FILE:7-4 ―― 燻る
なぜ彼が学園を目指しているのか。数多の銃声と動物の鳴き声が、そちらからひっきりなしに聞こえていたからである。
「正気の沙汰じゃないってばよ……」
傍らのアドニスは、開けた窓からさんざんに吠えている。
「ばうっ! わうっ! わうっ! 」
時折、鷹邑を向いて吠えるアドニスは、「もっとトばせ、馬鹿! 」と急かしているようにも見えた。
「警察犬がスピード違反させんじゃねえっつーの」
正門まで来ると、アドニスは体育館の方へ向けて吠える。
「あっちだな? よしよし」
庭園の花壇を轢きながら、体育館までほぼ一直線で向かう。
ガラスが粉々に散らばった玄関まで着けば、その玄関奥に、ゾンビの集団と猿の群れが争っているのが視えた。さっきからの銃声が少しずつまばらになっているのも分かった。
「急ぐか」
降車してアドニスが先に中へ。鷹邑も拳銃を構え後を追った。
そして。
「……おいおい、気分悪いぜこりゃァ……」
馳芝の警棒に猿が噛みつく。柄木は疲労困憊で、金属バットを振る腕が鉛のようだった。シャビの弾は尽き、荷稲も指先から出血。矢も尽きて、猿に刺さった矢を拾い集めて我武者羅に戦っている。
霧雨と縦木は。
「取った! 戻るわよ! 」
「でも……! 」
二人はスプレーとライターを手に入れたが、来た道には、体勢を戻したゾンビと猿が憎悪と飢えに目を見開いていた。
「ピィンチ」
「……ずっとそうですけどね」
霧雨は面を直し、縦木はその場で二度、小さく跳躍する。
「行くわよ」
「行きましょう」
――ボス猿と対峙する一延。
「チッ、コイツ動きが! 」
ボスは一延の足捌きを学習し、自らが踏み込むべき間合いと、出力すべき攻撃速度を調節し始めた。人間という生物が、全力で殴らずとも倒せると理解したのだ。
「はぁ……参ったぞ、これは……」
そのようにして、全員が汗と返り血で体中を濡らしていた、その時。
にわかに入り口の方から声が聞こえた。
犬の鳴き声と、一部の人間には聞き覚えのある声。
「誰かいるのか! 返事しろ! 」
「ワウッ! 」
馳芝が掠れた声で返答。
「ここです! 生存者がいます! 」
「分かった! 援護する! 」
アドニスは、ゾンビと猿の間をかいくぐって壁を突破。鷹邑は並みいるゾンビを蹴り崩し、猿は銃で仕留めながら前進していく。
「く……っ」
馳芝の左腕に猿が噛みつく。重みで体が前のめりになり、急な衝撃で腰に電流が走る。
「――バウッ! 」
その猿の頭に食いつき、引き剥がしたのはアドニスだった。馳芝はその顔を見て瞬時に気がつく。
「アドニス! 」
「わふっ! 」
「来てくれてありがとう! 手伝って! 」
「ガルルッ! 」
アドニスは全身の毛を逆立て、双牙を剥き出しにして臨戦態勢に入る。
鷹邑も遅れて突破してきた。顔の返り血を上品にハンカチで拭きつつ、生存者の集団に混じってくる。
「やぁやぁ、こんばんは」
「あなたは? 」馳芝が訊ねる。
「鷹邑一喜。元キックボクサーです……おっと! 」
飛びかかった猿を顎へのフックで床に落とし、ローキックで頭蓋を砕く。靴に鉄板を仕込んであり、猿は即死だった。
「我々は今、あの非常口からの脱出を試みています……このっ! 」
馳芝は会話に割って入ったゾンビの顎を警棒で粉砕、銃口を喉まで
「……今はこの群れに対処するため、二人の生存者がアルコールとライターを取りに行っています。一人はあのボス猿と対峙を」
「把握」
鷹邑は背中のリュックからマガジンを出し、馳芝とシャビ、飯島に一つずつ渡す。
「ほらよ。ほらよ。ほらよ」
「お? お前若頭の付き添いじゃねぇか」シャビは鷹邑に気付いた。
「久しぶり、デカブツ」
「今回も助けられたな。後でキスしてやる」
「結構だ。俺はあのボス猿を仕留めに行く。ここは任せた」
「やれんのか日本人? 」
「
「じゃあやれるわ」
鷹邑が駆け出すのと入れ違いで霧雨が帰ってくる。
「これ持ってきたわ」
「ありがとう……無事で良かった。縦木さんは? 」
「包囲から抜け出すために私を助けて……あそこに残った」
霧雨は
「……そうか」馳芝は彼へ向けてせめてもの敬礼を送る。
「もう火種は蒔いてあるわ」
生存者たちの背後に、いつの間にか炎の壁ができている。後顧の憂いは無くなったが、同時に逃げ道も失った。縦木も、こちら側へは来られないだろう。
「喪に服してる時間は無いわ」
馳芝、アドニス、霧雨、シャビ、荷稲、柄木、飯島、子どもたちや他の生存者も、意思を固める。
シャビの一喝の雄叫びが夜をつんざいた。
「皆、行くぞォオッッ‼」
皆は
―― 一延のもとに鷹邑が駆けつける。
「薙刀君。名前は? 」
「あ、え、誰ですか? 」
「俺は鷹邑一喜。ほら、君は」
「僕は一延、一延 瑠希です」
目の前のボス猿は、全開になったアドレナリンで傷を無かったことにしている。あと十年は倒れる気配が無い。
前の腕を床に浅く浮かせ、半身になっている。これはいわばボス猿流の構えだった。
「コイツかなり学習してますよ。」
「だろうな。半身の猿なんて知らん」
このボス猿が半身を採ったことで、脇や肩の筋肉が邪魔し、少なくとも直接心臓を狙うことはできない。
「頭しかないな。」
ボス猿はゆらゆらと、左右に身体を振るように構えている。さっきの矢で射抜かれた経験から、頭を狙われることを避けているのだ。
「すぐに仕留めるぞ。接近戦は任せる」
「えぇ。今は何でもできる気がしてます」
放火の影響で体育館の温度が上がってくる。鷹邑と一延の額に汗が伝い、顎から滴った。
「来るぞ! 」
「はい! 」
ボスは上体を浮かせ突貫。巨大な左手で顔の上部を隠している。脳を防いでいるのだ。
「このッ! 」
右手を斜め上から切り下ろすような手刀。標的になった一延は、敵の間合いから半歩だけ下がる。これにより猿の想定の間合いより僅かにズレが生じ、最大の威力は発揮できない。
「流せる……! 」
薙刀の側面をボスの手首に合わせ、その威力のままに受け流す。そこへすかさず鷹邑が弾丸を撃ち込む。正面に向いた胴体の上部に着弾、黒い毛が血で湿ったのが視えた。
ボス猿は一、二歩と引き下がるも、自分の目に刺さった矢を引き抜き、振りかぶって
「うぐァッ!? 」
見切れなかった一延の左脇腹を貫通。
「出血抑えろ! 」
「いえッ! 」さらに一延の足に、回ってきた火が着火した。
「おい……おい、どうする気だよ」
一延は薙刀を持ち上げるように上段で構え、足から徐々に伝わってくる火を消そうともせず、ボスへ歩を進める。
「何でも、できそうな、気が……するんです」
「行くな、おい、死ぬって! 」
「――いざ」
それは特攻。かつて第二次世界大戦中、日本の若者は航空機を駆って自爆攻撃を行った。
なぜそのような攻撃が可能だったのか。
超常的なアドレナリンと正義感、意思や恐怖、あらゆる感情と理性と本能が
一延はこの状況下で、特攻の精神下にあった。
痛みも熱さも感じない。
恐怖も絶望も無い。
一延はこれこそが、自分が元の世界に生きていては千年掛かれど辿り着けなかった、武の極地だと体感した。凡人が平和な国で稽古しただけでは、決して見えなかった景色。
「いざ、尋常に」
一延の衣服まで火炎が覆う。鬼神の如き背姿の一延が、奇怪な猿の首領と対峙する姿は、さながら地獄絵図だった。
息を呑んだ鷹邑に、霧雨の声が聞こえてくる。
「退路が開けた! 全員来て! 」
「……分かった! 」
一延はもう助からない。そしてボスを食い止めるためには足止めが必須。火の手が鷹邑の退路を塞ごうとしている。考える時間は残っていない。
「すまない、任せた」
鷹邑はそう言い残し、戦闘を後にした。
生存者たちが切り拓いた退路には、ゾンビや猿が死屍累々と横たわっている。それらが燃え、体育館には肉を焼いた臭いが立ち込めていた。天井は既に煙のせいで見通すことができない。
「皆、無事か! 」
壁に沿い非常口へ向かいつつ、馳芝が呼びかける。
「大丈夫そうだ! 」
「ピンピンしてます! 」柄木は最後の力を振り絞って、シャビとともに後続を務める。
「しばらく弓は触りたくもない! 」荷稲が初めて文句をこぼし、痰を床に吐いた。
「ワウッ! ワウッ! 」アドニスは馳芝の足元を興奮した様子で走り回っている。
子どもたちは誰も喋ろうとしなかったが、全員息が荒く、かなり消耗しているのが伝わってきた。怪我をしている子もいた。
その後、火に逃げ惑う猿とそれを狩るゾンビとで、体育館は地獄と化した。猿の山がキャンプファイヤのように燃え盛り、崩れ、割れた採光窓から煙が立ち上った。
遂に生存者たちは、煙に霞むピクトグラムだけを目印に走り、命からがらにも、脱出を遂げたのだった。
シャビのバン、鷹邑のキャンピングカー、馳芝のパトカーに人を分けて乗り込む。
去る間際に体育館を振り返ると、猿やゾンビの喧騒は続き、煙が上っていた。炎も強くなっていた。やがて建物も燃え尽き、倒壊してしまうのだと分かった。
三台の車はひとまず伊形組事務所を目指す。
こうして、無数の猿とゾンビに襲われた未曾有の大激闘は、三人の犠牲を払って幕を降ろしたのだった。
遁走する車内で、生存者たちは思った。
これから先、この世界で生き残ることはできるのか。
―― 戦いの幕。次回へ続く。
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