第72話 鯉が龍になる伝承って

 名梨と楓は二人揃って奥々多摩のダンジョンの一つ、通称逆鱗の滝へと向かった。

 逆鱗とはすなわち龍の逆鱗のことであり、触れてはいけない一つだけ逆さの鱗のことだ。


 そこから連想されるのは危険極まりない地帯で、龍が蔓延っているのではと錯覚するだろう。

 けれどあくまでも名前のインパクト補正でしかない。


 それもそのはずこのダンジョンに龍はいない。

 ましてや竜もいない。

 完全に見掛け倒しで、ドラゴンの生息していない滝だった。


「まさかな」

「そ、そうだね」


 しかし名梨と楓は困っていた。

 逆鱗の滝、そこに行く道中がこんなに何もないとは思わなかった。


「モンスターの影も形もないな」

「一番安全安心だとは聞いてたけど、ここまで何てね」


 本来奥々多摩は危険なダンジョンが広がっていた。

 しかし名梨達が訪れたのはその中でも比較的安全な場所だ。


 とは言えモンスターとの戦闘は必至。

 そう思っていたのも束の間、全くモンスターに出会わないのだ。


 こんなの予想外だ。

 モンスターに出会わないのならそれでも構わないのだが、むしろ良いのだが、武装して来た意味がなかった。


「剣がいらなかったかもな」

「そうだね。私もナイフを新調したのに」


 お互い用心のしすぎだった。

 とは言えダンジョンの外に出れば、ただのゴム製のおもちゃに変わってしまうので、持ち帰る時も変な感じはない。


 もしも警察の人に呼び止められても大丈夫な仕様だ。

 もちろん予め目印も付けられていて、犯罪には悪用できないようにされていた。


「まあそれはいいとしてだ。滑りやすいな」

「そうだね。滑り止めの付いた靴を履いて来て良かったよ。うわぁ!」

「危ないな」


 楓は自分からフラグを立てて踏んだ。

 案の定転びそうになったので、名梨は腕を飛ばして助けた。


「あはは、ありがとう」

「構わない」


 良い雰囲気なのに何にも発展しない。

 そんな鈍感な名梨だったが、不意に気になることがあった。


「楓、如何して龍登りが見たいんだ?」

「えっ!? そ、それはね。その……えーっと、龍登りはこの時期、この季節、ここみたいな滝が綺麗なところでしか起きないの」

「そうなのか」


 初耳だった。

 むしろ単なることわざだと思っていた。


 しかし実際は深い話らしい。

 楓の話をようやくすると、こんな感じだ。


「龍登りは魔力を持った鯉が龍になるための立派な儀式で、見られるだけで幸運。しかも最後の滝を登り切った鯉は本物の竜になり、その姿を見た人達の縁を結ぶんだよ」

「凄いインチキ臭い噂話だな」

「疑うところから始めちゃうんだ」

「俺はそういう性格だ」


 名梨は淡白、むしろドライだ。

 そのため楓のユーモラスに飛んだ話の内容もほとんどが素通りする。


 しかし頬を膨らませる程度に楓も抑えた。

 来てくれただけで嬉しかったらしい。


「だが、伝承は伝承だ。それ以上でもそれ以下でもない」

「もう、夢ないね」

「そんなことはない。が、今回に関しては確証が薄い」


 名梨は淡々たしていた。

 楓も分かってはいたが一応ツッコミを入れた。


 淡かった。とにかく会話に華がなく、淡い会話が続いた。

 すると近くに川が見えた。

 大きな川だ。先ほど電車の車窓から見たものと同じだろうが、支川にしては横幅があった。


「綺麗な川だな」

「そうだね。ねー見てよ、鯉が泳いでいるよ!」


 楓が指を指した。

 すると黒い鯉が泳いでいた。


 優雅に鰭を動かしていた。

 如何やら上流に向かっているようで、川の流れに反していた。


「凄いな。魚って」

「もしかしたらこれから龍になるのかも?」

「まさかな」


 名梨は興味がなかった。

 むしろあり得ないことだと一蹴した。


「名梨君ってドライだよね。もしかして楽しくない?」

「そんなことはないぞ。これがいつもの俺だ」


 ダンジョンに度々潜っているので、多少は精神も変わった。

 気がするだけではあるが、表向きではよく分からなかった。


 この間見せた笑みは何処へや、名梨の表情はドライだった。

 ほとんど無表情に近く、瞳孔すらまともに動かない。


 それを見た楓は頬を膨らます。

 しかし名梨は何も悪いことをしていないつもりなので、「ん?」と首を捻るだけだった。


「よーし、このまま上流に行こっか!」


 楓はすぐに話を切り替えた。

 早速上流に向かって歩き出す、いきなり躓いた。


「うわぁ」

「石が積まれているな。天然の生垣だな」


 名梨達の目の前に天然の生垣が現れた。

 所々が苔むしていて危ない。


 足を引っ掛ける隙間も少なく、大変危険だった。

 とはいえ、ここを超えないと上流には行けない。


 モンスターはここまで出会っていないが、自然ゆかりのトラップにぶつかってしまった。

 面倒だな仕方ない。名梨は指先を石と石の隙間に絡ませた。


「俺が先に登るから、楓は後で来い」

「う、うん」


 名梨はこう言ったことは慣れていた。

 伊達にアスレチックをしていないので、すんなりと登ることができた。


 とは言えかなり滑りやすかった。

 楓には「慎重に登れよ」と声を掛けた。


「よいしょ。うわぁ、結構滑りやすいね」

「だから気を付けろ」

「分かってるよ。でもありがとう名梨君。せーのっ! あっ」


 楓が石を掴んだ。その瞬間、指先が水滴に触れ、滑ってしまった。

 滑りにくい靴でも先端の方しか刺さっていないので、簡単に抜けてしまった。

 楓の体が地面に叩きつけられるように、落ちていく。


「おっと!」


 しかしこうなることも見越して、名梨は手を差し伸べた。

 ギュッと楓の手を掴むとそのまま引き上げた。


「あ、ありがとう名梨君」

「いいや良い。それより気を付けろ」

「ご、ごめんね」


 楓は頬を赤らめた。

 しかし名梨は右手をジーッと見ていた。如何やら言いたいことがあったのだ。


(重かったな)


 絶対に言えないが、流石に腕が疲れた。

 とは言え怪我がなくて良かったと、ホッと胸を撫で下ろした。

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