二・華国世話

 かつて、丞土じょうど大陸の東端に広がる華瞭原かりょうげんの地を支配していたのは、「」という国号で知られる帝国だった。


 神獣の中の神獣・黒龍こくりゅうの加護を得た皇帝の一族に支配され、大変な栄華を極めていたという。文明文化を著しく発展させ、庶民に至るまで煌びやかな生活を謳歌したと伝えられている。

 やがて爛熟を通り越して腐敗に至り、〝蒙〟による惨禍、即ち蒙禍を呼び寄せはしたものの、今でも華瞭原に住む多くの人たちは、誇らしげに華人の末裔を名乗る。

 音と意味を同時に表す〝骨字こつじ〟と音だけの〝皮字かわじ〟が成立したのも、この華帝国のごく初期の時代だった。


 お陰で歴史が記されるようになり、当時の政治文書や逸話が竹簡ちっかんの形で多く残されている。中でも含蓄のある逸話は後に『華国世話かこくせわ』として纏められ、帝国滅亡後に成立した五つの神獣加護国で、若者たちが学ぶべき古典の一つになった。

 その中に、件の故事があるのだ。


『徐帝は側室を持たず、正室に公主こうしゅを産ませたきり、後は子を儲けなかった。

 帝の崩御が間近となった時、公主は女の心身を理由に自ら廃太子を宣言し、その地位を帝の弟である叔父に譲り渡した。

 女の御代は天が割れ大地が崩れると伝え聞き、憂い嘆いていた民草は、公主の英断を知るやそれを褒め称え、婦女子の鑑と口々に噂した。

 その評判は遠く大陸の西方にまで及び、多くの良縁をもたらした。』


 この故事のお陰で、女王は不吉だと皆が思うようになったことは間違いない。

 個人個人の思いは希薄でも、数が集まればそれは力となる。


 ――女王を立ててはならない。


 実際に何かが起きていなくとも、そう思う者が多いのであれば、避けようという方向になる。身を引く女王太子が続けば、それはますます現実となる。


 ルドカは、その流れに唯々諾々と自分も乗るのが嫌だった。


 自分が王の器であると奢るわけではないが、王の子に生まれた以上、男ならば器の如何を問わずして序列に従い玉座に就く。そこに女が加わると途端に排除されるのが不思議だった。しかも根拠は、既に滅亡した帝国の、真偽も不明の逸話だ。


 それならいっそ、女子には継承権がないとすればいいのに、そういうわけでもない。この煮え切らなさは何なのか。

 なぜ今まで、誰も疑義を挟まなかったのか。

 もしかしたら単なる慣習というだけで、その気になれば、女でも即位できるのではないか。


 昔からルドカは、疑問が湧くと、とことんまで追い詰めてしまう性質だ。

 納得できれば、父の言葉に従って身を引くもやぶさかではない。

 だが、その納得がまだ訪れないのだ。

 それにこれは、自分ばかりの勝手な思いというわけでもなかった。


「兄上が……」

 ぽつりと漏らした言葉に、寝台の柱にとばりを結び付けていた寧珠が顔を向ける。

「セドク様ですか? お懐かしいですね」

 ルドカはこくりと頷き、開け放たれた帳の向こうから吹き込む風に首を竦めた。

「兄上が仰ったの。機会が訪れたら、胸を張って即位しろって」


 朝の光が、飾り格子の嵌められた花窓から室内に零れ落ちている。

 その柔らかな明るさは、亡き兄の笑顔を思い出させた。

 いつも穏やかで聡明だった兄が憤りを露わにしたのは、思えば、この故事を習った時だけではなかったか。

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