第12話 舞踏晩餐会へ

 目の前に立つフェリオンが、言葉を発しないまま目を丸くしている。彼が持っていた工具箱が、足元――格納庫ハンガーのキャットウォーク――に音を立てて落ちた。


「そんなに変かしら……?」


 自身が身にまとっているドレスのすそを少し持ち上げ、ロクサーナは少し不安になった。驚かれるのは仕方ない。いつものシャツとロングパンツの出で立ちとは違い、鮮やかな紫みの赤色ノースリーブ型ロングドレス姿だ。籠手ガントレットも着けていない。わりに付けられた装飾品に加え、髪もエノーラにいじられたことだし、印象が随分と違うのだろう。そうは思うも、これほどの反応は予想外である。


「フェリオ~ン?」


 再度呼びかけてみれば、ようやくフェリオンが慌てたように、大きく開いた琥珀色の瞳を持つ目をパチパチと瞬きさせた。


「お姫さまみたいだ……」


 呆けたように呟かれた言葉に、ロクサーナは驚き、次いでくすぐったさを感じて笑ってしまった。おかしいと思われていなかったことに安堵する。


 腰回りに抱き付いているティアリーから、楽しげな笑い声が上がった。


「おにいちゃんたら! ロキシィねぇさまはおヒメさまなんだからね!」

「あー……、そうだったよな。ティアの言うとおり」


 小さな妹ティアリーの指摘に片手で頭を掻きながら、フェリオンが困ったようにしながらも笑みを浮かべた。


「今夜は宮殿で晩餐会? があるんだろ? クライドさんも朝から慌ただしくしていてさ。ちょっと前には、ほら」


 フェリオンが後方を振り返って示す通り、そこには太守のM.O.V.ムーブクァンタム・リープの姿が無い。


「皆で集まって晩御飯食べるんだって先輩が言ってたけど、そこになんでM.O.V.ムーブが必要なんだ? M.O.V.ムーブは食べないだろ?」

「ふふっ、そうね」


 ロクサーナはフェリオンの言い方に、小さく笑った。


 クァンタム・リープは既に宮殿の中庭だろう。これは、太守による政治的利用なのだ。模擬戦を観に来ていた近隣の町や村の支配者階級の人々が、数時間前から定例の会議をしていると聞いた。それが終わった後の舞踏晩餐会だと聞いている。そこでブリガンダインとそのパイロットを紹介することで、このファル・ハルゼの盤石さを知らしめるのだろう。 

 

 今夜の演出はロクサーナとしては断りたいところであったが、置いてもらっている手前、そうするのは難しかった。良いように考えれば、この惑星テクトリウスのほんの一部とはいえ、支配者階級の人々に紹介される機会を得たのだ。


「大人の事情ってやつかしらね。だから、今夜はティアと二人でアリーに食べさせてもらって。話はしてあるから」

「ああ、それは分かった。けど……ソイツはまさか連れて行かないよな?」


 フェリオンに指差され、ロクサーナは自身の肩口に視線をやった。そこには、いつものように背中から張り付いているC.L.A.U.-1クロウ・ワンの頭がある。


「そうなのよ。エノーラに止められちゃってね。だから、預かっていて欲しいの」

「お、俺が預かるのか?」

「そうよ。大丈夫、悪さしなければまないわ」

「え!? 咬むのコイツ!?」


 少し腰が引けたようなフェリオンに、ロクサーナは笑みを向けた。


「なぁに、怖いの?」

「だ、誰が怖いかっ!」

「じゃあ、お願いね」


 両手で慎重にC.L.A.U.-1クロウ・ワンを肩から降ろし、フェリオンへと差し出す。小さく鳴きながらいくつもの機械脚を動かしているC.L.A.U.-1に両手を伸ばしたフェリオンの顔は、分かりやすく引きっている。

 それでも、C.L.A.U.-1は完全にフェリオンの手に渡った。


「え!? コイツ意外とおも……」

「意外と、なぁに?」


 重い、と言おうとしたのだろう、と想像しながら、ロクサーナは面白がった。ティアリーではなくフェリオンに託したのはそのためだ。


「な、なんでもない! 軽いもんだぜ」


 明らかに強がっているのは分かったが、フェリオンならC.L.A.U.-1クロウ・ワン何処どこかにやってしまうことはないだろう。クライドから、仕事ぶりは真面目だと聞いている。


『マスター。C.L.A.U.-1シー・エル・エー・ユー・ワンを置いていかれるのですね』


 ヴァージルから、声がかかった。確認するようなニュアンスを感じ取り、ロクサーナはブリガンダインの方を見て少し肩を竦めてみせた。


「エノーラに太守命令だと言われればね。お兄さまは『悪い虫が寄り付かなくていい』なんて言っていたものだけれど」


 真面目な顔でそう言っていた兄レオンを思い出し、可笑おかしくなる。そんな兄に、母ソフィアは困ったふうに笑っていたものだ。


「なぁ、」

「ん? なぁに?」


 フェリオンが両手に持ったC.L.A.U.-1を持ち上げ、不思議そうな顔をした。


「ヴァージルの言ったシー・エル・エー・ユー・ワンって、コイツのこと? あんたはクロちゃんって呼ぶけど」

「ああ、」


 フェリオンの疑問に納得し、ロクサーナはC.L.A.U.-1に手を伸ばして撫でた。弾力のある柔らかさは、長年共にいて掌に馴染んでいる。


「この子は、正式には Communicative Larval Autonomy Unit-1と言うのよ。略して『C.L.A.U.-1シー・エル・エー・ユー・ワン』ね。ヴァージルは正式名称に近い形で呼んでいるというわけ。一般的にはクロウ・ワンと呼ぶらしいわ。でも愛称として、故郷の家族は皆、クロウラーって呼んでいたの。ちょうど芋虫クロウラーみたいだし、響きも似ているでしょ? クロウ・ワンだと、ただの型式だしね。そういうわけで、クロウラー、から、私はクロちゃんって呼んでいるのよ」

「ふぅん、なるほどな。でっかい芋虫クロウラーだもんなコレ」


 フェリオンが納得したように、C.L.A.U.-1をしげしげと眺めた。


「納得した?」

「した」

「なら良かったわ。これは、ティアに。後でクロちゃんにあげてね」


 いくつかの木の実を入れた小さな袋を、ティアリーに差し出す。それは嬉しそうな笑顔と共に、小さな両手で受け取られた。


「まかせて、ロキシィねえさま!」

「ありがとう、ティア」

「えへへ」


 大事そうに小袋を両手の中に入れたティアリーも、ロクサーナにとっては既に可愛い妹のような存在となっている。引き取った当初は緊張していた様子だったが、学校に行き始め、懐いてもくれば、意外にも快活で利発な女の子だと分かった。昼は学校に行き、ロクサーナが仕事終わりになるまでアリーのカフェで過ごさせてもらっている。夜はフェリオンと三人で夕食を取り、宿題を見てやり、眠るときは一緒のベッドで寝ている。必然的にC.L.A.U.-1クロウ・ワンといる時間が長いため、ティアリーはC.L.A.U.-1のことを今や怖がることはない。ベッドに寝転びながら丸みを帯びた体に抱き付き、撫でてやり、体を震わせて鳴く声を真似てみたりもして遊んでいる。微笑ましい光景は、ロクサーナにとって日常的な癒しになりつつあった。


「さてと、後はブリちゃんの準備よね」

「そういや、クライドさんがなんかでっかい――」

「おぉいフェリオン! ブリガンダインに乗っかって調節しろ!」


 フェリオンが言いかけた言葉を遮る形で、下からクライドの大声が飛んできた。


「あ、はい!」


 すぐにフェリオンが下を覗き込み、返事をした。「ちょっとだけ戻す」そう言い、C.L.A.U.-1クロウ・ワンを差し出される。それをロクサーナが受け取ると、迷う素振りなく、フェリオンがキャットウォークの柵の一部を開いた。


「ティア」


 ロクサーナは、すぐにティアリーの片手を取った。繋いだ手を握り返してくれるティアリーに、笑みを落とす。


 フェリオンに視線を戻せば、彼はブリガンダインの右肩に降り立っていた。そこから首回りを伝って左側へ行っている。


 ロクサーナ自身は慣れているが、フェリオンが落ちてしまわないかと心配になる。ヴァージルがいるから大丈夫だと思うものの、少しの落下の危険性も軽視できない。


 上部にまで上がったクレーンと修理用アームにより、巨大な白い布らしきものが高く持ち上げられた。それは、ブリガンダインの左肩の機銃マシンガンを隠すようにして掛けられる。両端と肩口に金糸と青い染料で描かれているのは、アストレアと思われる花を模した模様だ。長いそれはブリガンダインの肩に掛けられても腰辺りまであり、まるで豪奢なマントを片側に羽織ったような姿になった。フェリオンたちが、そのマントが落ちてしまわないよう、ベルトをブリガンダインの機体に器用に回して固定する。ブリガンダインに乗っているフェリオンもだが、整備士見習いであるデシンたちが空中に体を吊られながら作業をする様は、さすがの光景だ。


 改めてブリガンダインを眺めてみれば、全体的に艶が出て輝いているようにも見える。模擬戦で付着してしまったペイントを落とすのを手伝いはしたが、あれから更に綺麗にしてくれたようだ。頬当てが付いたヘルムから覗く横顔も、普段より端正に見える。丸いヘルムの下から幾つものチューブが背の方に伸びており、それらは胸部と腰部の間あたりに繋がっている。それは髪のように見えなくもない。


「うん。格好良いわね」


 まさか、ブリガンダインまでめかし込む羽目になろうとは思わなかった。これも太守アレクシスの指示だ。だが、こうして眺めてみれば、正直なところ――悪くない。


『これは、盾代わりに使えなくはないですね。目くらまし程度ですが』


 ヴァージルの声が返ってきて、ロクサーナは彼らしい感想に笑った。

 

「確かに、それもそうね」


 戦闘時のシミュレートをしていたようだ。

 そう思っていれば、ブリガンダインの肩からフェリオンが戻ってきた。


「預かるぜ、ソイツ」

「ん、ありがとう」


 今度は躊躇ためらいなく両腕を伸ばしてきたフェリオンに、ロクサーナはC.L.A.U.-1クロウ・ワンを預けた。


「クロちゃん、いい子にしていてね」

『ミュゥ~』


 フェリオンにしがみ付く形になったC.L.A.U.-1の頭を撫でれば、少し寂しそうな声が上がった。そんなC.L.A.U.-1を、ティアリーが撫でてやってくれる。


 ブリガンダインがヴァージルによって起動し、体ごとロクサーナの方を向いた。大きな右手が掌を上にし、柵が開かれている部分のキャットウォークに付けるようにして差し出される。普段はこんな行動を、ヴァージルはしない。


『どうぞ、マスター』

「ありがとう」


 驚きつつも感謝し、ロクサーナはフェリオンにティアリーを預けてから歩を進め、ブリガンダインの掌に乗った。安定した掌はそのまま、ブリガンダインの胸元へと引き寄せられる。


「いってらっしゃい、ロキシィねぇさま!」


 手を振ってくれているティアリーの傍で、フェリオンも片手を挙げてくれた。そんな二人がすぐに視界から外れ、ロクサーナは開かれた格納庫ハンガーから外へ出た。



 途端、日が落ちかけている薄暗い空が視界に広がった。今夜はテクトリウスの衛星つきがよく見えている。心地良く緩やかな風に首元や胸元や腕を撫でられ、不思議と開放的な気分だ。ブリガンダインが歩くたびに大きな震動を感じるが、いつもより歩みがゆったりとしている気がする。できるだけ震動を軽減するよう配慮してくれているのだろう。


 宮殿の中庭は、M.O.V.ムーブの足ではすぐそこだ。既に中庭を臨む広間では、多くの人々が集まっているのだろう。模擬戦も観たはずだ。好奇な目でそのパイロットを見るに違いない。


 こちらにも利があると納得してはいるものの、少しは憂鬱なのが正直な気持ちだった。最初は、太守と騎士隊の皆たちと夕食を共にするだけのことだと思っていたのだ。


『時に、マスター』

「ん~?」


 ヴァージルに声を掛けられ、ロクサーナは振り仰いだ。


『今夜の貴女あなたはいつもと少し違うのですね』

「え? ああ、」


 言われた言葉の意味を理解するまで、数秒。

 ロクサーナは自身の頬に触れ、風にそよぐロングスカートに触れた。


「そうよ。どうかしら?」


 AIであるヴァージルはどんな回答をするのだろう? そんな興味に押され、問いかけてみた。返ってきたのは、僅かな間の後だ。いつもの冷静さを保った声が言葉を紡ぐ。


貴女あなたの識別の閾値いきちを大きくしなければなりませんね』

「ん? 識別の閾値?」


 ロクサーナはそうきたか、と思いつつ溜息を吐いた。ユーインが話す言葉から学んだのか、たまに驚く台詞せりふを吐くヴァージルだ。が、根本的にはやはりAIなのだろう。


 ヴァージルは、普段のロクサーナを基準にロクサーナだと認識しているのだと思われる。今のロクサーナはいつもの基準を満たしておらず、それでも声など他の要素でロクサーナだと判断しているということだ。それに合わせ、今後はロクサーナだと識別する範囲を広げる。そうヴァージルは言ったのである。女の子の「(今夜の私は)どうかしら?」の返答として。


「それは、質問の応えとしては全然だめだわ」

『……もっと具体的に、閾値いきちあたいをお伝えした方が?』

「そうじゃなくて!」


 これは冗談ジョークじゃないのよね? とロクサーナは溜め息を吐くと、人差し指をブリガンダインへと向けた。


「いい? こういう時は、き・れ・いって言うの」

『きれい、ですか』

「そうよ」


 言っていて少しむなしくもなったが、教えておいて損はない。今後も、また同じようにドレスアップする機会はあるだろう。その時に気分を上げる台詞せりふを口にしてくれるなら、この努力も無駄ではないからだ。


『ところで、マスター。その衣装は動きにくいのではありませんか』

「え? それは、まぁ、そうねぇ」

 

 ロクサーナは自身のドレスを見下ろした。ロングドレスだが、足さばきは悪くないはずだ。が、いつものスタイルに比べれば、どうしても動きに制限はかかる。


『でしたら』

「うん?」

『万一、不測の事態が生じた時は、すぐに私を呼んでください』


 ヴァージルに言われた言葉を頭の中で反芻はんすうし、ロクサーナは忘れかけていた危機意識を取り戻した。そうだ、これから行く場所は、ロクサーナ・カイレンを見定めようとする人々の視線の中なのだ。それに、太守やその家族、そして他の支配者階級の人々がいるのだ。勿論、警備は万全だろうし、誰かが襲われる可能性は低いだろうが、ゼロではない。


「分かったわ。ヴァージルの言うとおり、気を抜いていちゃだめね。でも――ヴァージルを呼ぶ時は、テラスを破壊する覚悟がいるわね」

貴女あなたのご命令とあらば』


 当然のように返された言葉に、ロクサーナは小さな笑みを返した。

 そんなことになれば、修繕費で借金がまた増えそうだ。だが、本当に何か起これば、そんなことを気にしてはいられないなと思う。


 危機意識を強めたせいか、緊張が高まってきた。何せ、愛用の細剣レイピアは部屋に置いて来ざるを得なかったのだ。もっとも、騎士隊の皆がいれば自分の出番などないだろうが。


「はぁ――……空が綺麗よ、ヴァージル」


 意識的に息を吐き出しながら仰げば、夜空に星々が美しく輝いている。しかしどうにも落ち着かない。自分の振る舞いで、多少なりとも惑星ザルドの貴族がはかられることになると思えば猶更なおさらだ。


『ロクサーナ』

「ん? なぁに」


 名前を呼ばれ、ロクサーナは夜空からブリガンダインの顔に視線を下ろした。

 たまに、ヴァージルはこうして名前を呼んでくる。彼の中でどういう決まりがあるのかは分からないが、彼に名前を呼ばれると、胸の内が少しさざめく。


『貴女も、とてもお綺麗ですよ』

「えっ」


 ロクサーナは思わず両手で口を押えた。まさか教えた傍から活用してくるとは思わなかったのだ。つい、口元が緩んでしまう。ヴァージルのバリトンボイスで紡がれた言葉は、想像以上に


「あ、ありがとう、ヴァージル」


 ロクサーナはヴァージルを見上げ、なんとか礼を口にした。

 ヴァージルなりに緊張をほぐそうとしてくれたのだろう。少し言わせた感もあるため、どうにも、こそばゆい。しかしお陰で気持ちが上向いた。


 衛兵の誘導に従い、宮殿の中庭にブリガンダインが足を踏み入れた。立派な樹々の枝などに吊るされている幾つもの丸いランタンが、中庭を幻想的に浮かび上がらせている。花の透かし彫りが施された温かみのあるランタンの灯りは、とても優しげな色だ。背の高い樹々が多いことから、三階にある広間ホールからの景観のために造られた中庭なのだろう。こんな高所での作業は大変だろうなと、格納庫ハンガーでの様子を見ていたロクサーナは作業員たちを心の中でねぎらった。


 テラス前までは、M.O.V.ムーブが通れる幅の通路が整備されている。そこを進んでいくと、奥にブリガンダインより少し背の高いクァンタム・リープの姿が見えた。その威光を示すように、広間ホールの方を向いて立っている。その隣、広間から張り出したテラス前のスペースが、ブリガンダインがこれから向かうべき場所だ。人々は、もう揃っている。皆がこちらを見ているのが分かる。奥にいる太守が、テラスに注目するよう促しているのだろう。


「見守っていて、ヴァージル」


 ロクサーナはほんの少し顎を引いて背筋を伸ばし、支えに出来るよう曲げてくれているブリガンダインの指に、そっと、片手を置いた。


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