第25話 緑の瞳の少女

 エトラ・プラートに来て二日目。

 フェリオンはロクサーナと共に遅い昼食を取っていた。行方不明になっている妹ティアリーの情報は、まだ得られていない。焦りと苛立ちをぬるい水で喉に押し込み、なんとかなだめる。それにしても、今日は暑い。薄い水色の色布が掛けられた窓から、もっと風が吹き入るよう願ってしまう。


 ここは用意されている宿の食堂とは違う、町中のそこそこ大きな店内だ。ファル・ハルゼでよく世話になっているアリエットのカフェよりも随分と広い。町中の人の数も多かったが、やはり店内も人で賑わっている。ざわざわとした喧騒が店内を満たしており、自分が立てる食器が触れ合う音もあまり聞こえないほどだ。


「それらしい噂話はしていないわね」


 向かい合って食事をしていたロクサーナが、ふいに呟いた。その視線は店内を眺めるように向けられている。驚いたことに、彼女は食事をしながらも人々の声を拾っていたらしい。

 

 そんな彼女の左腕には、巻かれた包帯が見えている。暑さからか、普段は肌を隠しているそでまくられているためだ。今朝方、「もうそんなに痛まないから」と言いながら、申し訳なさそうにシャツの袖を捲り上げていた。自分を助けて崖から落ちた時の怪我だ。フェリオンは感じた胸の痛みに気付き、ロクサーナがこんな自分を気遣っていることに思い至った。「あなたを雇う」と言われた時から変わった奴だと思っていたが、今ではもっとそう思う。


「それに、太守の言っていたことは本当みたいね……」

「言っていたことって?」


 問えば、ロクサーナの少し驚いたような視線が戻ってきた。ロクサーナも疲れているのかもしれない。完全な独り言だったようだ。話すことを躊躇ためらったかのように、彼女の目が僅かに細まった。色布を通した穏やかな陽光に透けるあおの瞳に、長い睫毛が甘美な影を落としている。


奴隷どれいたちも、休憩を与えられているってこと」


 簡潔な答えに眉をひそめると、小さく頷いたロクサーナが説明してくれた。『奴隷』と思われる者たちが時間で仕事を交代している様子が、カウンターの端で見られたらしい。こうしてちゃんと話してくれるところも、フェリオンは気に入っている。こちらが理解したかを確認しながら話を進めてくれるロクサーナの瞳は、いつも自分を真正面から捉えてくる。大切にされていることを疑わせないような、そんな瞳が、綺麗だなと思う。


 ロクサーナからの説明を聞いたフェリオンは、正直にいってピンとは来なかった。そもそもロクサーナの言う奴隷のことを知らないのだ。ロクサーナが奴隷というものを好いていないということは伝わってきたが、彼女が話す『この地の奴隷』という連中が労働の対価に腹を満たされているならば、何も問題がないように思う。むしろ、この話はフェリオンの気持ちを少し明るくしてくれた。もしこの町でティアリーが売られたのだとしたら、思ったよりもひどい状態ではないのかもしれない。勿論、そんな状態は好ましくない。それでも、生きている可能性は高くなった気がした。


「食べ終わったら、もう少し北の方にも足を延ばしましょう。パウエルたちも取引のついでに聞いてくれているはずだから」

「ああ」


 ロクサーナの提案に、フェリオンはパンをかじりながら頷いた。

 今では日常的に口にできるようになった肉も、有難くいただく。豚肉のようだ。薄く切って焼いた肉を何かの葉で巻いてある。掛けられている黄色いソースは、少し酸味が強い。


 味は正直にいえば、ファル・ハルゼで食べていたものの方が美味うまいとフェリオンは感じていた。食べられれば何でもいいと思ってきたが、どうやら舌は肥えるものらしい。味付けなのか、素材なのか。そんなことを、昨夜ロクサーナも首を傾げながら言っていた。近くに大規模な牧場村があるみたいよ、とも言っていたことを思い出す。


 微かに聞こえる細かな硬い音は、ロクサーナの肩で木の実を食べているC.L.A.U.-1クロウ・ワンが立てる音だ。今日も背中から肩にかけて張り付いている。いつも重くないのかと思うが、ロクサーナを見ていれば、不思議とC.L.A.U.-1の重さを感じない。


「マスターの手が空いたようだから、ちょっと話を聞いてくるわね。食べていて」


 そう言い、ロクサーナが席を立った。俺も行く、と言いかけたが、口に食べ物が入っていて声には出せなかった。仕方なく、そのまま咀嚼そしゃくし、また温い水を飲む。


 ロクサーナの後ろ姿をなんとはなく見ていれば、妙に目立っているように思えた。周囲と服装が違うからか、この町ではあまり見ない白い肌だからか、それとも姿勢が良いからか。


「ねぇ」


 ふいに、足元から囁くような声がかかった。驚いて見れば、同い年ほどの少女がテーブルの下から見上げてきている。浅黒い肌で手足は驚くほど細く、ロクサーナと同じ黒髪だが艶がなく絡みあっている。身に付けているものは、汚れたチュニックと斜め掛けしている鞄だけだ。しかし緑の瞳だけが、ギラギラと輝いているように見えた。


「なんだよ」


 フェリオンはショックを隠して少女を睨みつけた。こんなに近付かれるまで気付けなかったショックだ。スラムでこんなぼんやりと過ごしていたら、折角手にいれた金目の物を奪われていただろう。ロクサーナに雇われ、安全な場所を手に入れたせいで、気が緩んでしまっているのかもしれない。


 フェリオンは気持ちを静め、改めて少女を見下ろした。

 こういう子供は見慣れている。少し前までは、自分もこんな子供の一人だったのだ。この店は窓と同じく、入口も開け放たれている。おそらくは客に紛れてこっそり入ってきたのだ。


「それ、ちょうだいよ」


 少女が指しているのは、皿に残っている焼いた肉のことだろう。

 少し考えたフェリオンは肉をまだ残っていたパンの間に挟み、少女に手渡してやった。


「こんなにいいの?」

「俺もそっち側だったからな」


 そう言うと、少女が驚いたように目を剥いた。


「あの女に拾ってもらったの?」

「そんなとこだ」

「あたしも奴隷にしてくれないかな」

「多分、あいつは奴隷を持たないぞ」

「なにそれ」


 わかんない、と言わんばかりに少女が口元を歪めた。パンはかじられることなく鞄に詰め込まれる。


「あんた、やさしいね。ねぇ、あたしエリサ。来てよ。ちょっとだけ、表にいる妹に会ってやってくれない?」

「なんでだよ」

「だって……」


 少女――エリサが口籠った。言い辛そうに視線を落とす。


「おにぃがどこかへ行っちゃって、もう何日も戻ってこないんだ。だから、妹が泣いて仕方ないんだよ。あんた、ちょっとお兄に似てるし……」

「兄貴は仕事かなんかか?」

「多分。でもこんなに戻ってこないなんて、いままでなかったんだ」


 顔を上げたエリサの眼差しは沈んでいる。鞄に入れたパンは、妹と分けるのだろう。いや、戻ってくるはずの兄の分も残しておくつもりなのかもしれない。


 フェリオンは目の前のエリサの頼みを撥ね退けられなかった。少し前までの自分と重ね合わせてしまう。泣いているという彼女の妹と、ティアリーが重なる。


 カウンターの方を見れば、ロクサーナはまだ店のマスターと話し込んでいる。

 妹は表にいると言っていたし、話が終わるまでには戻ってこられるだろう。


「少しだけだぞ」

「あ、ありがとう!」


 喜びを顔に広げたエリサに袖を掴まれる。そんな彼女に軽く引っ張られながら、フェリオンはそっと席を離れた。




 店の外に出れば、表通りに近いため、やはり人が多い。エリサが袖を引っ張りながら、路地へと向かっていく。


「おい、妹はどこに」

「こっちよ、そんな目立つところに置いとけるわけないじゃない」


 そう言われれば、納得するしかない。

 仕方なく付いていくと、人気の少ない路地裏にまで入り込むことになった。目に映る人間の質が明らかに悪くなっている気がする。壁にもたれてこちらを見ている男たちの顔をちらりと見上げ、フェリオンは足を止めた。


「どうしたの?」

「戻る」

「妹に会ってくれないの」


 振り返ったエリサは笑っている。その楽しげな笑みに、フェリオンの背に確定的な危機感が這い上がった。と同時に、道を塞ぐように男が二人、立ち塞がった。振り向けば、退路も横の路地から出て来た男たちに塞がれている。明らかに鍛えられた体つきの、大人の男たちだ。


「お前、だましやがったな!」

「騙される方が悪いんじゃん」


 つんと顔を逸らせたエリサが、男たちの傍へと寄っていく。


「だいたい、あんたみたいなラッキーな奴は大嫌いなんだ。あ、でも、これはアンラッキーかな? あははっ」

「お前っ」


 言い返そうとした時、男たちの間から別の男が現れた。筋肉質の彼らとは少し違った、黒い皮の上着を羽織った、どちらかといえば細身の男だ。明るい色の髪を片手で掻き上げた男の口角の片側が、満足そうに上がった。


「へぇ、噂通りの坊やだ。実にあの方好みじゃないか」

「何のつもりだよ! 俺は帰る!」

「そうはいかない。俺だって、ご機嫌を取らなきゃならん時もあるのさ」


 黒い上着の男の片手が上がる。

 フェリオンは逃げようとしたが、屈強な男たちが複数人相手ではすぐに腕を掴まれた。体も抱え上げられてしまう。渾身の力で自分を捕まえている腕を殴っても、びくともしない。


「離せ! 離せよ!」

「大人しくしろよ、なるべく傷はつけたくない」

「わっけ分かんねぇぞ!」


 情けないながら、わめくことしかできない。


「すぐに分かるさ」


 その髪と同じ色をした瞳を陰らせた男の顔が、可笑おかしげに歪む。

 抵抗する間もなく視界が暗くなった。大きな袋でも被せられたのだろう、上半身をそっくり詰め込まれるような感覚に暴れるも、強い力で押さえつけられてしまう。息苦しさに襲われ、恐怖と共に意識が徐々に薄れていく。


 ――また、迷惑をかけちまう。


 フェリオンは胸の内で悔しさを噛み締めた。

 きっと、ロクサーナは探そうとしてくれるからだ。


 

 遠くで、ロクサーナの声が聞こえた気がした。


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