第13話 ザルドの公女として

 ユーイン・カーライルは地響きを足元から感じながら、広間ホールからテラスへと出てきていた。丁度、薄暗闇から夜の帳が降りた頃だ。中庭の樹々やテラスに掲げられたランタンの仄かな灯りによって、こちらへと向かってくるブリガンダインの姿が、浮かび上がって見えている。


「あれが模擬戦をやった?」

「紫紺のM.O.V.ムーブか」

「まだ若い娘じゃないか」


 様々な囁き声が耳の端で聞こえているが、ユーインの感心は一つだった。

 太守のM.O.V.ムーブクァンタム・リープの隣で足を止めたブリガンダインは、左肩にきらびやかな刺繍と彩色を施されたマントを羽織っている。ブリガンダインの特徴の一つでもある感情を排した人の顔も相まって、まるで姫君を護る騎士そのものだ。そんなブリガンダインの胸元に、ロクサーナの姿がある。


 普段は肩に触れているつややかに波打つ黒髪はサイドを残してアップにされており、僅かに紫がかった薔薇色のロングドレスは、彼女の肌の白さと髪色をよく引き立たせている。細くくびれたウエストラインから、ひらりと広がるスカートの女性的なシルエットが美しい。耳元や胸元を彩る落ち着いた金色の装飾品が周囲の灯りを反射し、細やかなきらめきを放っている。普段は化粧けがなく、それでも充分魅力的だと感じる彼女の顔は、今夜はドレスに合う上品な華やかさを持って、実に魅惑的だ。


 そんなロクサーナがはがねの巨人――M.O.V.ムーブを従えている様は、煽情せんじょう的ですらある。


 彼女の乗るブリガンダインの右掌が、テラスの柵を越えてきた。ブリガンダインの自律AI――ヴァージルは、できる限り彼女の足元に配慮しているのだと思われる。ここに集まった者たちのうち、自分たち騎士隊や太守以外の者たちは、ブリガンダインは誰か別の人間が操縦しているものだと疑いもなく思っていることだろう。


 ユーインは自身の胸を破らんとする高揚感を楽しみながら、ロクサーナの元へと歩み出た。


「お手をどうぞ、レディ・ロクサーナ」


 そう言って右掌を上にし、彼女の腰の高さに差し出す。すると、途惑う様子もなく優美な微笑みが返ってきた。間近で見る彼女のあおい瞳は、まるでM.O.V.ムーブの動力源である宝石のようだ。しかし宝石とは違い、そこには知性の輝きがある。こんな場で注目されようものなら雰囲気に気圧けおされるのが普通だろうに、この少女はまるでそれを楽しむかのように微笑んでいる。


「ありがとうございます、ユーイン」


 ロクサーナの左手が、ユーインの右掌にたおやかに重ねられた。さすがは惑星ザルドの公女プリンセスであると、改めて思う。


 重ねられた手に心地良い重みが加わり、ロクサーナは危なげなく、ブリガンダインの掌からテラスへと降り立った。普段は黒の編み上げブーツを履いている彼女の足元は、落ち着いたトーンの金色のヒールだ。


 広間の奥で待つ太守の元へ、ユーインはロクサーナの左斜め前を、彼女の方に体を僅かに向けながら、ゆっくりと歩く。テラスに面した大広間の半分ほどに、晩餐会用の縦長のテーブルと席が設けられており、奥の太守とその家族以外は、互いに向かい合う形になった配置だ。ユーインは慎重に、ロクサーナを太守ら家族の傍近くに用意された彼女の席へとエスコートした。


 立ち上がって迎えた太守アレクシスによって、ロクサーナが皆に紹介された。皆の注目を浴びながら、彼女は堂々とした挨拶をしてのけた。


「――以後、お見知りおきくださいますよう、よろしくお願いいたします」


 そう言った彼女の横顔には、やはり麗しい微笑みがあった。

 そんなロクサーナを見ている者たちが、彼女に少なくとも悪い印象を抱かなかったことをユーインは確信する。むしろ好意的に受け入れられた様子だ。ユーインにとっては見慣れた彼らの表情から、それは明らかだった。


 椅子を引き、ロクサーナが無事に席に落ち着けたことを確認し、ユーインも隣の席へ座った。自分の逆隣りには、ダリウィンたち騎士隊員が肩を並べて着席している。こういう場でしか着ない、タキシード姿だ。ダリウィンとヨヨはそれぞれに着熟きこなしているが、年若いチャックは、まだ服に着られているようである。


 ロクサーナをエスコートする際に見えた、彼女を見ているであろう騎士隊員たちの表情は様々だった。ダリウィンは物珍しいものを見るように楽しげで、ヨヨには感心している様子が感じられた。


 チャックに関しては、どうしたものか。

 ユーインは密かに考えを巡らせた。間抜けにも思えるほどに目を見開き、口を半開きにしたまま、ロクサーナを見ていたのだ。彼女と目が合ったのか、照れたように顔を背けたチャックを思い出す。ユーインは少し可笑おかしくなり、口の端で生まれた笑みをそっと逃がした。若者らしい、なんとも分かりやすすぎる反応だ。もっとも、チャックにロクサーナが落とせるとは思えない。

 

 給仕によって飲み物と食事が運ばれ、本格的に晩餐会が始まろうとしている。

 ユーインは興味深そうな視線を時折ロクサーナに向けている向かいの人々を眺めながら、隣の少女の胸中をおもんぱかった。



◇◇◇



 運ばれてきた食事の盛り付けが目にも美しく、更には味も気に入り、ロクサーナは心の中で密やかに料理人を褒め称えていた。やはりなんといっても、ここの食べ物は美味しいのだ。故郷にしかないヤムの実などもロクサーナの好物ではあるのだが、ここが種類豊富であるというのは大きな強みだと思う。とろみのある白いソースがかけられた豚肉は香辛料が利いていて、かなり気に入ってしまった。アリーに似たものが作れないか、今度聞いてみることに決める。


 食事をしつつ、落ち着いて視界に入る人々を観察してみれば、先に会議をしていた延長だろうか、作物の出来がどう、資源がどうといった話などが交わされている。近隣の支配層と聞いているとおり、そんな会話をしているのは年配の男性が多い。妻と、部下らしき者を伴っている者が殆どだ。意外に若者もいることから、自らの息子や娘らの顔見せの場でもあるのだろう。


 太守アレクシスの傍には妻シュリアがおり、彼女は金色の髪が美しい上品な女性だ。これまでに少し話したことがあるが、控えめなように見えて、言うべきことははっきりと言う印象を抱いている。その隣にいる男女は彼らの子女らしく、ロクサーナにとってはこの場が初見だった。


 太守アレクシスの子息ブライアン・カイレンは、今は妻帯して別の町を治めているらしい。シュリアに似たのか穏やかな顔付きで、大人しめに感じる。その隣にいる姉のエリンは逆に父似のようで、目鼻立ちのはっきりした美人だ。おそらく、自分より五歳ほどは年上だろう、とロクサーナは見積もった。


「ねぇ、ロクサーナ。故郷にお兄さんがいると聞いたけれど」

「エリン様。ええ、年の離れた兄が一人おります」


 食事が落ち着いた頃、傍に座るエリンに話しかけられ、ロクサーナは笑みと共に答えた。

 エリンの淡褐色の瞳が、興味深そうに見つめてきている。


「エリンでいいわ。遠い親戚みたいなものだしね。聞いてビックリしたのよ? まさかこの都市を護ってくれたのが、ザルドの同族だなんて。しかもまだそんなに若いのに立派だわ。うちの弟に見習わせたいくらいよ」

「そんなこと」

「謙遜しなくていいわ。私は今までコルトにいたの。ブライアンの町よ。町の運営を軌道に乗せるために、指導していたってわけ。それがひと区切りついたから、弟に送らせて帰ってきたのよ。弟の妻コニアにとったら気を遣ったでしょうけれど、あの子もまだまだだもの。仕方ないわね」

「それは……ぜひ、私もご指導いただきたいものです」


 ロクサーナはエリンの話を聞き、彼女の持つ知識や経験に興味を持った。町を運営していく上での必要な知識は膨大だ。彼女がそれを成し遂げたなら、成功談であれ失敗談であれ、請うて聴きたい話である。


「いいわね。弟が独身なら放って置かなかったわ。私がね」


 エリンが、楽しげな笑みを零す。

 彼女が言ったことを、ロクサーナは微笑んで受け流した。


「ところで、貴女あなたがアルシエル――いいえ、ザルドには他の氏族は入植していないはずだから、実質はザルドの次期太守というわけなのかしら?」

「いいえ、……エリン」


 おそらくエリンはM.O.V.ムーブを操縦できることでそう考えたのだろうと推測しながら、ロクサーナは答えた。


「私は兄の予備スペアです。兄が受けてきた全ての教育を……いえ、まだその途上ですが、受けてきました。兄は健在ですので、ザルドの次期太守は兄レオンとなります」

「まぁ! そうなのね。私はM.O.V.ムーブには乗せてもらえなかったものだから……。そういう考え方は、危機管理的に良いわね。女だって戦えるもの。私は貴女あなたのお父様に賛成だわ」


 そう言ったエリンの眼差しが、少し寂しそうに細められる。そしてそれを吹き飛ばすかのように、優雅に笑みを浮かべた。


「そういえば、貴女あなた、お父様にスラムや孤児院のことで話をしたのよね? それを聞いて、貴女に興味を持ったのよ。それに孤児を二人も引き取っているって聞いたわ」

「ええ。アレクシス様は当然そのことについて対策を考えていらっしゃいましたが、下の者に癒着や横着があり進んでいなかったようなのです。僭越せんえつながらザルドの社会保障制度について参考までにお伝えさせていただきました。ファル・ハルゼにはファル・ハルゼのやり方があることは承知していますが、どうしても看過できず……。お話を聞いてくださったアレクシス様には感謝しています。孤児の二人に関しては、ただの私の傲慢ごうまんです」


 フェリオンから聞いた話は、ロクサーナにとって許し難いものだった。二親が亡くなってすぐ、二人は孤児院に引き取られたのだそうだ。しかしそこは安息の地ではなかった。粗末な食事しか出なかったこと以上に、孤児院の院長が腐りきっていたのだ。民営の孤児院に資金を渡し、運営を丸投げにしていた高官にも罪はある。だが最も罪深いのは、その院長が孤児たちを虐待、売却などしていた事実である。


 フェリオン自身は被害を受ける前だったと言っていたが、おこなわれている事に気付き、早々に妹を連れて逃げ出したのだそうだ。孤児が多かったこともあり、執拗な捜索はされなかったらしい。声を上げれば見付かり、信じてももらえない、そう考えたフェリオンはおそらく正しかった。孤児院の院長は人当たりの良い、周囲の人々からの評判も良い男だったそうだ。


 ロクサーナはフェリオンから話を聞いた後、太守アレクシスと話し、社会保障制度の改善を訴えていた。惑星ザルドのアルシエルでそうしているように、孤児院を公営にし、監査機関を置き、孤児たちを確かに把握することを勧めたのだ。


 このファル・ハルゼでは、市民として登録されている子供は五年の教育の後、多くは親兄弟の職業の弟子となるか、更に高等学校へ進むかに別れるそうだ。将来のことについて子供たちが深く考えないうちに、将来の程度が決められることになる。才能があると認められなければ、高等学校には進めない。


 未登録の子供がいる現状が生まれる背景には、一筋縄ではいかない問題が横たわっている。他所よそから入りこんだ者に加え、子供ができて本来なら報告し、市民として登録しなければならないところを、育てる義務が発生することを嫌がり、報告しないパターンがあるようなのだ。それで生活が助けられる面もあるはずなのだが、彼らの心理ではその選択をしてしまう。そしてそうなれば、多くの者は野垂れ死ぬ。しかし幸か不幸か生き延びた子供たちは、学校にも行かず教育を受けられないまま成長し、その子供がまた子供を生み……スラムが出来上がるというわけだ。


 太守側としては人は大事な資源のため、きっちりと管理したいところだろう。しかしスラムに踏み込めば、難民がなだれ込むがごとく莫大な金がかかる。既に大人になっている者を再教育することも難しい。よって、手を出すのをこまねき放置状態になっているのが現状なのだろうと思う。それはおいおい、ファル・ハルゼの太守たるアレクシスが進めるだろう。これ以上は口も手も出せないし、出すべきではない。


「ロクサーナ。貴女あなたやっぱり、うちの弟に欲しかったわね」

「エリン」

「さ、あちらに行きましょう? 貴女を独り占めしていては私が睨まれてしまうわ」


 大人の色香が感じられるウィンクを向けられ、ロクサーナは一瞬、見惚れてしまった。周りを見れば、多くの者がテーブルのない空間へと移動していた。広間ホールの奥には、楽器を手にした者たちが腰掛けて待機しているのが見える。


 移動した者たちは、グラスを傾けながら談笑しているようだ。グラスを置けるようにだろう、白壁の広間の端には小ぶりの丸テーブルが置かれており、テラス側を見れば、ユーインたちがワインを片手に話していた。そこには若い娘もいるようだ。なるほど、ファル・ハルゼの騎士隊は貴族階級を与えられており、町の名士にとっては娘の嫁ぎ先の有力候補なのだろう。


 その向こう側、テラスの奥に、広間ホールからの明かりで照らし出されているブリガンダインの姿がよく見えた。クァンタム・リープと並ぶ姿は見惚れるほどに壮観で、知らず頬が緩みそうになる。贔屓目ひいきめなのは分かっているが、やはりブリガンダインは格別に格好良い。


 エリンが、紳士たちの集まりで彼らを紹介してくれた。さすがは弟の指導を買って出るだけのことはある、頼りがいのある姉だと思う。久し振りにここへ戻ったと言っていたが、彼らの名前や町の名を当然のように覚えているのだ。ロクサーナは、素直に尊敬の念を抱いた。


「ロクサーナ嬢、ザルドが宇宙海賊に襲われたとか。どのようにして侵攻されたのかお聞かせくださいませんか」

「相手は名のある海賊だったのですかな」

「それはそうと、ザルドでは流通はどのようにして」

「周囲の町や村とはどのような連携体制を」


 年配の男たちに囲まれ、それぞれに聞きたいことを投げ掛けられる。言われている意味は分かるものの、ロクサーナにとって彼らを満足させる答えを与えることは難しかった。大まかには流れを知っていても、細部は把握できていないためだ。


「それについては……」


 勉強不足を痛感する。

 やはり、それでも分かる範囲で答えるべきだろうか? そう思い思考を巡らせていれば、ふいに見知った声が割り入ってきた。


「おやおや、そのように堅い質問ばかり。お若いお嬢さんにするものではありませんよ」


 やんわりとそう言いながら輪に入ってきたのは、騎士隊の皆といたはずのユーイン・カーライルだった。

 別の町や村とはいえ支配者階級の年配者相手に、全く物怖じが感じられない態度だ。ファル・ハルゼの騎士隊であり警備隊長であって、更にユーイン自身が高級貴族であるが故なのだろう。そんなたしなめのような言葉を口にした若者に対し、年配者たちが言い返す様子はない。「それもそうですな」とばかりに、困ったように笑っている。


「ユーイン」

「レディ・ロクサーナ。折角の機会です。私と踊っていただけますか?」


 両足を揃えたお辞儀と共にダンスを申し込まれ、ロクサーナは彼が「王子様」とアリーのカフェで呼ばれていることに納得をした。お辞儀一つとっても様になる。それに、なんともスマートな助け船だ。


「ええ、喜んで」


 ロクサーナは左手を差し出した。ダンスの申し込みを受ける了承の意味である握手のためだ。その手が、ユーインの右手に取られる。そのまま握手した手を軽く回され、ロクサーナの左手は甲を上にした形になった。少し手を持ち上げられたかと思えば、手の甲にユーインの唇が近付き、そして触れることなく離れる。


 完璧な微笑みを浮かべたユーインに見つめられ、ロクサーナは先程の納得を更に深くした。こんなことをカフェで喋ろうものなら、見知らぬ女子に恨まれそうだ。いや、逆に彼女たちは話を聞きたがるのかもしれない。


「今夜は一段とお綺麗ですよ、レディ・ロクサーナ。溺れそうになるほどに」


 あまりにも歯の浮きそうな台詞も、ユーインが言えば恐ろしく様になる。兄レオンも相当のキザったらしい男なのだが、ユーインは良い勝負をしそうだ。

 

 ロクサーナは、微笑みでユーインに応えた。この波に乗るのが、この場を乗り切る唯一の方法だろう。


 音楽が演奏され始めた。弦楽器の伸びやかな音が心を少し落ち着けてくれる。

 楽団の方へ視線をやれば、見たことのない楽器があり、ロクサーナはそちらの方へ興味を惹かれた。しかし、いやいや、と一旦その興味を横に置く。まずはビートを掴み、何の種類のダンスかどうかを知らなければならない。といっても、知っているリズムかどうかが問題だ――。そんなことを考えていると、ユーインが自然な形で広間中央へとエスコートしてくれ、耳元で「スロー・ワルツですよ」と囁いてくれた。本当に、何もかもスマートな男だ。 


「ありがとうございます、ユーイン。助かりました」


 感謝を笑みに乗せる。

 ロクサーナはユーインの促しに、暫し彼のリードに身を任せることにした。



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