第9話 それぞれの作戦会議
ようやく雨が止んだ夕刻、騎士隊員ヨヨ・モリスンは町中の食堂の奥で夕食を取っていた。ここは今日の仕事を終えた建築作業員たちが多く集まる場所だ。ヨヨ自身は建築技師であり、彼らを指示する立場にある。当然、皆知った顔だ。一般的には男臭く騒がしい場所なのだろうが、ヨヨにとっては幼い頃から慣れ親しんだ環境である。この喧噪は子守歌と言っても良いほどの、安心できる場所なのだ。といっても、ヨヨ自身はあまり喋る方ではない。どちらかと言えば、話を聞いてやる方だった。
「あ! ヨヨの兄貴!」
入口の方から
このファル・ハルゼの騎士隊とは、例外を除き、それぞれの部門で長を務めている者たちの集まりを指す。早くに引退した父親に代わり、昨年、異例の若さで長の座に就いたチャックは、それだけ周囲に期待されている若者なのだろう。
隊員同士は、仕事をしている普段はそれほど顔を合わせることはない。隊長からの召集があったり、別部門との連携のための会合があれば、集まる程度のものだ。後は、鍛錬場で鉢合わせた時くらいか。
周囲の男たちは珍しいものをみるような目でチャックを見はするものの、特に構う様子はない。
チャックが自分を探してやってきた理由を察したヨヨは、軽く片手を挙げてやった。前に座っていた部下の技師が、チャックのために席を
「あ、兄貴の
大きな独り言のようなことを言い、チャックが元気よく食堂の親父に注文を済ませた。確かに、ここの塩漬け豚肉のスープは絶品だと思う。
「ヨヨの兄貴はどう思います? あの
「ブリガンダインか」
「そう、ブリガンダイン! ダルの兄貴は『あれらは規格外』だって言ってましたけど」
「まぁ、そうだろうな」
消防隊長でもあるダリウィン・スレイターは、ひと月ほど前にここが
あの時は、偵察に出ていた警備隊が敵の前哨基地を発見し、太守アレクシスが敵に先んじて攻撃をしかけようとする作戦の最中だった。太守が搭乗する
ロクサーナは謙遜するが、彼女の作戦立案能力も大したものだと思う。
少し前に盗賊団のアジトを襲撃した作戦にも、ダリウィンは参加していた。ロクサーナは策を講じただけでなく、自らの危険を
「それでも、勝てる可能性はゼロじゃないですよね」
「そうだな……」
強い眼差しで勝ちを欲する若者を眩しく感じながら、ヨヨは皿に残っていた少し冷めたスープを飲み干した。
ヨヨは、チャックとタッグを組み、ブリガンダインに搭乗したロクサーナと模擬戦をすることになっている。隊長が意図しているのは、双方に経験を積ませ、今後の課題に気付かせることだろう。しかし、チャックは勝負に固執しているようだ。生身の方の模擬戦でコテンパンにやられた仕返しがしたいのだろう。その気持ちは、分からなくもない。だから
「まずは、相手がどう動くのかを考えようか。例えば、お前一人で二人を相手にしなければならないとすれば、お前ならどう動く?」
そう問いかけてやれば、チャックが眉を
なかなか出てこない答えを、ヨヨは少しばかり誘導してやる。
「お前が一方を攻撃しても、すぐにもう一方がお前の背後を取るかもしれんな」
「そんなの困ります! 絶対に二対一なんて不利ですよ。一対一じゃないと――」
はっとしたように目を見開いたチャックが、僅かに前のめりになった。
「各個撃破だ! 一対一じゃないなら、一対一に持ち込めばいいんですよね」
「そうだな。あちらもそう考えるだろう」
「ん? てことは、あっちは俺たちの内のどっちかを、さっさと片付けようとするってことですか?」
「そういうことだ」
頷いてやれば、チャックがまた難しい顔をした。
「俺たちが勝つには、あいつにそうさせなきゃいい?」
「で、どうするか、だな。ブリガンダインの装備は覚えているか?」
「えぇと、あのバカでかい
「よく見ているじゃないか」
素直に感心すれば、気を良くしたのかチャックの頬が満足げに緩んだ。
「はい、坊や! お待たせ~!」
突然、元気の良い女の声が割り入った。
「ヨヨ! 今夜は泊まれるの?」
「ああ、少し遅くなるが」
「いいわ、坊やの相談聞いてあげて。後でね」
そう言って笑うリリィの口付けを、ヨヨは頬で受けた。
人混みの中、カウンターの方へと戻っていくリリィの背中を見送る。それからチャックに視線を戻せば、不貞腐れた様子の彼と目が合った。
「あの人ってヨヨの兄貴の?」
「お前の好みだったか? てっきりどこぞの姫君が好みかと思っていたんだが……」
「じょ、冗談じゃないですよ!」
チャックの目が、慌てたように見開かれた。大袈裟に、首が左右に振られる。
「俺はあんな気位の高い女はごめんです! それに、女のくせに
「ほぅ?」
「俺はこう、守ってあげたくなるような女の子の方が……」
誤魔化すかのように、チャックが視線を逸らして自身の頭を掻いた。
こちらが名前を言っていないうちから、チャックは明らかにロクサーナのことだと思っているようだ。ロクサーナを見つけては強引に組手を申し込むチャックを思い出し、ヨヨは少し笑い声を漏らしてしまった。
「ユーインはご執心のようだぞ?」
「……あの人はほら、女の人なら誰にでもあんな感じじゃないですか」
「ふむ……まぁ、いい」
ヨヨはこの話題をこれ以上掘り下げることを止めた。チャックに自覚がないなら、その方が良いのかもしれない。
「話を戻そうか。その姫君に勝つためには、無策ではいけない。それは分かるな?」
「はい! 作戦会議ですね! 俺たちは絶っっ対にあいつに勝つんですから!」
意気込んで宣言したチャックが、スプーンで掬い上げた肉を頬張る。それを眺めながら、さてどうなるか、とヨヨは片肘を突き、自身の短い顎髭を指の腹で撫でた。
◇◇◇
「――くしゅん!」
寒くもないのに、くしゃみが出た。右肩に乗っていた
「ごめんねクロちゃん」
そう言っているうちに、またくしゃみが出た。仕方なく、ロクサーナはC.L.A.U.-1の体を胸元に
「なんだ、風邪か?」
「え? 違うと思うんだけど……くしゅん! あぁーもぅ」
またくしゃみをしてから声の主を見れば、工具箱を片手に下げたフェリオンが傍にやってきていた。頬や作業服のあちこちに黒い汚れが見られる。
「誰かが噂してるんじゃないか? なんだっけ、くしゃみの回数でどうとかあったような」
「あぁ、そういうのあったわよね。えぇと……三回だったから、『手紙』が来るのかしら」
「なんだそれ。そんなのだったか? 俺が知ってるのとは違う気がするぞ」
フェリオンが首を傾げた。
「まぁいいか。なぁ、クライドさんの機嫌が悪いんだけど、何か知ってる?」
「親父さんが? んー……あれかも」
「あれ?」
「チャックのワーカーと模擬戦をすることになったのよ。それで、」
「え! コイツ動かすのか!?」
皆まで言う前に、フェリオンに言葉を遮られた。興奮したように目を輝かせたフェリオンに、ロクサーナは小さく溜息を吐く。フェリオンをヴァージルに紹介した時には、彼はブリガンダインを見上げ、ポカンとしていた。まさか雇い主が
「いつ? ていうか、それでなんでクライドさんの機嫌が悪くなるんだ?」
「んん~多分、修理が必要になるからじゃないかしら」
「でもそれが仕事だろ?」
「そうなんだけれど……」
ロクサーナは傍に立っているブリガンダインに視線をやった。
「なるべく傷付けたくないのかもしれないわね」
そう口にしてみれば、クライドもそうなのだろう、と思う。
理解できないとばかりに、フェリオンがまた首を傾げた。そんなフェリオンに、ロクサーナは軽く笑う。そうしながら、彼の頬に付いている汚れに片手を伸ばし、親指で拭ってやった。眉根を寄せて僅かに顔を背けられたものの、手が払われることはなかった。少し唇を尖らせている様に、自然と笑みが零れてしまう。
「今日の仕事が終わったなら、着替えてらっしゃい。ティアと夕食を食べに行きましょう。明日から学校へ通う段取りがついたから、お祝いもしなくちゃね」
「ほんとに!? ティアを学校へ行かせてくれるのか!」
「ええ。といっても、私は後見人になったり書類を揃えたりしただけよ」
教育は大事だ。特にフェリオンの妹ティアリーは現在六歳で、これから充分に学び将来に備えることができる。この手で与えられる機会は、できる限り与えてやりたい。
「ありがとう、ロクサーナ」
妹思いの兄の顔で、礼を言われた。
「どういたしまして、フェリオン」
「クライドさんに言ってから、着替えてくる!」
すぐに
彼が着替えて戻ってくるまで、少し時間があるだろう。
「――そうだ、ねぇヴァージル」
ロクサーナはブリガンダインに振り返り、声をかけた。フェリオンと話したお陰か、くしゃみは治まってくれたようだ。胸元から肩口へ上ろうとする幾つもの短い機械脚の感触があるが、ロクサーナは
『どうかしましたか? マスター』
ブリガンダインからヴァージルの声が返ってきた。それに対し、ロクサーナは両腕をキャットウォークの手摺に預ける。
「チャックたちとの模擬戦よ。どう戦ったらいいのかなと思って。チャックはヨヨと組むらしいのよね」
『ワーカー二機、ですか』
そう確認するように言ったヴァージルが、そう間を開けずに続ける。
『チャック・リーパーとヨヨ・モリスンの過去の戦闘データがありません。データが無ければ、対策のしようがありませんね』
「ええ~それだけ?」
『二機相手ということですので、一機ずつ仕留めていくのが定石かと』
「それは分かっているのよ。具体的にどうしようかって話なの」
『それは先程も申し上げたとおり、参照するデータがありませんので』
「んん~~」
ヴァージルの言うことは
「データが無い、って、ねぇ、クロちゃん。それはそうなんだろうけど……」
もうちょっと何か、作戦会議的なものがしたかったわ。
ぐい、と顎に触れてきた感触は、
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