FILE:3-2 ―― 縣 左門との出会い②

 コートを投げ捨てる。コートの下は白色のワイシャツだった。返り血まみれで、白い部分を探すのは困難か。

女が立ち止まった間合いで、鷹邑は推測する。

 「(この間合いは蹴り、もしくは組み技)」

 しかし。

「間合いにしちゃ、構えはボクサーかよ」

 言葉を介さず、女は一息で距離を詰める。その脚の長さからくる一歩の大きさ。

 鷹邑はローキックで牽制したが、キックの当たる寸前に女は足を止め、一足分バックステップで距離を取った。

「(今の反応。やっぱり素人じゃない)」

 女はポケットからブラックジャックを取り出すと、鷹邑へ向け宙高く放る。鷹邑はゆっくりと放物線を描くブラックジャックにほんのわずか気を取られたが、すぐさま目の前の攻撃に反応した。

「(右のハイ)」

想定以上のリーチのハイキックに意表を突かれるも、この状況下のアドレナリンで反応速度は現役レベルに戻っている。寸前でガードを合わせた。それでも。

「うぐッ!? 」

 フェイント。ハイキックは軽く鷹邑の腕を弾いたかと思うと、にわかに高度と角度を変え、ミドルキックとなって鷹邑の右脇腹に突き刺さった。それでも鷹邑も元チャンピオンの反転攻勢。まだ舞っていたブラックジャックを掴み、柄で女のこめかみを一撃する。

「ッ! おいおい冗談だろ! 」

 女はブラックジャックに自らこめかみをぶつけた。衝撃でブラックジャックは手から離れ、女も後ろ回し蹴りの態勢に入る。

 この女は蹴りの高さを寸前で変えられる。つまり、ガードの位置を固定すれば、それに合わせて蹴りを変えられる確率が高い。プロのキックボクサーであっても、この精度でフェイントを決められる選手はそういない。

「(二度は受けられんッ! )」

 攻撃の威力を考えると、男女の膂力りょりょく差を前提としたノーガード戦法のゴリ押しも通じない。急所への暗器すら受け切る胆力たるやそれも凄まじい。

 たまらず鷹邑は距離をとった。

「やるじゃねえか」

「女相手に後退あとずさりか? 」

「言ってろよ。あんまり調子こいてっと俺の愛犬アドニスが若頭の首を噛みちぎるぜ」

 鷹邑が二人を指差すも、コウジはおろかアドニスも気持ち良さそうに眠っている。

「クソ犬め! 」

「そのようだな」

 女が一歩前に出ると、鷹邑は一歩下がる。この戦い、どちらかが死ぬ決死の戦い。

「俺がマジで蹴ればアンタの首が飛ぶ」

「ほざけ」

 女はボクサーのように顔の前で両手を構え、そのまま突進してくる。その手は握られておらず手刀の形。

「なんでお前は俺を殺そうとすんの! 」

「理由など無い! 」

「このヤクザ者っ! 」

 天性の動体視力と反射神経で手刀をいなして小手を取る。

「見様見真似だ! 」

 肩から広背の全体に体重を乗せ、肘から敵に打ちつける技、鉄山靠。

「かふッ―― ! 」

「モロだなッ! 」

 身長差により鼻っ柱に直撃。怯まないことを予期していた鷹邑は、打ちつけて即、相手の左ふくらはぎに右のローを入れた。

「効かんッ! 」

 プロでも悶絶するチャンピオンの蹴り。女は眉をしかめただけで、間髪入れずに左脇腹へ右ミドルを入れ返してきた。

「見所あんぜ! 弟子にしてやる! 」

「死んでも御免だ! れ者が! 」

 女は鼻血を出していた。男は脇腹を二度やられたせいか、口の端から垂れる唾に血が混ざっている。それでも打ち合いは続く。

った! 」

 鷹邑の頭の高さの位置、首から上を根こそぎ刈り取るような後ろ回し蹴り。それに自らこめかみをぶつけ返し叫ぶ。

「効かんねッ! 」

 お返しとばかりに鷹邑も、回し蹴りの脚を掴んで相手の腰へキックをお見舞い。女の表情にはじめて痛みの色が見えた。

 お互いのワイシャツに汗が滲む。二人とも、服にこびりついていた血が水分を取り戻していた。

 二人は直感していた。そして、その直感こそが理想の決着だった。

 この勝負は蹴りで決まる。

 お互いが持つ最も威力のある蹴りを、急所に叩き込んだ方の勝ち。負けた方は、死ぬ。

「うぅぉおりゃぁッ!」

 背負い投げ。フロアに叩きつけられたのは鷹邑。受け身が寸前で間に合う。そこからの切り返し、鷹邑は自分の襟を掴んだ女の腕を離さず、腕ひしぎ十字固めの態勢に入る。

「組技はどうかな! 」

 女は自身の肩を脱臼させ、拘束をスルリと抜けてまた戻す。

「化物が……」

「よく言う……」

 二人は息を整える。次の衝突が最後。次の蹴りを、どちらが先に決めるか。数秒先に人生の終わりが視える。

 お互いの攻撃は、人間が反応できる速さを超えてしまっていた。そこには最早、格闘技のような駆け引きなど存在せず、ひぐまが屈強な爪で、防御もせずに切り裂き合っているのと何の違いもない。

 鷹邑は、これほど死が近い世界で戦ったことが、かつてなかった。自分の力が今までどれほど抑制されていたかを、引退した後の今になってようやく認識する。

 女もまた鼓動の高鳴りを感じていた。自らを満足させうる異才が、よもや同じ時代に放たれていようとは。これほどの、所謂いわゆる天才というものと殺し合える日が、自身の肉体が研ぎ澄まされているこの盛期に訪れようとは。

 両者は想う。

 殺すに惜しいが、殺さなくては。

「行くぞぉぉおおッ‼ 」

「死ねぇぇええッ‼ 」

 二人が死線を跨ぎ、互いに未踏の地へと踏み込んだ。

 瞬間。

 銃声。

 天井の蛍光灯が弾け飛んだ。

 二人はハンターを恐れる獣のように咄嗟に、同じデスクの下に身を潜める。

「鷹邑も左門も終いだよ。起きたら勝手に殺し合いなんて……冗談にもならない」

 声色は違うがコウジのものだった。

 左門と呼ばれた女は、声を聞いてすくみ上がっている。

「なぁ左門? もし二人とも死んでたら、どう責任取るつもりだったのかな」

「はいっ……申し訳……ありません……」

 もう一発銃声が鳴る。

「違うよなぁ、三下」

 鷹邑は耳を疑った。さっきまでの少年とは思えない。ドスの効き方がヤクザそのものだ。

「はい……もし、若頭の今後の安全に支障が出れば……本当に、取り返しのつかないことに―― 」

「分かってるじゃないか」

 二人のもとにしゃがみこんだコウジの表情を、鷹邑はまじまじと見た。少年の眼は黒々と深く暗く、三白眼の睨みが心臓を刺してくるようで、何より、その銃口が左門の方へ向いている。蛇に睨まれた蛙、という諺を二人は身体で理解した。

「質問だ。伊形組残党は何名か」

「はっ。幹部は私を合わせ四名です。三名は物資を集め、翌朝にも帰還するものと。末端構成員は数百に上るものと」

重畳ちょうじょうだ。他のことは明日訊く」

「承知いたしました」

「俺は朝まで眠る。お前たちも、もう争うな。休め」

 そう言うと、コウジは元いた場所、アドニスの近くで身体を丸め、眠りについた。

 鷹邑はしばらく開いた口が塞がらなかった。

「……なんだったんだ」

「皇治様は寝起きがすこぶる悪い。無理矢理起こすと、あのように豹変される。我々の戦闘音で起きられたのだろう」

「マジかよ……」

 左門はデスクから這い出ると言う。

「とにかく、もう終わりだ。私は下階で眠る」

「お、おう……」

 取り残された鷹邑は、当然眠れるはずもなく、朝まで窓から星を眺めた。





―― 次回へ続く。

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