FILE:19-7 ―― 愛しい人
―― そして、左門と皇治は渋谷避難所に突入する。
至るところに矢を受けたゾンビや人間の遺体。
民間人の脱出はあらかた完了しているようだった。
体育館中央には、数十人と一体のゾンビが対峙していた。その人々は、背後で行われる心臓マッサージをゾンビから守っているように見えた。
「荷稲さん……! 荷稲さん! 」
「柄木君! もう助からない! 」
「諦めるな! 諦めちゃダメだ……」
左門は頭を握り潰された大小の遺体を跨いでいく。左門の眼が憎悪の淵に沈んでいく。
そして、アビスの背後に立った。アビスは背後の眼で左門を見据える。
「左門さん……左門さん! 荷稲さんが……! 」
飯島の叫びに、左門は事態を察した。
「死んだか。老兵」
彼女は、血の海に横たわる荷稲を一瞥し、振り返ったアビスと対峙する。
「さて。安く死ねると思うなよ」
左門は鉞より日本刀を授かっていた。鉞は、ゾンビの弱点が銃撃ではなく切断だと理解していたからだ。
刀を抜き去るや、鞘を投げる。
落ちた鞘が血溜まりに波紋を起こした。
「微塵切りだ」
―― 伊形組事務所。
鉞は、アビスより放たれる連打をわざと腹部で受けた。衝撃が内臓の位置を変え、肋骨が割れる音がした。
「若いんだよ……坊主」
連打を受けることと引き換えに、アビスの眼から上、胸部、首と、急所へ太刀を刺突する。だが、そのどれもが致命傷にならない。
アビスは傷を追ったそばから再生した。
ナカムロは微動だにせず戦闘を傍観している。
「(超速の再生。……
鉞は、最大まで集中力を高め、同時に痛みを緩和するため、事前にドラッグを致死量ギリギリまで服用していた。
それゆえに、鉞の思考回路は死への恐怖を無視し、勝機を見出すべく演算を続ける。
「(再生前に別の箇所も斬る……それも同時に治る……あのゾンビが黙って見てるってことは、この戦法を続けても勝ちは無い)」
ならばと。鉞は覚悟する。
「……ッ! 」
拳を受けた刃は、ゾンビの肘関節までめり込んで止まり、そのまま腕が再生する。刀は腕に埋め込まれ、鉞の手から離れた。
「…………そうか」
窮地に生まれる突如とした閃き。
鉞の冴えた脳裏に、唯一の勝ち筋が見つかった。
同時に使用せざるを得なくなる、鉞の奥歯に仕込まれた、最後の薬。
痛覚を全て麻痺させ、集中力を人間のレベルの限界まで引き上げる代償に、心臓と脳に異常な負荷をかける。その負荷に耐えられる人間は存在せず、鉞であっても十五分で心臓を壊し、確実に死亡する。
彼はそれを奥歯から引き抜き飲み込んだ。
「(コー君……お前が何人目の子どもだったか、俺は覚えちゃいねえ……俺に嫁ができる度、子が生まれる度、
ナカムロは人間由来の勘により、何か尋常ならざる危機を察知し、白衣の懐から拳銃を取り出した。
「ころ゙ス」
「死なねえよ」
鉞の、毛細血管の張り裂けんばかりに充血した眼が見開かれる。放たれた弾丸が鉞の肩部を貫いたが、嘲笑。彼は前進を止めない。
アビスのストレートが顔面を捉えるも、首を傾げただけで避ける。カウンターであるミドルキックがアビスの腰部に刺さると、巨体は宙に浮いて三メートルは遠ざかった。
「ㇱネ゙、ㇱネ゙、ㇱネ゙」
連射して身体のどこに当てようと鉞は倒れない。
「死なねえん、だっ、て」
ナカムロの眼の前に立ちはだかる鉞。どんなゾンビよりも血と殺意に塗れ、どんな人間からも懸け離れた、鬼神の顕現。
ナカムロは弾が切れ、リロードする間もなく首を掴まれる。そのまま持ち上げられ、頸椎が外れる軽い音がしたかと思うと、腐った首は簡単に千切れた。
ナカムロの二度目の死であった。
「しょう もない」
振り返ってアビスを見据える。
「来いや」
ゾンビは動物を襲わない。アビスは、鉞を人間と認識するために時間を要していた。
こんな人間を知らない。本能にインプットされていない。これは人間でも、動物でもない、何か禍々しい悪魔。
「ビビって んのか オレから、いく」
鉞がゾンビのような足取りで近付いていく。
アビスは仁王立ちしたまま、その男を睨みつける。
……………………。
眼と鼻の先。触れられる距離で、お互い微動だにせず。次のコンマ数秒。
「ッシゃァッ!! 」
鉞の右ローキックが、アビスの左膝の外側から入る。アビスの眼球がグルリと揺れ、身体が傾いた。
「まだァッ!! 」
二度目。右ローを右膝の内側へ一撃。アビスは両膝を突き、最後に鉞の頭突きを受けて仰向けに倒れる。
「これ でおわ り」
鉞は振り上げた拳をアビスの顔面目掛けて振り下ろした。
だが。
彼の拳はアビスに辿り着く前に生気を失い、彼自身もアビスへ覆い被さるように斃れる。
「コ……す、ま……」
伊形鉞、その死であった。
アビスは彼を退けると、オフィスのガラスを叩き割り、階下へ飛び降りて消えた。
―― 次回へ続く。
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