第35話 闘技場のM.O.V. 乗り
エトラ・プラートを出てから約ひと月後の昼時。ロクサーナたちはストラングル・コーストを目の前にしていた。
気持ちは、少しばかり興奮で浮き立っている。近付く前から、知っている都市とは異なる光景に驚かされっぱなしだからだ。何より、近くの村からこの都市まで、
石を敷き詰めたにしては均一過ぎる灰色の道は、
視線の先には、高い灰色の壁が
「
ロクサーナは、壁際に丁度よく
「ヴァージル。ここで待っていてもらうことになるわ。何日かかるか分からないけれど」
『イエス、マスター。充分にお気を付けください。状況把握のため、定時連絡をいただけますか?』
「ええ、
ヘルメットを脱いで髪を軽く整えてから、ロクサーナはコックピットから外への
興味深く眺めていると、足元でフェリオンの興奮気味な声が上がった。
「すっげぇ……! アレなんかハンマーみたいなのが腕に付いてるぞ!」
彼も、壁際に並んでいる
「フェリオン、ここでは私はただの
ここへは、個人的な用事のみで来ているのだ。エトラ・プラートの時のように特使を名乗ることはできない。それは、何かあっても権力を振りかざすことができないことを意味している。しかし、ここの太守に挨拶をする必要がないのは気が楽だ。
フェリオンが「分かった」と素直に頷いてくれた。
そんな彼の後ろにいる馬の背から、
『ミュゥ!』
「はい、クロちゃん。おいで」
ロクサーナは両手を伸べ、
「クロちゃんたら、甘えん坊ね」
自然と頬が緩むのに任せ、ロクサーナは
「なぁ、このまま中に入れるのか?」
「うーん、どうなのかしら……、と」
視界の端から、誰かが近付いてくることに気付く。見れば、背の低い男がテントの方から駆け寄ってきていた。平たい帽子を被り、痩せ型の体に斜め掛けの大きな鞄を下げている。
「やぁー、お嬢さん! 立派な
「私ですが」
「え! ほ~、こりゃたまげた! お嬢さんも賞金稼ぎに?」
じろじろと眺め回され、どうにも居心地が悪い。しかしそれを顔には出さず、ロクサーナは応じた。
「いいえ、人探しです」
そう答えれば、男が少し眉根を寄せ、自身の尖った顎を片手で撫でた。
「人捜しねぇ……。それはそうと、お代をいただきますぜ」
「お代?」
言われた意味が分からず問い返せば、男の眼に一瞬、鋭さが宿った気がした。片掌を上にして、ずいと差し出される。
「ここの場所代でさぁ。まさかただで置いておくつもりじゃあないでしょうな?」
「ああ、場所代……なるほど」
そうか、と納得するも、手持ちの貨幣は残り少ない。町での宿や食事代のことを考えると、痛い出費だ。
「では、別の場所に移動します」
「いやいやいや! 他に安全に置いておける場所なんてござんせんよ! この周りはもう埋まってますしね。乱暴な野郎共もいますから、ここが一番安全ですぜ」
片手を大きく左右に振って
「おい、おっさ――」
隣から何か言おうとしたフェリオンの動きを察し、ロクサーナは片手でそれを制した。ここで騒ぎを起こすのは、もっと
「ここの場所代は、お幾らでしょうか」
「へへへ、一日、金貨五枚でさぁ」
「……金貨五枚」
相場が分からず、ロクサーナは
「相変わらずだな~マルク。それはやり過ぎなんじゃないか?」
なかなか体格の良い男だ。大きく開かれた青いシャツの胸元から、鍛え上げられた胸板が覗いている。彼の髪と同じ金色の胸毛が、陽光に透けている。
「ゲッ、散歩ですかい。ルックの旦那」
「俺の日課も忘れたのかい。ついでにいつもの値段も忘れたか?」
傍まで来た男が、小馬鹿にしたような口ぶりで小男を上から覗き込んだ。髭が綺麗に剃られた割れ顎が、小男に突きつけられている。
「金貨五枚って言ったか?」
軽い口調で男が言えば、小男が慌てたように胸元で両手を握り合わせた。両肩が
「き、聞き間違えでしょう、旦那。銀貨五枚――いや、もう昼ですから三枚で構いませんよ」
「だとよ、お嬢さん」
振り返った男の人懐こそうな目が、ウィンクを寄越してきた。暑い日の青空のような瞳を持つ目だ。悪い人間ではなさそうに思う。それに、大層お安くなった。
ロクサーナは小男の気が変わらぬ内にと、ウェストバッグから財布を取り出す。そこから銀貨三枚を取り出し、小男に差し出した。
「では、これでお願いします」
その銀貨は、小男の掌にすぐに握り込まれた。
「明日の朝からは銀貨五枚、
そう言い置き、小男が足早に去って行く。それを見送り、ロクサーナは溜息を小さく吐いた。それから、男に向き直る。歳の頃は、肌質から見て三十代前半といったところだろうか。
「ロクサーナと申します。本当に助かりました。ありがとうございます」
「おっと、ご丁寧に嬉しいねぇ。俺はルック。ルック・ブリーガーだ。この辺を散歩するのが日課なのさ。今日はこんな美女に出逢えるとは
男が
「え、ええ。まぁ、そんなところです」
ロクサーナは少し驚き、
「で、何の用だよ。おっさん」
長身のルックに対して
「こりゃあ立派な
一歩引いたルックから、笑顔で謝罪された。なんとも屈託がなく、人好きのする笑顔だ。フェリオンもそう感じたのかは定かではないが、気が削がれたような溜息が微かに聞こえた。そんなフェリオンの肩に手を置き、ロクサーナは感謝と、大丈夫だから、の意を込めて軽くたたいた。
「いえ、少し驚いただけですから」
「ありがと、お嬢さん! じゃ、坊主もキュートな芋虫くんも、よろしくな!」
「
ルックに素直な感想を述べると、隣に一歩引いたフェリオンが、壁際に並び立つ
「うん。なんつーか、あつかんだよなぁ」
「それを言うなら圧巻ね、フェリオン。でも、壮観の方がいいわね。確かに素晴らしい眺めだわ」
「壮観?」
「ええ、壮観」
正確に覚えられるように、単語を繰り返してやる。ふうん、と興味なさげに呟きながらも小さく単語を復唱するフェリオンを、ロクサーナは
「坊主も
ルックが自身に親指を向け、楽しげな笑みを見せた。
「えっ、そうなのですか!」
「ああ、中量級のね。明日が決勝戦。勝てば修理費も含めて黒字になる。勿論、俺が勝つがね」
決勝戦、と聞き、更に驚く。このルックという男は、腕の良い
「ロクサーナ?」
フェリオンに不思議そうに声をかけられ、我に返る。ロクサーナはフェリオンに向けて意識的に笑みを作り、小さく首を左右に振ってみせた。
「試合、見たい?」
「見たい、けど……、ティアが見つかったら一緒に、がいい」
「うん」
それがフェリオンの正直な気持ちだと、彼の真摯な眼差しから
ロクサーナはルックに視線を戻した。
「町には修理のできる
ルックの話から気になったことだ。修理は、
しかしルックから返ってきたのは、それが叶う答えではなかった。
「ん~、あるにはあるが、出場者の特権みたいなもんだね。戦闘前後の
「そうですか……なら、仕方ありませんね」
ルックの説明に、ロクサーナは頷いた。
「あ、でも、お嬢さんも出場したら使えるぜ? 今からでも次の大会に登録すればいい。勝てば
そう言ったルックが、ブリガンダインを見上げるように視線を上げた。
「俺の知らん型だが……いい顔だ、随分と男前だな」
「ふふ、ありがとうございます」
ブリガンダインへの褒め言葉は、そのまま受け取っておく。男前だという感想には、正直、言葉通りの気持ちだ。稼げる、という言葉には心が動いたが、今はその気持ちの余裕はない。
「ですが、今は人を探しているのです」
「ふぅん、人捜しね。逃げた恋人でも追っかけてたりして?」
茶化すように言ったルックが、片手で空に向かって
「大切な妹を探しています。まだこのくらいの背の……、この子と同じ
今は隣にいないティアリーの髪を撫でるようにし、フェリオンの肩に手を置く。
少し考えるように黙ったルックが、
「町に入ったら、まずは警備隊の詰所に行って聞いてみるといい。この町は初めてなんだろ? 昼飯で近くまで行くから案内するよ」
「それは、とても助かります。ありがとうございます、ルック」
初めての町で、右も左も分からない。
ルックからの申し出を、ロクサーナは有難く受けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます