五十・露見(三)

 再び三人だけの空間になった正堂の中央へ、藍明らんめいが進み出て口を開いた。

「邪術に関係しているのは女方士です」

 あまりに迷いなくきっぱり言うので、ルドカは面食らった。


「でも……四人も声を掛けるなんて、そんな必要がある?」

「あります。邪術に使用する対象者の髪や日用品は、何度も使えば消耗し、日が経つうちに繋がりも薄れてゆく。長きに渡り悪夢を見せたいなら、定期的に新しいものを手に入れた方がいいのです。術者が王城の外にいる場合、女官の月経休暇を利用するのは自然なことですわ」


 四人の休暇は五日ほど空けて三日ずつ、均等な配置になっていたと藍明は説明した。人によって月経がいつ巡ってくるかは異なるが、それぞれの周期が大きく変わることは滅多にない。

「つまり、都合のいい間隔で王城の外に出てくる女官が選ばれ、声を掛けられたということです。ただ王族の髪がほしいだけなら、こんな配慮はいりません」

 なるほど、とルドカは頷いた。


「でも、櫛と飾りを盗んだ女官が太王太后たいおうたいごう様をかばっている可能性は?」

「ルドカ様、故買こばい屋って何かわかります?」

 くだんの女官が口にした言葉だ。ルドカは首を傾げた。

「知らないけれど、もしかして、壊れた物を買ってくれる場所?」

「盗品を買い取る店のことです。普通、良家の子女はそんな場所があることすら知りません。すんなり出てきたのは、今回だけ魔が差したのではなく、常習犯だということです。余罪はあっても邪術とは無関係でしょうね」

「出入り時の検査を厳しくする必要があるな」

 紅玲こうれいが苦々しく呟いた。女官が王城を出入りする際に確認されるのは大きな荷物くらいで、たまの抜き打ち検査以外、衣服まで脱ぐ必要はないのだ。


「ともかくこれで、いろいろわかってきたわね。竜汗香りゅうかんこうは太王太后様が寧珠ねいじゅに焚かせ、術に使う私の髪は、千々ちぢという女方士が四人の女官に用意させていた」

「問題は、太王太后様と千々の繋がりです」

 藍明が珍しく難しい顔つきをして、中空を見つめた。

「後宮にいるお方が、どうやって方士と知り合いに? 介在する人間が必要です。塞尚食さいしょうしょくを含めた五人の女官は邪術と関わりがないように見えましたが、実は連絡役がいるとしたら、大した役者です。わたくしの目を欺くなんて、賤民に落とされても俳優としてやっていけるわ」

 うちの一座で引き取っても良いくらいです、と変な悔しがり方をしている。


 ルドカも考えた。確かに太王太后は後宮から出ることがほとんどない。あっても後宮がそのまま王城の外に出るようなもので、娘子じょうし兵の手厚い警護に囲まれる。怪しい人間が近付けば必ずその情報が紅玲にもたらされるだろう。


「竜汗香が後宮にあったことからして、事の発端が太王太后様の思い付きであることは確かですよね。その実行役に千々を選んだ理由、そして接点か……」

 紅玲の呟きを聞いた瞬間、ルドカの脳裏に引っかかるものがあった。

 実行役。接点。

 夢現香と呼ばれる邪術を行う者は、箱庭を作らなければならない。


「あっ!」

 ルドカは短く叫んで立ち上がった。

 朝からのごたごたで、すっかり忘れていたことを一つ思い出した。

 同時にある考えが舞い降り、たちまち全ての事象を繋げていく。が、それが真相だと思うと、胸の底に吹雪のような冷気が渦巻く。


「ルドカ様?」

「ちょっと待っていて!」

 とにかく二人に伝えなければ。

 ルドカは書房に駆け込み、文机に置きっぱなしだった紙を手に取った。

 正堂に戻るや、横に長いそれを胸の前で広げてみせる。


「これは夢の中の高札こうさつに書かれていた骨字こつじを、真似して書いたものなの」


 書画が苦手な紅玲は怯むような顔をした。将軍として最低限の骨字は読み書きできるものの、彼女の筆跡は大中小の文字が奔放に踊る個性的なものなのだ。

 藍明は目を丸くし、お上手ですわね、と感心した口ぶりで言った。


「それを真似して書けるルドカさまも相当な腕前ですわ。最高水準の師に教えを受けなければ、なかなかこうはなりません。さすがは王族……」

 途中で口を噤み、視線を揺らす。藍明も気付いたのだろう。


 やはり真相は思った通りなのだと、ルドカは確信した。

 一つ息を吸う。自分で言わなければ。


「始まりは先々帝の時代、竜汗香が後宮に入り込んだこと。それを太王太后様が思い出し、寧珠に使わせたのだと考えていたわ。でも本当は、もっと計画的な他の〝誰か〟が、わざと思い出させたのだとしたら?」


 紅玲は腕組みをして、小首を傾げた。

「もしや、話し相手の元側妃たちですか?」

「いいえ。年末から新年にかけて、王家に生まれた者は全員が白貴はっき城に集まる。その中の〝誰か〟が太王太后様と交わす思い出話の中で、竜汗香事件のことを持ち出したのだと思う」

 紅玲の表情が険しくなった。

「そういう思い出話ができるのは、当時の後宮にいた者だけですね」


 後宮で暮らせるのは王の后妃こうひと、成年に達する前の王の子供たちだけだ。

 先々王の子供は五人いた。長子のアスマ、ルドカの父、ジスラ、腹違いの叔父が二人。


 竜汗香事件は何年前に起きたのか尋ねると、藍明は即答した。

「二十五年前です。大量に売られた後、急に帳簿から記録がなくなりました」

「では、当時の後宮には子供たちも全員揃っていたということだわ。長子のアスマ様が今は三十九歳で、その頃は成年前の十四歳だもの」

 その〝誰か〟は、とルドカは続けた。


「私が成年に達し、即位式の日取りも決まった件と結びつけて、例の香を使えば女らしく変わるのではないか……と太王太后様に囁いたのだと思う。そして禁止の香をどう使えばいいか尋ねられ、秘密裏に活用する手段を教えた」


 ルドカの身に危険が及ぶことを恐れる寧珠を抱き込み、香炉の灰に混ぜさせる。

 人の盲点を突く巧妙な手段だ。考えてみれば、後宮で敵もなく安穏と暮らしてきた太王太后が、そんな方法を思いつくだろうか。


「〝誰か〟は竜汗香が邪術に使えることを知っていた。夢見が悪くなるというだけの理由で王が永久禁止にしたのを、疑問に思わないわけがないもの。後宮にいる間は難しくても、外に出てから調べる機会はたくさんあったはず。仕事柄、女方士と知り合う機会もね。算術は元々、方術の一種だったのだから」


 紅玲と藍明は黙ってルドカを見つめる。誰のことを言っているのか、理解したのだろう。それでもまだ、名を言う勇気が湧かない。


「父上は既に亡くなり、ジスラ様はこの件の黒幕ではないとセツが言っていた」

 うっかりセツの名を口走ったことにも気付かないほど、ルドカは自分を追い詰めるのに精一杯だった。これでもまだ言えない。まだ他に言えることがある。


「義理の叔父上は二人とも新年の宴の後、王都から遠く離れた封邑ほうゆうへ戻っている。〝誰か〟はこの骨字を書いた術者本人なのだから、千々から髪を受け取れる場所にいないのはおかしいわ。それに何より、この綺麗な骨字は……」


 手本のように完璧に整った形。

 男性的な印象を和らげるため、本来跳ねるべきところが優雅に流されている。

 ルドカは言葉を探したが、もう他に言うべきことがなかった。

 これまで積み重ねた全ての言葉が、既に一人の女性を指し示している。


「黒幕は、アスマ様よ……!」


 喉からその名を絞り出した途端、熱い涙が手に持つ紙を濡らした。


 大秀才と呼び声の高い算術の天才。

 自ら望んで一官吏となり、天歴局てんれききょくの長官に上り詰めた初の女性。

 畏怖すら憶える、尊敬すべき立派な伯母。


 そんな人に、悪意を向けられていた。

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兎国稗伝 鐘古こよみ @kanekoyomi

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