FILE:2-2 ―― 辛せは空の上に②
アドニスはゾンビの足に身体を擦りつけたり、尻尾を振って甘えるように鳴きはじめる。
「多分、飼い主なんだよ」
コウジは車の窓を上げ、そこに頬杖をついて光景を眺めている。ゾンビはアドニスに足をとられて転び、そのまま顔を舐められて四苦八苦していた。
「しかしどうするかこれ」
鷹邑は腕を組む。
動物は、ゾンビと人間の見分けがつかない。あくまで襲ってくる相手を敵とみなすだけで、ゾンビだから攻撃するわけではない。だからこのゾンビを殺さないと、アドニスはずっと離れないのだろうと、鷹邑は思った。
「でもゾンビを殺したら、アドニスは俺を襲うだろうな」
せっかくできた仲間を、それがたとえ犬であろうと、失うようなことはしたくない。鷹邑の胸中に葛藤が渦巻いた。
コウジがある物を指差す。
「あれ、スマホじゃない? 」
ゾンビが転んだ際に、ポケットから落としたらしいスマートフォンがあった。鷹邑はゾンビが揉みくちゃにされているあいだにそれを拾い、ロックのかかっていないホーム画面を開く。
「無用心なこっちゃ」
中のファイルデータを見ると、そこには昨夜撮られた動画データがあった。サムネイルには女性警官がアップで映っている。
鷹邑は車に戻り、コウジと一緒にそれを再生した。
『こんにちは。これを再生した誰か。警官か自衛官だといいんだけど』
二人は顔を見合わせて肩をすくめた。
「無職と」
「ヤクザでした」
動画の背景は、二人も知るスーパーハヤシのものだった。忙しなく立ち回る人々が、次から次へ画面の背後を行き来している。
『私たちはこのスーパーに籠もって耐えていますがバリケードが突破されるのも時間の問題です』
女性は淡々と状況報告を続ける。
『これを観ている方にお願いです。アドニスというシェパードを見つけたらどうか助けてあげてください。私の唯一の家族です』
画面の向こうでガラスが致命的に割れる音と、男たちの怒号、連続して女性や子どもの悲鳴がこだました。
『私は、私は人生楽しかった。こんな終わり方でも……こんな終わり方でも楽しかったよ。じゃあね、アドニス。またね』
動画は
鷹邑は画面からゆっくりと目を離すと、もう一度、スーパーを見つめる。
「中……見てくるわ」
「分かった。僕はあのゾンビを見張ってるよ」
鷹邑は銃を構えつつ、ダンボール箱や、プラスチック棚に封鎖されていた形跡のある入り口を抜け、店内に入った。スマホのライトを点ける。
ライトを右往左往させると、血に濡れた床や、倒れた棚やケースなど、そこに腐臭も交じってとにかく
「何かないか」
床には紙やスマホが所々に落ちていた。紙はどれも遺書で、血が染みてしまって読めるものは一枚も無かった。
スマホはどれも、なぜかロックが解除されていて誰でも使える状態のものばかりだった。鷹邑はそれらを、衣服やパンツのポケットに挟める限り挟んだ。
ふと探索しながら、ある疑問に突き当たる。
「(どうして死体がないんだ。人間の死体も、ゾンビの死体もないぞ? )」
床の血やさっきの映像からして、ここで戦闘があったのは間違いない。
「(誰かが死体を隠した? ゾンビと人間の死体を、全て? )」
わざわざそんな真似をする人間がいるだろうか。そんなことをする意味もない。
鷹邑は出口へ向かいつつ、暗闇の中で考えた。
遺体の消失は屋内で起きた。
遺体を消す方法があるとすれば、それは――。
ふと、血に浸った赤黒い羽があった。
直感的に真実を悟る。
死体は、喰われた。
「……ちくしょうッ! 」
鷹邑は脱兎の如く玄関へ走り出す。距離およそ二十メートル。
「コウジ! アドニス! 逃げるぞ! 」
鷹邑の声をかき消すように頭上から鳴き声が降ってくる。
「盲点だった! 天井にいやがったんだ! 」
鷹邑の頭上からにわかに水滴が滴った。恐らくこれは頭上を舞う敵の唾か、糞か。
声を聞きつけたコウジは既に車の窓から銃を構え臨戦態勢に入っている。
アドニスも飼い主を放置して、店内の暗闇へ向けてヤケクソのように吠え散らかす。
鷹邑が飛び出した玄関から、黒い塊が吐かれるように追随し、塊ごと舞い上がって空を覆った。
それは
「ここを発つ! 」
アドニスはゾンビを
「かなり鳴いてる! これゾンビも来るよ! 何とかして追い払わないと袋の鼠になる! 」
「分かってるから逃げ道探れ! 」
鷹邑は目的も把握しないままアクセルを吹かし、後追いでシートベルトを装着する。
「どうやって撒くか、どうやって―― ! 」
車は夜の国道をひた走るが、頭上の敵群は執拗に追跡してくる。
「駄目だ、放棄された車が邪魔すぎる! 」
乗り捨てられた大量の車両が邪魔をして純粋に速度を出せない。どうしても蛇行運転になる。
烏の平均速度は時速三十五キロとされ、まともに速度を出せれば逃げられない相手ではないのだ。
「ストップ! ここ電波生きてた! 」
国道脇のコンビニ。まだ生きているフリーのWi-Fi回線を、コウジのスマホが捉えた。すぐにコウジは烏について調べる。
鷹邑はブレーキを踏み、エンジンを切って後部にズカズカ移動する。
「何か分かったか! 」
「声! 鷹の声が苦手らしい! 」
「っしゃ! でかしたヤンチャ坊主! 」
「誰がヤンチャ坊主だ! 」
拾ってきたスマホを、片端から回線に繋いでいく。
「全部のスマホで鷹の声を再生する……! 」
車のフロントガラスには既に黒い影がりはじめていた。カタカタとガラスを啄む音が反響する。
「いける! 」
数十台のスマホは一斉に同じ動画を再生する。
「最大音量でブッかませぇッ! 」
鷹邑がキャンピングカーの扉を蹴り開けると、そこから鷹の鳴き声が緊急サイレンのようにけたたましく、それも断続的に街の端まで鳴り渡った。
烏のほとんどが身を翻し、それでも車内に入ってきた個体はアドニスの牙とコウジのドスが片付ける。
あれだけあった鳴き声が、ほんの数十秒で、嘘のように静かになった。
「ふぅ、やった」
「そうだな」
二人はホッと息をつく。
だが、今の音で烏は消えたが、別の存在が彼らを発見した。
「ゾンビ来る! 」
「だろうなァ! 」
街の隙間を縫うようにゾンビの群れが押し寄せる。
「伊形組の事務所に向かって! ナビゲートする! 」
「そこには何があるんだァ! 」
「武器と、あと運が良ければ味方! 」
「そりゃ行くっきゃねぇ! 」
組事務所はここからそう遠くない歌舞伎町の雑居ビル。
―― 暴走キャンピングカーはゾンビとなった罪無き人々を弾き飛ばしながら、歓楽街一角の目的地へ辿り着いた。
「ここの最上階」
「エレベーターが生きてるといいけどな」
「もしもの時は背負って」
「は? 普通に嫌だが」
ゾンビを撒いた二人と一匹は、期待と不安を胸に、ビルの中へと足を踏み入れていった。
―― 次回へ続く。
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