第48話 一つの頭と二つの腕
「わぁ……!」
幼い少女の歓声が上がった。眼下の
「クロちゃん、あれロキシィねぇさまの――……あれ?」
その芋虫にも外を見せようとしていたティアリーから、疑問の声が上がった。そんなティアリーが、向こう隣にいるソフィーを見上げる。
「ちがうよー?」
「え? えぇっと……」
困った表情を向けられたであろうソフィーが、同じく困ったように眉尻を下げた。普段はこういった場に招かれることのない彼女だが、今日は幼子の付き添いとして呼ばれているのだ。
ソフィーから答えを求めるような視線を向けられ、ルックはそれを受け止めた。
「ああ、今日はいつものと違ってアレに乗っているのさ、小さなお嬢さん」
クラージュが動いているのを見て違和感を覚えていたルックには、ティアリーが言う「何が違う」のかがすぐ理解できた。
ルックは少し腰を曲げ、笑みと共にティアリーに応じる。
「どう? アレもカッコいいだろ?」
ウィンクを向ければ、「うーん?」という気のない返事が返ってきた。ルック自慢の愛機への褒め言葉には同意してくれないらしい。素直な子供らしさはいいことだ、と右手を軽く上げ、ルックは降参の意を表した。
「ねぇ、じゃあ、ヴァージルは?」
「んん?」
今度は、ルックにも意味が分からなかった。ソフィーを見れば、やはり彼女も分からないようだ。目が合った彼女と互いに少し肩を
眼下のクラージュに視線を戻せば、左方向へと曲がっていき、そのまま視界の外へと行ってしまった。この観覧室は自陣である南側を向いているため、北側の敵陣へ踏み込んだクラージュは直接見えなくなってしまうのだ。
ルックは室内中央に設置されているモニターの方へ振り返った。長辺が一メートルほどのモニターだが、半周が開けている
そこに、自然とこの部屋にいる四人が集まった。ルックとアンスフェルム、そしてソフィーとティアリーだ。あと二人、アンスフェルムの護衛を務める者たちがいるのだが、彼らは入口とアンスフェルムの背後をきちんと護ってくれている。彼らも試合内容が気になっているだろうが、職務を全うしようという心構えがあるらしい。いやはや立派だと、ルックは感心していた。自分なら、ちょっと移動してモニターを覗いてしまうかもしれない。
複数あると聞いているドローンの内、こちらに届けられているのは一つだけの映像だ。しかしその一つは、有難いことに両機の位置関係が分かるような撮影を意識してくれている。
「ロキシィねぇさま! がんばってー!」
ティアリーがモニターに向かい、ロクサーナへ届かない声援を送った。そんな幼い少女の様子は実に
「――先取点を取られたか」
アンスフェルムが呟いた。白髪混じりの口髭を片手で撫でた彼の視線は、モニターに映る二機に注がれている。
先取点は同じ一ポイントでも少しだけ重みがあるものだ。本当に勝敗に優劣が付けにくい形で試合が終了した場合、先取点をどちらが取ったかが判定に影響すると言われている。
「まぁ、あれはマグレですよ」
ルックは
そのロクサーナは、次に射撃戦を仕掛けた。そして双方有効打を得られないまま、試合開始から十分が経過した。結果、優勢ポイントが付いたのは敵の方だ。
ルックの見立てでは、射撃戦はクラージュの方が有利だった。どちらも攻め手を欠いたのは事実だが、やはり
それだけ、
クラージュが再び接近戦を挑もうとする機動に変わったのを見て、ルックは思わず「ほう」と感心した。
クラージュのハードボックスが、また一つ壊された。左肩だ。これで四対ゼロ。
「このまま近接戦を続けるべきなのか? このままでは……」
敵に有利となる得点差が、また開いてしまっている。アンスフェルムは試合前に「負けてもいい」とロクサーナに言い、実際そう思っていたのだろうが、やはり試合を見るとつい自陣営に勝って欲しいと思うものなのだろう。
「分かりません」
ルックは率直に答えた。何が最善手なのかは、きっと誰も分からないだろう。いつものコックピットに居れば、戦いの流れは肌で感じ取れる。しかしドローンの映像では、
「ただ、かなり善戦していますよ。正直なところ、俺がやれないことをやってみせていますからね」
「そうなのか?」
アンスフェルムが驚いた顔を見せた。
「ええ。
「ふむ」
「今の戦い方も、なかなか面白い。あれはおそらく、後ろを取ろうとしているんです」
「なるほど、ハート狙いか」
アンスフェルムが、
もともと
「だが見たところ、機動性能はあちらが上ではないのか? それでは背中はなかなか取れまい」
「ええ、ですが、乗っている者は一つの頭と二つの腕しかありません。そこが狙い目なんですよ」
「ん? どういうことだ?」
「お嬢さんは――ああ、」
呼応するように顔を上げたティアリーと目が合い、ルックは一旦言葉を切った。ティアリーは自分のことだと思ったのだろう。ルックは先ほど彼女のことを、「小さなお嬢さん」と呼んだのだ。
「ロキシィのことだよ」
ティアリーが口にしていた呼び名に言い直すと、ニコリと愛らしい笑みが返ってきた。
ルックは改めて、説明を続ける。
「ロキシィは今、姿勢をほぼ固定した状態で、相手に対して旋回するように攻撃を仕掛けています。それに対して敵は、高い機動力を活かして間合いを開けることが可能です」
片手振りを交えて説明をしていると、ティアリーの向こう側にいるソフィーの眉が、悩ましげに
「そうしたら――、敵が一方的に攻めることができてしまうわ」
独り言のような
「その通りなんだ」
ルックはソフィーに微笑みを向けた。
「でも、実際はそうなっていない。それは勿論、相手が今の間合いを選択しているからだ。距離を取りつつ精度の高い攻撃を続けることは難しいからな」
「それは、そうですわね。でも……」
「ああ、そのことと、先程お前が言ったことの意味は何なのだ?」
ソフィーとアンスフェルム、更にはティアリーからの視線が集まってくる。彼女の腕の中の芋虫からも見られている気がする。ルックはそれらを全て受け止めた。仕方がない。
「えぇとですね。今、セローはロキシィの螺旋攻撃に対して、旋回しつつ反撃を仕掛けています。いや、ロキシィの攻撃の精度の方が低いので、セローの方が攻撃でロキシィが反撃と言うべきかもしれませんが」
「ふむ……続けてくれ」
どちらが攻撃の主導権を握っているかは気にならないようで、アンスフェルムが手ぶりで先を進めるように
「二機とも同じように回っているように見えるかもしれませんが、ロキシィはさっきも言ったとおり、姿勢はほぼ固定。しかし、セローの方は上半身と下半身を旋回させつつ、ロキシィに攻撃を加えています。この複雑な操作は一つの頭と二つの腕だけでは完全に
「それだけ、相手は優秀なパイロットということですのね?」
「その通り。優秀な『
細かい点だが、ルックはソフィーの言葉を言い換えた。
「確かに、ケイローンの機動性能は高い。しかしクラージュも決して遅い機体じゃあありません。だからケイローンは下半身の旋回速度では追いつかず、上半身も回しているわけです。ですが、上半身の旋回角度には限界があります」
「そうか! 上半身の旋回が限界に達すると下半身の旋回しか使えなくなる。そうなれば、クラージュが相手の背中へ回りこめるようになる、か」
アンスフェルムが頷いた。
ソフィーも感心した表情を見せたが、すぐその顔に疑問が浮かぶ。
「でも、そうなったら相手は距離を取ろうとしないかしら」
「するだろうな。だが、攻撃に集中していればしているだけ、上半身が旋回限界に近付いているという状況を把握しづらい。回らなくなって初めて気付くことは実際多いものなんだ。その瞬間、焦りや
「それはすごいわ!」
「ああ」
ソフィーが再び感心したような顔をした。どうやら単純に理解したかもしれないため、ルックは念のため補足しておく。
「だが多分、セローもロキシィの意図はある程度読めている。だから、自分が不利な状態に追い込まれる前にポイントを稼ごうと攻撃に集中しているんだ。間合いを開けないのはそれも理由だろうな。ケイローンが一方的に攻撃できる間合いは、クラージュにとっては少し後退すれば回避できる間合いになる。それよりも今の間合いでの打ち合いに勝機があると、セローは見ているんだろうさ」
そのセローの狙いが正しいと示すかのように、クラージュのハードボックスがまた一つ壊された。
「あ!」
ソフィーの小さな悲鳴が上がった。彼女との間にいるティアリーが、不安そうに彼女を見上げる。
「大丈夫。あれは右腕だ。ポイントはこれ以上増えない」
一つのパーツから奪えるポイントは二点まで。このルールを逆手に取り、ハードボックスのポイントを取られつくした部位を前面に向けて防御するという戦術は一般的になっている。ロクサーナもそう考えたのかもしれない。ただし、ポイントに加算されなくとも更なるハードボックスの破壊は判定に影響するし、なによりハードボックスが破壊されるほど損傷を受けている部位だ。下手をすれば部位破壊にまで持っていかれる可能性も低くはない。ハードボックスがなくなった部位が無敵になるわけではないのだ。
「とにかく、逆転できればいいのよね。頑張ってロクサーナ様……!」
ソフィーが画面向こうのロクサーナに呼びかければ、その傍らでハラハラとした顔で画面を見つめていたティアリーも反応する。
「ロキシィねえさま、がんばってぇ!」
呼びかけた後、ティアリーがソフィーを見上げた。
「ねえ。ロキシィねえさま、かってるんだよね?」
「え…っ」
純真な幼子からの問いに対し、ソフィーが困ったような顔をした。
ティアリーにはルールの詳しい説明をしていない。大人であれば、説明されなくとも
真面目で優しい性格の彼女のことだ、嘘を言うのも気が引けるに違いない。そんな彼女から助けを求めるような視線を送られ、ルックは快く引き受けた。ソフィーに釣られてこちらを見上げてきたティアリーに、ルックは口角を引き上げる。
「勝つといいな!」
「うん……!」
笑顔で頷いたティアリーは、また画面に顔を向けた。その際、両腕に抱いた芋虫を抱き直す仕草が見られた。案外重いのかもしれない。代わってやろうと思った時、ソフィーがティアリーに何かを囁いた。大きな芋虫を引き受けるようだ。そんなソフィーにルックは元気な右腕を差し伸べた。
「俺が持っててやるよ。ほら、芋虫くん。お前も俺の肩からの方がよく見えるだろ?」
『ミュ!』
意外にも元気な反応が返ってきて驚いた。器用に腕をよじ登られ、背中から右肩口へ落ち着かれる。さすがの
ルックはまた画面を見るが、ほどなく良くない事実を見抜いてしまった。どうやらケイローンの上半身と下半身の旋回の差が、想定していた百八十度を上回っているようなのだ。
「こりゃあマズイな……」
誰に言うともなく呟くと、ルックは元気な方の手で自分の胸毛を
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます