FILE:13 ―― 物や思ふと 人の問ふまで

―― コウジたちがヘリを追って辿り着いたのは、山奥の村にある市民病院だった。

 なお、近頃の大規模な都市の病院は、占拠されたり、医療物資の強盗被害に遭っているため、殆どが廃墟になっている。

 コウジと左門が病院玄関から入ると、すぐ傍にナースセンターがあった。真っ先に左門はカウンターに肘を突いて訊く。

「鷹邑一喜の病室はどこだ」

「親族の方ですか? その方は手術中です」

「なら、ソイツを入れる予定の病室へ通せ」

「申し訳ございません。手術中の段階では、まだそこまで……」

「ならば今決めろ。決められないなら院長を呼べ」

 端正な容姿とスーツ姿からは想像もできない態度の悪さが、左門の印象をみるみる下降させていく。

 コウジは左門の腰をぽんと叩いて諌めた。

「こらこら、左門」

「ですが、造作もない筈です。おい年増のナース。貴様、減給で済むと思うなよ」

「ちょっと。そこの御方。暴力的な言動は現行犯逮捕ですよ」

 その小競り合いに割り込んできたのは、糸のように細い目で、特殊部隊の兵装をまとった、左門より少し背の高い男だった。肩幅、首、腕、声、どれをとっても樺の木の梢のように細い。

 左門はナースにトバしていたガンをその男に向ける。

「鷹邑さんの奥さんですか? であれば、旦那様が大怪我を負われて大変動揺されてるとは思いますが、どうか冷静になさってください。待合には他の患者さんもいますので」

「次に奴を旦那と呼べば全ての穴を縫い合わせるぞ。長生きしたければ口をつぐめ」

「おっと。堅気とは思えない言い回しですねぇ」

 男はニヒルに笑う。

「フン」

「とりあえず、身分証だけでも提示されたらどうです? 手続きにも必要ですし。ほら、支払いとかも」

「金は払わん。勝手にここへ担ぎ込んだのは貴様らだろう」

「彼を一人にしてゾンビと戦わせたのは貴方達では? 」

「黙れ」

 左門のスーツの内ポケットから小ぶりな拳銃が差し向けられるのと、男の上腕のポケットに装着されていたコンバットナイフが左門の喉元に突きつけられたのは瞬時だった。

「私の引き金は軽いぞ」

「御託の前に撃ってみなさい」

 龍と虎が睨み合う屏風を擬人化すれば、このような光景だろうか。この病院にいる人間の、誰も彼らを止められないに違いない。

 仲裁に入ったのはコウジだった。

「もう金を払ってきた。銃を下ろして。左門」

「はっ」

 コウジは、刺すような上目遣いで男を見上げる。

「すいません。目を離すとすぐしようとするんです」

「自衛ですか。これが? いくらこのご時世であっても、ポケットに忍ばせた銃で警官を脅すなんて、ヤクザくらいのものですよ」

「だったらどうした」左門が返す。

「逮捕します。警察なので。知ってましたか? まだこの国は法治国家なんですよ。警官に銃口を突きつけると何年刑務所で安全に暮らせることやら。檻の中にはゾンビも来ないでしょうし」

「逮捕だと? 片腹が古傷で痛みそうだ。脆弱な公務員風情が私に触れようものなら、眉間に風穴を空けてやる」

「こちらが空けるのもやぶさかではありませんが? 」

 再び金色の屏風が院内に現れる。さすがに次は男が先にナイフを下ろした。

「まぁ、種明かしをするとお二人の面は割れています。私は元マル暴ですから」  

「生憎だが、国が平和だった頃から貴様らが国家の犬畜生以上に見えたことはない」

 男は、ほとほと困ったという顔でコウジに聞く。

「あの……若頭さん。この方はずっとこの調子ですか? 」

「そんなことないんですけどね」

「いやはや、飼い主さんも大変ですね。自分を犬と認識すらしていない馬鹿犬を飼うのは骨が折れそうです」

「皇治様。この男を殺害する許可を」

「認めないよ」

「だ、そうです。リードに引かれて失せてください」

「顔は憶えたからな」

「光栄です。美人さん」

「……ッチ」

 一悶着のせいで、二人は病院の外で待機することを余儀なくされた。

 病院の蓮池に向かうベンチに腰かけて、コウジが左門を心配する。左門は池の縁の、腰ぐらいの高さの柵にもたれてタバコを吸った。

「どうしたの、左門。いつもの君らしくない」

 彼女がタバコを吸うのは、きまって余裕の無いときだ。

「……分かりません」

「鷹邑のこと? 鷹邑に助けられたから―― 」

「違います。断じて」

 左門は思わず、タバコを取り落とす。拾うことなく踏んで消火した。

「僕らは堅気に命を救われた。僕に関しちゃもう何度も。これは事実だ。警察がいなけりゃ、その鷹邑も殺されてた」

「……ですが」

「もう、ヤクザとそれ以外がいがみ合う時代じゃないのかもしれないね。それこそ、今は警官とヤクザが銃を突きつけ合っても戦争にならない」

「駄目です……皇治様。我々は、我々は、連中と関わらない世界で、仕事をしてきた筈です。これからも、そうしなければ」

「巻き込むのが嫌なのかい」

「……私は、私の親は堅気でした。どちらも死にましたが」

「何が言いたいの」

「申し訳ありません、まだ頭が、その……まとまっていません……」

「落ち着きなよ。君らしくない」


――それから、池を鴨の親子が泳ぎ、水面を雲が反射して流れていった。左門は、何本目かのタバコを吸いながら考える。

「(堅気出身のヤクザは苦労すると、ボスに言われたことを思い出す。今になって、ぼんやりとその意味が分かってくる。

 鷹邑と二度殺し合い、二度殺せなかった。私は弱くなったのかもしれない)」

 タバコを池に捨て、物思いに耽って彼女は言った。

「あまり巻き込みたくないんです。あの男を」

 人々の心は、変わっていく。

 社会に根ざした境界が、今ほぐれる。





―― 次回へ続く。

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