三十九・疑惑(四)

「助力を願うだと?」

 喉奥で唸るように紅玲こうれいが言った。

 彼女からしてみれば、ルドカの警護は己の職分だ。その主導を取って代わられるかのような発言は、看過していいものではない。

 剣の柄に添えられた手が筋張るのが見え、ルドカは耐え切れずに声を上げた。


「二人とも、お願いだから冷静に話をして! 紅玲は剣から手を離して。藍明らんめいも、なぜそんなに攻撃的なの? 協力してくれないと困るわ!」


 紅玲はルドカにちらりと目線をやり、眉の辺りを曇らせながらも、殺気を散らして言われた通りにする。藍明もくるりと表情を変え、花のように微笑んだ。


「ご心配をおかけして申し訳ありません。わたくしはただ、手っ取り早く自己紹介をしたかっただけですわ。仰る通り、護衛官殿とは協力が必要ですもの」


 ふふ、と可憐に微笑む姿を見ていると、今のやり取りは幻だった気がしてくる。

 ルドカは額を指先で抑え、会話の主導権は自分が握ろうと決意した。


「……とにかく今は、藍明の言う香が気になるわ。詳しく話してくれる?」


 そう水を向けたのはもちろん、紅玲に聞かせるためだ。

 藍明は頷き、夕べと同じ説明を繰り返した。

 紅玲の表情が、それまでと違う理由で徐々に強張っていく。


夢現香むげんこう蒙術もうじゅつなど、初耳だ。ルドカ様、悪夢を夜ごとに見ているというのは、事実なのですか?」

「本当のことよ。言い当てられて驚いた……驚いているところ」


 演技は苦手だ。どぎまぎして俯きながらルドカは言い直す。昨夜のうちに藍明から話を聞いていたことは、知られない方がいいだろう。


「ハサライの姫として生まれ、後に西域で奴隷となった人間が、なぜそのような邪術の詳細を知っている?」

 まだ喧嘩腰の取れない紅玲の尋問めいた口調にも、藍明はびくともしない。


「売られた先の家の主人が、邪術に関する品を扱っていたからです。書庫の清掃を命じられた時、邪術に関して記された書物をこっそり読みました。そこに夢現香の記述があったのですわ。読み書きのできないふりをしていて幸いでした」


 ハサライ首長家の者は皆殺しにされたが、自分はたまたま乳母の家にいて助かった。昨日、藍明がそう説明していたことをルドカは思い出した。

 出自を悟られないよう、とっさに機転を利かせたのだろう。読み書きができて身分の低い女性というのは、まずあり得ない。


「箱庭の作り方や術のかけ方など、図入りで詳しく書かれていました。竜汗香りゅうかんこうはハサライでは珍しくないので、匂いは元々知っていました。夢見が悪くなるから就寝時に焚くなと言われていた理由が、はっきりしましたわ」


 紅玲はしばらく無言のまま、難しい顔つきで何か考え込んでいた。

 やがて視線を上げた。


「現にルドカ様が悪夢を見ていらっしゃるなら、信頼して動くしかありませんね。確か香の管理は尚宮局しょうぐうきょく、支度は尚寝局しょうしんきょくで、品を納めている商家は……」


 そこで言葉を止めるので、ルドカは自らの責任のような気持ちで後を続ける。

てい家よ。だから寧珠ねいじゅには、この話はしない方がいいと思う」

 紅玲は一瞬、気遣わしそうな顔をしたが、すぐに「そうですね」と頷いた。


「寧珠殿がこの話を聞いたら、心労で倒れかねません。しかし、難しいのは調査方法です。普通は監察局かんさつきょくに挙げる案件ですが……」


 紅玲が再び言い淀んだのは、彼女の立場では言い辛いことだからだ。察したルドカは、再び後を引き取ることにした。


「もし裏にジスラ様か、ジスラ様を信望する者がいた場合、監察局も抱き込んでいる可能性がある。そう言いたいのね」

「ご慧眼です」


 監察局とは、朝廷の綱紀を正すために存在する部局だ。官吏が正しい働きをしているか見張り、不正の疑いがあれば調査、弾劾に乗り出す。

 人員には女性もいるが、長官を始め圧倒的に男性が多い。表向きはルドカに恭順を示していても、本心まで推し量ることは難しい。


「もみ消される可能性が、全くないとは言えません」

「そうね。できれば私たちで解決したいわ。どうしたらいいのかしら」

 既に考えを進めていたと見え、紅玲はすぐに案を示した。


「順番に一つずつ調べていては、事態を察した相手に逃げられる可能性があります。こういう時は、三か所同時に手を付けるのが常套手段です。鄭家が納品に来た日を狙って検品前の香を取り上げ、娘子じょうし軍に尚宮局と尚寝局を封鎖させ、人、持ち物、建物を徹底的に洗う。ルドカ様の髪や日用品が持ち出されている可能性を考えると、他の部局にも同じ対応をするのが最善でしょう」


 その状況を想像して、ルドカは顔色を失くした。


「大騒ぎになるわ」

「当然です。御身のお命に関わることです。しかし今回、この方法にはいくつか問題があります。月に一度の鄭家の納品日まで、まだ十日以上も間がありますし、その時の品にくだんの香が含まれる予定か、調べる必要がある」

「そんなに長い間、ルドカ様に悪夢を見せ続けるわけにはいきませんわね。それに納品予定など調べたら、その時点で犯人に気取けどられる可能性がありますし」


 ごく自然に藍明が口を挟み、紅玲は軽く目をすがめたものの、にっこりと微笑み返されて、ついに呆れたように頷いた。


「その通りだ。悠長に構えている暇はなく、犯人に証拠隠滅の機会を与えるわけにもいかない」

「つまり、犯人に警戒されないよう、できるだけ早く、一斉に調べを進められたら、それが一番いいということよね」

「はい。しかも、監察局ではなく娘子軍が音頭を取って、です」


 そんなことができるだろうか。

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