Abyssers

FILE:1-2 ―― オッサンとヤクザとシェパードと②

――しばらく距離を稼ぐと、二人はうろついている一匹のシェパードに出会った。筋骨隆々、見るからに警察犬である。署のシンボルが印された青いリードを着けている。

「……吠えるなよ」

「……絶対に吠えんな」

　二人の願いも虚しく、警察犬は「我が名誉にかけて」と言わんばかりに吠えた。吠え散らかした。ゾンビは音に誘われて無我夢中に迫ってくる。

　一番にやってきたゾンビは、案の定、さっきの巨体のゾンビだった。

「警察署に逃げるぞ！ 」

「武器があるかもね！ 」

「バウッ！ 」

　警察犬も、「犯罪者逃がさでおくべきか」とばかりに二人を追う。一行はゾンビを撒くために、開放されていた警察署へ入った。

　警察署玄関ロビー。

　広く開放的な空間で、平時であれば市民からの相談や事件対応で待合が忙しくなる。さながら市役所のような作りであり、それによって警察署の剣呑な空気は相殺されていた。

　その受付カウンターに、二人はもたれて会話を交わす。

「お前の名前は」

「コウジだよ。一応ヤクザの若頭……あ、そうだ」

　コウジは思い出したように手を打つ。

「なんだ」

「さっき僕の組員に銃向けてたのって、オッサンだよね？ 棚の隙間から見てたよ」

「忘れろ。おい犬、名前は」

「バウッ！ 」

「クソイヌにするか」

「賛成」

　クソイヌと呼ぶと尋常でない声量で吠えるので、仕方なくリードの名前、アドニスと呼んでやると、水を打ったように大人しくなった。

「なんだコイツ」

「まぁまぁ、ここの警官の死体から銃も弾丸も手に入ったし、いいんじゃない」

「結果オーライってか……あー、おいでなすった」

　入口より侵入したのは、今日何度目かの巨魁ゾンビ。

　アドニスもさすがに警戒したのかすぐには吠えなかった。

「いいかコウジ。さっき脳天抜いた時、奴（やっこ）さんは動かなくなった」

　ゾンビは腹部から血を垂らしながらも歩を進める。

「動作に関わる部分は脳にある。並みのゾンビより脳がデカいと見えて、一発で吹き飛ばしたぐらいじゃ死なん」

「何発もぶち込めばいいんだね」

「要領良いぞ、若頭。一緒に頑張ろう」

「……なんか軽薄」

「（俺もコイツも銃の名手じゃない。頭に当てるなら近づく必要があるが、間合いに入ればこっちがヤられる。弾丸にも限りがある）」

　しかし、そんな作戦を立てる間もなくアドニスが先行する。

「行くなクソイヌッ！」

「クソイヌ！」

　二人が揃って制止したが、アドニスは聞く耳を持たない。全身の毛を逆立て、正面から敵を威嚇し始める。

「バウッ！ ワウッ！ 」

「コウジ、左へ！ 」

「オッサンは右！ 」

　静止しながらも反射的に二人は駆け出している。ゾンビはアドニスには目もくれず、人間の、それもコウジの方へ体を向けた。

　最悪の事態は訪れる。

　玄関からアドニスの鳴き声を聞きつけたゾンビが三体侵入。敵は四体へ増加。

　舌打ちしつつ男は、コウジと巨体ゾンビと玄関の三体に視線を走らせる。

「玄関対応する！ 」

　男ならばゾンビを銃以外で、音を立てずに倒せる。コウジがアドニスと協力し、その場を持ちこたえることに男は賭けたのだ。

「こっちは任せて！ 」

　コウジは二発を巨体ゾンビの頭めがけて発砲、一発は外れ、一発は片耳を吹き飛ばした。

「残り四発！ 」

「ガウッ！ 」

　アドニスも巨体ゾンビのふくらはぎに喰らいつくが、ゾンビはどこ吹く風でコウジへにじり寄る。アドニスはそれでも食い下がった。お陰でほんのわずかだが歩速が緩む。

　銃声が三発。

　男は玄関のゾンビを軒並み蹴り葬った。だが。

「遠くからまだまだ来るぞ！ 」

　これより先はタイムアタック。男は床を弾くように走り戻る。

「最速で仕留める！ ＲＴＡ！ 」

「分かった！ 」

　コウジは脇を締め、肩に力を入れて銃を構えなおす。

「外さない」

　銃声を立て続けに四発。

　一発目は顎、二発目は鼻へ命中したが、三発目と四発目は顔に当たらなかった。コウジの弾が無くなり、再び弾を装填する必要が生まれる。

　同時に玄関へ新たなゾンビの影。男は二体視認した。

さっき倒した三体のゾンビの内、二体は再び起き上がろうとしている。アドニスはまだ巨体ゾンビの足を離そうとしない。

「俺がやる！ 」

　男が巨体ゾンビの真後ろに立つ。アドニスの噛みつきとコウジの弾のお陰で、相手の動きは緩んでいた。

　慎重に構え、三発。

　後頭部に二つ黒い穴が空いて、ゾンビの動きが止まる。アドニスは牙を引き抜いて、コウジの足元へ。

「殺れたかな？ 」

「生きてるに決まってんだろ！ 」

　巨体ゾンビの瞳孔はグルリと円を描いてからコウジを見下ろし、またコウジへと接近。玄関から歩いてくる敵は七体に増えている。男は残りの一発の照準を、再び巨体ゾンビの後頭部に合わせた。

「今度こそ」

　銃声がこだまし、命中。ゾンビは膝を突いてから、数拍空けてうつ伏せに倒れた。ゾンビの身体は、アドニスとコウジのすぐ足元に崩れ落ちてくる。

「やった！ 」

　コウジが油断したその時。

「離れろ！ 」

　巨体ゾンビは両腕を伸ばし、アドニスは咄嗟（とっさ）に避けたが、コウジの右足の脛（すね）を掴んだ。途端にそれは握りつぶされ、板チョコを割ったような音が響く。コウジは声を押し殺し、絶句した。

「俺が刺す！ 」

　男がすぐさまゾンビの後頭部にマウントし、まだ持っていたドスを、頭蓋めがけて全身全霊で突き立てる。突き立てた状態から横にスライド、頭に亀裂が走り、コウジの脛から手が離れた。

「逃げるぞ！ 敵がまだまだ来る！ 」

「ったく、ぬかったなぁ……！ 」

　コウジは緩んだゾンビの手から足を引きずりだすと、片足でなんとか立ち上がった。顔は蒼白で、額には温度の無い汗が滴っている。

　アドニスは追手のゾンビ達を威嚇し、自分が狙われないことを生かしてゾンビの足に嚙みついたりして、追撃を遅らせている。

　男はコウジを背負い、署の奥へと進む。アドニスは殿（しんがり）として最後まで戦い、奥の職員室へ続く扉に間一髪で入ってきた。アドニスの口は泥色の血で汚れている。

「応急処置の道具が無い……悪いが、これで逃げるぞ」

　部屋の隅に打ち捨てられていた車椅子を持ってくると、それにコウジを乗せた。乗る際のわずかな振動で、またコウジが呻く。

「泣かないのが立派だ。ガキンチョ」

「どう……も」

　銃をリロードし、さっきの菓子パンと茶を二人で体に入れて元気を振り絞る。

「こちとらヤクザの若頭やってんだよ……死んでも、死ぬか」

「頼りになるね。その意気だ」

　署を後にする前に、男はアドニスを見下ろして訊ねる。

「お前も来るか？ 」

「わふっ」

　思ったより柔らかい返事で、アドニスは二人の後をついてきた。どうやら、先の戦闘で二人を仲間だと判断したらしい。

　一行は裏口から署を出る。

　空は薄暮（はくぼ）。

　夜になると、そこからはゾンビのテリトリーだ。

「そうだオッサン。名前は？ 」

「鷹邑（たかむら）。鷹邑 一喜（かずよし）だ。元キックボクサー」

「知ってたよ、有名人。僕は 皇治（コウジ）。伊形（いがた）組若頭。よろしく」

「で、クソイ……アドニスか。なんだこの三人組」

「生きられそうな三人だね」

「確かにな。このトリオでしばらく頑張ってみるか」

―― 次回へ続く。