番外編〈左門〉

左門の懐古。ポケットの中の石。

――私は、哲学者が嫌いだ。

 非力なくせに、言葉だけでなんとかしようとするから。暴力とか、社会の不条理に、そんな口先とか小手先で楯突こうとするから。

 私の両親は特にその典型だった。

 父と母は大学の哲学科で知り合い結婚した。父は大学院を出て研究職に就き、母は私の子守をしながら主婦として家を支えていた。

 いつもならこの時期アメリカにいる父だったが、内戦の気配を察して、家族を案じすぐに帰郷してきた。

 故郷の名前は確かガザ。

 雨よりクラスター爆弾の方がよく降る所で、たまに雨も降ったかと思うと、ダムが破壊されていたせいですぐに洪水が起きた。地区は過激派の拠点に包囲されていたから、逃げ出すことはできなかった。子どもを連れてとなるとなおさら不可能だった。


 爆風に頬を撫でられる、そんな日々の最中。

「サルマ、駄々をこねるな。早く乗るんだ」

「あなただけでも行くの」

 代理戦争に興じていた米軍が重い腰をあげ、ようやく数機の救助機が飛来。定員に制限があり、両親は一人娘の私だけを乗せようとしていた。

 次の飛行機はいつ来るか分からず、激化する戦闘と少なくなる配給のせいで、次までの生存は絶望的だった。事実、二人の後の消息を知る人はいない。

「嫌だ、嫌……パパ、ママ……! 」

 私は非力ながら、そう、当時は非力だったんだが、必死に抵抗した。何を奪われてもいいから、両親とだけは離れたくないと、本当に必死に抵抗していた。

「サルマ、よく聞きなさい」

 父が、暴れる私の手首を掴んで言い聞かせた言葉を、まだ覚えている。

「なに、なんなの……! 」

「人はそれぞれの手段で生きる。いつも爆弾を降らせている彼らは、爆弾で人を殺すことで生きることを選んだ、選ばざるをえなかったのかもしれんが……」

 母も、私を抱きしめるように抑え、父の言葉を聞かせようとした。

「不幸なことだ。暴力で生きることは。けどな、パパは、パパは幸運だった。言葉と、文字を尽くしてここまで、四十まで生きてきた。誰に爆弾を降らせることもなく、誰から水を奪うこともなく生きてこられた」

「でも、離ればなれは不幸だよ……」

 私の声は涙でかすれていた。

「不幸じゃない。なぜなら人は不幸の箱から、幸せを取り出すことができるマジシャンだからだ」

 父はボロボロになった土臭いジャケットの胸ポケットから、一つの石を取り出した。その石は雲のように白く、瞳のように丸かった。

 今でも私はそれを持っている。まだ棄てられていない。

「この石は、ただの瓦礫の中にあった石ころだ。サルマ、これを父さんと、母さんからの形見としてお前に渡す。今からこの石ころを、宝物と呼ぶんだ」

「こんなの……嫌だよ……」

 私はそれを握らされた。石の冷たさで心臓が乾いた。

 母の両手が私の両手を包んで、冷たさと暖かさで気持ちが混ざった。

「サルマ」

 母の声は、喫緊たる父と違って落ち着いていた。

「あなたの道は、あなたで選んでね」

 母からの言葉は、それだけだった。

 最後は軍人が出てきて、無理やり飛行機の中にブチ込まれた。

 離陸する前。

 取り残された人々の顔が見えて、笑って手を振っている人が何人かいて、その中の二人が両親だった。

 もちろん、飛行機に向かって石を投げる人も、罵声を浴びせてくる人もいたけれど、その顔より両親の笑顔のほうが、十年以上経った今でも目の奥に焼きついている。両親の言うところの「善く生きる」ことの強さの意味が、最近、身にしみて分かってくる――。


――任務で夜中の高速を走る。

 たまに廃車が乗り捨てられているぐらいで、人はおろかゾンビすらいない。

 私は、こういう何もない時間にふと両親の、そういう出来事を思い出す。

「(けど、父さん。暴力で生きるのが不幸だって言ったけどさ。今の世界見てみなよ。言葉で生きてる奴なんか全員死んじゃったよ。だからこの時代で、私は暴力と少しの言葉で何か考えてみるよ)」

「全然、学問っぽくないかもしれないけどね」

 星はこの国にもまたたく。胸ポケットの石の重みが、今日は懐かしく思えた。





―― 次回へ続く。

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