FILE:5-1 ―― 象の親子①

――日本屈指の面積と飼育頭数を誇るU動物園に到着した鷹邑は、正面玄関に堂々とキャンピングカーを乗りつけた。

「駐車場要らずってのは楽ね」

 アドニスも、ドアを開けてやると颯爽と降り立つ。

 鍵をかけてから周囲を確認する。

 誰もいない。不気味なくらい静かなものだ。

「アドニス、何か変な臭いとかするか? 」

 アドニスはたまに園内の方を食い入るように見つめる以外で、目立った変化を見せない。

「入ってみないことには始まらんか」

 入園すると、早速、四方に矢印を向けた標識が立っている。

「熱帯エリアとかサバンナエリアとか、色々あるんだな。お前好きな動物とかいんの? 」

「くぅん」

「いないか。いないよな」

 二人は漫然とサバンナエリアを目指す。

 道中には様々な檻。

 動物の遺体が転がっている檻もあれば、空のものもある。飼育員がゾンビになっている檻もあって、その脇では一頭のバクが亡くなっていた。

「酷ぇ」

 鷹邑は、普段では楽しめない動物園での歩きタバコを満喫しつつ、ずんずんと歩を進める。

 ところが、アドニスの歩幅は極端に小さくなっていた。

「バウッ」

 彼は進行方向を睨んで唸っている。

「どうした、怖いのか? 」

 鷹邑は周囲を見渡すが、何もいなければ聞こえもしない。

「警察犬だもんな。一応注意するか」

 腰の拳銃を抜いてセーフティを外してから、さらに奥へ進む。空にはたまに、動物や人の屍をついばみに来た烏が舞っていた。

 そして、いよいよサバンナエリアに到着。

「キリンさんもカバさんもいないか」

 しばしば檻の出入り口が開放された所が散見される。

「本当のサバンナと危険度は変わらんな。どっから猛獣が出るか分からん。気をつけろよ、アドニス」

「ガウ」

 二人はゾウのエリアを通りかかる。途端に、ソレを見た鷹邑が歓声をあげた。

「おぉ! ゾウだ! 」

「わぅっ! 」

 柵に身を乗り出して、鷹邑は二頭の、おそらく親子連れの象がエリアを周遊しているのを見つけた。元気は無さそうだが、たしかに生きている。アドニスも尻尾を振りながら息を荒げた。

 象も二人に気づいたのか、堀のギリギリまで近づいてきて、あの勇ましい喇叭らっぱのような鳴き声をあげた。

 ォォオオン……。

「歓迎されてるぞ! なぁ、アドニス! 」

「ばふっ! 」

 興奮状態の二人はしばらくその二頭と見つめ合った。

「良いなぁ、かわいいな。久々に来たもんな。動物園なんて。小学生ぶりか」

 独り言を漏らしながら感慨に耽る。

「よく家族で来てた」

 当時の園内の賑わいや、見上げるばかりだった大きな大人達の面影がよぎる。

 鷹邑は我に返り、ふと思った。

 象も、餌の殆ど無い状況でなんとか耐えている状況。残った物をかき集めて、ようやく生きているに違いない。

「(象舎から繋がる運搬用のルートがあれば、そこから逃してやることもできるか? )」

 鷹邑は、彼らを逃してやれるルートを探すことにした。

 一度園外へ出て、道路伝いに象舎の裏手へ回り込んでみると、関係者以外立ち入り禁止となっている道路があり、その鉄柵は開いていた。

「ここだな。行こう」

 左右を木々に挟まれた道路を抜けると、やがて象舎と思しき建物の裏に辿り着いた。

「シャッターか」

 舎の入口には、運搬トラックが通るための巨大なシャッターが頑丈に降りており、人間の力ではとても上げられそうにない。

「スイッチとか探そう」

 それはシャッター脇、すぐの所に見つかった。黄色と黒の縞々にデザインされている。

 スイッチを押し込むと、シャッターはゆっくりと上がっていく。チェーンが鳴る音や、シャッターを持ち上げるモーターの音がして、さながら工場だった。アドニスはテンションが上がったのか尻尾を振っている。

 シャッターが開くと、動物特有の、野生味を帯びた臭いが吹き抜けてくる。鷹邑は思わず鼻をつまみ、アドニスは耳と尻尾を垂らした。

「とりあえず、全部の柵とドアを開放してここまで来れるようにすりゃ、ゾウも勝手に出てくるだろ」

 鷹邑はそう思い立って、手当たり次第に巨大な柵や人間用のドアまで開けていく。そして、最後の放飼場に繋がる、スライド式のドアの前までやって来た。

「ここを開けたら、ゾウさんとご対面か。」

 このドアも電動式になっている。象では開けられないようにするためだろう。

 脇のスイッチを押す。

 何メートルもの高さの分厚いドアが、ゆっくりとレールを擦りながら開き、陽光が舎の中に差し込んでくる。

「電気が通っててよかった。有志がいるんだろうな」

 舎の中に散らばっていた、糞や野菜の食べカスが照らされていく。

 飼育員と子どもの象が寄り添うように亡くなっている檻も光を帯びた。土埃が光に浮かび上がった。

 扉の向こうからこちらを見つけた象が、ゆっくり歩み寄って来る。

「下がってよう」

 二人は舎の出口まで後退して、象の動向を見守った。二頭は鳴くこともなく、食べ物の残骸を鼻で拾い、食べ始める。時折、飼育員の亡骸を鼻で撫でることがあったが、それ以上の反応は見せなかった。

「この二頭だけでも、この先元気だといいな」

 鷹邑は込み上がってくる感情を抑え、アドニスにこぼす。

 かつての思い出の地の、この有様。歓楽街の荒廃よりも胸を記憶ごと抉り取っていくような、この変わり様。

 鷹邑は涙こそ流さなかったが、眉間を抑えて俯いた。





―― 憧憬跡形もなく。次回へ続く。

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