの儀式をする際には、拝殿にあたるその建物を使うのだ。


 建物の奥へと進み、岩盤の穴に取り付けられた重厚な扉を開いて本殿に入れるのは、基本的には王族の人間だけだ。護衛や近侍も拝殿で待たねばならない。


「中は冷えますから、どうぞあまり長居をしないでくださいまし」


 本殿の手前で、ひつから取り出した綿入りの長衣をルドカに羽織らせ、火を乗せた柄の長い手燭を持たせながら、寧珠ねいじゅが心配そうに言う。朝に交わした会話のせいで、祖霊を怒らせていないかと懸念しているのだろう。

 据え置かれた漏刻ろうこく紅玲こうれいが水を満たした。


「四半刻(三十分)ごとに笛を鳴らしますから、聞こえたら吹き返してください」

 そう言って、細い組み紐に提げられた竹笛をルドカの首にかける。稀に中で気を失う王族がいるために取られている措置だ。


 ルドカは青銅の扉を押し開けた。

 両側に枝分かれした燭台が並んでいる。その全てに火を灯して扉を閉める。

 途端に周囲が暗く、世界から切り離されたように静かになった。


 岩壁のどこかに空気穴が開けられているのだろう。流れ込む微かな風が灯火を揺らめかせ、その明かりが霊廟の中心に鎮座する祭壇を仄かに照らした。


 祭壇は、巨大な岩石を円い階段状の塔の形に削ったものだ。

 頂点の高祖・耳長王を始めとして、歴代王族の肩書と名が記された木牌が並べられている。ちょうどルドカの目線の高さに、父母と兄弟の木牌があった。


 一番最近のものなので、頻繁に礼拝を行えるよう、周囲にはたくさんの蠟燭が備えられている。その全てに火を移し、ルドカは揖礼ゆうれいしつつ冷たい石床にひざまずいた。

 叩頭こうとうし、立ち上がり、同じ動作を再び。

 全ての祖先、父、母、兄、弟の分を繰り返すうち、自分は家族から取り残されたけれど、魂の世界では一人ではないと心から感じられるようになる。

 霊廟では生者と死者が繋がることができるのだ。

 動作をやめて顔を上げたとき、周囲の空間には何かの気配が満ちていた。


「兄上」


 世土玖セドクと書かれた木牌に呼びかけると、懐かしい温かさが身を包んだ。

 石床に座り込むルドカの前に兄も座り、耳を傾けてくれている気がする。


「思っていたよりも辛いです。私には足りないものが多すぎます」

 霊廟の外では決して口にできないような、率直な言葉が溢れた。


「兎国の事が実は、何もわかっていないようなのです。兄上は以前、教えてくださいましたね。高祖・耳長王のおくりながなぜ〝耳長〟なのか。そのようにできたらいいのですが、私にはとても無理だという気がして……」


 諡とは、王の死後、次代の王や臣下が奉る名のことだ。生前の行いや評価に基づいて付けられる場合が多い。

 耳長王の場合は、玉座にいながら国の隅々まで細かな事情をよく把握し、問題の芽を速やかに潰すことに長けていたので、そう名付けられたと聞く。まるで長い耳を持っているようだ、と。


 兄はその秘密を少しだけ教えてくれた。


『これは王になる者にしか知らされないことだから、詳しくは話せないが……』

 そう声を潜めて、悪戯っぽい顔で、冗談の一つだとでも言うように。


『耳長王には〝ひえ〟の声が聞こえたらしい』

『稗』


 幼いルドカは戸惑って繰り返した。

 稗が何かは知っている。穀物だ。米、あわきびに並んで主食となり、寒冷な地でもよく育つ有用さの一方、粒が細かく脱穀等の処理が難しいため、よほど食い詰めた時でないと見向きもされない「貧者の米」とも呼ばれる。

 その声を聞いたとは。


『貧しい者の声にもよく耳を傾けた……という意味ですか?』

『ご名答と言いたいところだが、少し違う』


 笑って兄はルドカの耳に口を近づけ、意味ありげに囁いた。


『稗は王にのみ仕える。月蛍を見かけたら、後を追ってみるといい』


 稗の次は蛍。

 しかも、蛍でも土蛍でもなく、月蛍。

 そんな虫の名は聞いたことがない。わけがわからず、何度も兄に詳しい説明を求めたが、口止めされただけで、それ以上のことは決して話してくれなかった。

 もちろん王太子になっても、稗や月蛍の話を誰かが教えてくれる気配はない。


「兄上。稗とは、月蛍とは、なんのことだったのですか……」


 霊廟の扉の外から竹笛の鋭い音がした。

 首から提げた竹笛を摘まみ、唇に当てて息を吹き込む。細く高い音が廟内に反響し、やがて消えていく。

 もう少し兄との会話を通して、とりとめのない思考に耽っていたかった。


 不意に、祭壇の火が大きく揺らめいて、いくつかの蝋燭が消えた。


(風もないのに、なぜ……)


 不審に思いながらも、もう一度火を灯そうと立ち上がりかけた時だ。

 兄の木牌の陰から、青白く光る小さなものが飛び出した。


「あっ」


 驚いたが、すぐに笑う。外部に通じる空気穴がどこかにあるようだから、蛍が迷い込んだのだろう。内朝の人造の川には夏になると蛍が放たれる。


 そこまで考えて表情が凍った。夏。

 今は初春だ。


 息を呑んで目で追う。光はふらふらと上下しながら、まるで本物の蛍のように祭壇を離れて、どこかへ飛んでいく。明滅はしていない。

 こんな色だっただろうか。

 去年見た蛍は、どちらかというと、黄色っぽい光を放っていた気がする。


 この色は別のところで見たことがあった。天高く昇りつめる月。

 特に冬の、雪が降った後の、澄んだ空気の中で冴えわたる月の色だ。


 全身が心臓になったかのように脈打った。


 ――月蛍。

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