九・霊廟(二)
慌てて立ち上がると、すっかり足が痺れていてよろめいた。
月蛍かもしれない光は、祭壇の向こう側へふらふらと飛んで行く。
「ちょっと、待って!」
手燭を前に掲げては、月のような淡い光は見えなくなってしまう。体の横側で遠巻きに床を照らすことにして、しびれの強い右足を引きずって進んだ。
(本当にあれが月蛍なのかしら。光る別の虫ではないの……)
祭壇を越えて奥へ行くことに不安を覚えて、つい消極的なことを考えていた。
前王の月命日には、王族の誰かが臣下を伴い、霊廟を清める習わしがある。ルドカも何度かその務めを果たしたことがあるから、祭壇の奥がどうなっているかは知っていた。普段は暗闇に沈んでいて何も見えないが、奥の壁は色鮮やかな絵で覆い尽くされているのだ。
初代
それだけといえば、それだけなのだが、その壁画にはどこか異様な雰囲気が漂っていて、幼い頃からルドカは、近付くのが少し怖かった。
絵と絵の合間をよく見ると、彩色なしの細かい文字がびっしり刻まれている。
その不気味な壁画の方へと、月蛍のような光は、着実に吸い寄せられていく。
突如、青白い光が二つに増えた。
「えっ?」
どきんと心臓を縮み上がらせてから思い出した。あれは鏡だ。
壁画のちょうど中央部に、神域・
その鏡の左横で、青白い光が動きを止めた。
ちょうど重なる位置に例の文字が一つ彫られており、暗闇の中でよく見えるようになる。ルドカは自然とそれに目を留めた。
円と三角形をいくつか組み合わせたような、文字とは思えない奇妙な形だ。
光がまた移動し、今度は下の方にある文字を照らした。それも目で追う。
離れ、移動し、別の文字の上に留まる。光はそれを繰り返す。
他にすべきこともなく動きを見守るうちに、ルドカはやがて、頭がぼんやりしてきた。体がふわふわと浮き上がるような、不思議な心地になる。
――手燭を置いて、火から離れた方がいい。
どこからともなく声が聞こえた。
(誰……?)
――それから横に。頭を打ちたくなければ。
確かに、瞼がとても重くて、このままでは手燭と一緒に倒れてしまいそうだ。
奇妙だと心の隅で感じながら、ルドカは言われた通りにしていた。
火が髪や衣に移らないよう、手燭を遠くに置いてから、急激に重くなった体を冷たい石床に横たえる。
そうしている自分を、いつの間にか外側から見ていた。
目を瞑る自分の顔を見たのは初めてだ。思ったより母に似ている。
でも、どうして床で寝ているのかしら……
「こっちです。ついてきてください」
急に背後から誰かの声が聞こえて、ルドカは今度こそ我に返った。
状況に理解が追い付かなかった。眠る自分の脇に座り込んで、自分を見下ろしている。そんなことあるわけがないのに。
座ったまま首だけ振り返ると、知らない青年が立っていた。
手燭の火が遠くても、不思議とはっきり姿が見える。
黒髪黒目に明るい肌色の、典型的な
うなじから一本に編んだ髪を髷にせず背中に垂らすのは、山野に混じり暮らす方士や、諸国を巡り歩く漂泊民がよくやる髪型だった。被り物のための髷を結わないことで、仕えるべき王も国もないことを示しているらしい。
そんな人間がなぜ王家の霊廟にいて、自分に話しかけているのか。
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