四十四・疑惑(九)

 本殿の扉を開けると、副官と杏磁あんじの代わりに紅玲こうれいが待っていた。


「性格の悪い叔父君にいじめられたそうですね」

 自分のことのように忌々しげな顔つきで、開口一番に言う。


「紅玲!」

 ルドカは目を輝かせ、もう少しで両腕を広げて抱きつくところだった。

 セツとの会話で上向いた気持ちが、馴染みの顔を見たお陰でさらに浮上した。


「他のお仕事はいいの?」

「少し手が空いたので参上しました。ああ、頬に涙の痕が……」

 自然と手を差し出しかけ、途中で不敬だと気付いたのだろう。紅玲は指を握り込んで心配そうに眉を曇らせる。どうやら魂と一緒に、肉体の方も涙を流していたらしい。安心させたくて、ルドカは微笑んだ。


「もう大丈夫なの。中ですっかり落ち着いたわ。杏磁はどうしたの?」

「副官を帰した後、しばらく二人で待ちましたが、杏磁殿が落ち着かない様子だったので、勝手ながら先に帰らせました。私の不機嫌な態度で怯えさせてしまったのでしょう。ああいうたおやかな女性から見たら、私などほぼ男ですからね」

「それは……」

 急に紅玲と二人きりになった杏磁が、顔を赤くしてそわそわしている姿がルドカの脳裏に浮かんだ。怯えというかむしろ、憧れていただけでは。


「それにルドカ様と、余人を交えずお話したいことがありまして」

夢現香むげんこうのこと?」

「いいえ、霊廟のことです」

 不意打ちにギクリとする。まさか、セツの存在に気付かれたのだろうか。


「昨日霊廟へ立ち寄った後から、ルドカ様のご様子が変だと思っていたのです。それでふと、先々王の護衛官を務めた祖父に聞いた話を思い出しました。王は霊廟の本殿内や自室で気を失うことがあるが、目覚めた後は必ず新たな知見を得ている。恐らく祖霊と会話し、助言を受けていたに違いない、と」

「祖霊……!」


 なるほど、はたから見ればそうなるのかと、ルドカは得心した。紅玲の祖父の言葉は、先々王が稗官はいかんと会っていたことを示すものだが、稗官の存在を知らなければ、そう感じてもおかしくない。


「昨日のルドカ様は、祖父から聞いた話と妙に符合していました。霊廟の本殿内で気を失ったかと思えば、知るはずのない三弦奏者の名前を知っていた」

「え! そ、そうだった? 女官の誰かに聞いたような……」

「先ほど杏磁殿に尋ねましたが、他の女官たちも含め、知らなかったそうです」


 さすが紅玲、ぬかりがない。護衛官の頼もしさを誇らしく思う反面、ルドカは自分のうっかり具合を反省した。


「私は王族に纏わる神秘を解き明かしたいわけではありません。ただ、あの三弦奏者が御身を傷つけることはないという、確信が欲しいのです。だから、もし許されるのであれば、どうか一つだけお答えください」

 鷹羽色の目に真っ直ぐ見下ろされ、ルドカは背筋を木板のように硬くさせた。


「最初から藍明のことを知っていて、遊花街いろまちへ迎えに行ったのですか?」


 視線と同じく、その問いは真っ直ぐ胸に飛び込んできた。

 応えずにはいられない。でも、全てを明かすわけにもいかない。

 精一杯の誠意を込めて、ルドカは大きく頷いた。


「紅玲、あなたのことは誰より信頼している。でも、詳しく話せないの。藍明を迎えに行ったのはその通りだけど、私も彼女について多くを知っているわけではない。今はこれだけの返事しかできなくて、ごめんなさい」


「畏れ多い。お答えいただき、感謝します」

 あからさまにホッとした顔つきで、紅玲はその場に片膝をついた。


「王族に秘密があるのは当然のこと。それを暴くような問いをして、本来なら罰せられてもおかしくありません。こちらこそお詫び申し上げます」

「ううん、訊いてくれて良かった。本当はあなたに秘密を持つことが辛かったの。盟約を破ってしまって、がっかりさせたらどうしようって、心配だったから」

「どういうことです」

「ほら、隠さず、裏切らず……」


 右手の三本指を左胸に押し付ける仕草をすると、紅玲は一瞬それをまじまじ見つめてから、珍しく破顔した。すぐに拳を口に押し付け、声を殺している。


「ルドカ様、霊廟内で笑わせないでください。それは私が捧げたものであって、ルドカ様はいいんですよ。そんな可愛らしい心配をさせていたなんて」

「互いに約束するから意味があるんじゃないの?」

「そのお気持ちだけで十分に報われます。さあ、宮に帰りましょう。もしかして、また新たな知見を得てきたのではありませんか?」


 立ち上がった紅玲に悪戯っぽくそう言われ、ルドカはおずおずと頷いた。


 王太子宮に戻って昼餉ひるげを済ませ、再び藍明を呼び出して、午前と同じく三人で主殿にこもる。

 ルドカは昼餉の間中、紅玲の前でセツの言葉を藍明にどう伝えようか、散々に頭を悩ませていた。手紙ふみを書こうかとも思ったのだが、直接渡すことができない以上、やはり紅玲の知るところとなり、あらぬ心配をかけてしまうに違いない。

 せっかく隠し事が減ったのに、また増やしてしまうのは嫌だ。


 いろいろ考えた末、ついに腹を括った。

 紅玲は祖霊の助言だと誤解してくれている。

 ならば、それで通そう――!

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