第12話 舞踏晩餐会へ
目の前に立つフェリオンが、言葉を発しないまま目を丸くしている。彼が持っていた工具箱が、足元――
「そんなに変かしら……?」
自身が身に
「フェリオ~ン?」
再度呼びかけてみれば、ようやくフェリオンが慌てたように、大きく開いた琥珀色の瞳を持つ目をパチパチと瞬きさせた。
「お姫さまみたいだ……」
呆けたように呟かれた言葉に、ロクサーナは驚き、次いでくすぐったさを感じて笑ってしまった。おかしいと思われていなかったことに安堵する。
腰回りに抱き付いているティアリーから、楽しげな笑い声が上がった。
「おにいちゃんたら! ロキシィねぇさまはおヒメさまなんだからね!」
「あー……、そうだったよな。ティアの言うとおり」
小さな妹ティアリーの指摘に片手で頭を掻きながら、フェリオンが困ったようにしながらも笑みを浮かべた。
「今夜は宮殿で晩餐会? があるんだろ? クライドさんも朝から慌ただしくしていてさ。ちょっと前には、ほら」
フェリオンが後方を振り返って示す通り、そこには太守の
「皆で集まって晩御飯食べるんだって先輩が言ってたけど、そこになんで
「ふふっ、そうね」
ロクサーナはフェリオンの言い方に、小さく笑った。
クァンタム・リープは既に宮殿の中庭だろう。これは、太守による政治的利用なのだ。模擬戦を観に来ていた近隣の町や村の支配者階級の人々が、数時間前から定例の会議をしていると聞いた。それが終わった後の舞踏晩餐会だと聞いている。そこでブリガンダインとそのパイロットを紹介することで、このファル・ハルゼの盤石さを知らしめるのだろう。
今夜の演出はロクサーナとしては断りたいところであったが、置いてもらっている手前、そうするのは難しかった。良いように考えれば、この惑星テクトリウスのほんの一部とはいえ、支配者階級の人々に紹介される機会を得たのだ。
「大人の事情ってやつかしらね。だから、今夜はティアと二人でアリーに食べさせてもらって。話はしてあるから」
「ああ、それは分かった。けど……ソイツはまさか連れて行かないよな?」
フェリオンに指差され、ロクサーナは自身の肩口に視線をやった。そこには、いつものように背中から張り付いている
「そうなのよ。エノーラに止められちゃってね。だから、預かっていて欲しいの」
「お、俺が預かるのか?」
「そうよ。大丈夫、悪さしなければ
「え!? 咬むのコイツ!?」
少し腰が引けたようなフェリオンに、ロクサーナは笑みを向けた。
「なぁに、怖いの?」
「だ、誰が怖いかっ!」
「じゃあ、お願いね」
両手で慎重に
それでも、C.L.A.U.-1は完全にフェリオンの手に渡った。
「え!? コイツ意外とおも……」
「意外と、なぁに?」
重い、と言おうとしたのだろう、と想像しながら、ロクサーナは面白がった。ティアリーではなくフェリオンに託したのはそのためだ。
「な、なんでもない! 軽いもんだぜ」
明らかに強がっているのは分かったが、フェリオンなら
『マスター。
ヴァージルから、声がかかった。確認するようなニュアンスを感じ取り、ロクサーナはブリガンダインの方を見て少し肩を竦めてみせた。
「エノーラに太守命令だと言われればね。お兄さまは『悪い虫が寄り付かなくていい』なんて言っていたものだけれど」
真面目な顔でそう言っていた兄レオンを思い出し、
「なぁ、」
「ん? なぁに?」
フェリオンが両手に持ったC.L.A.U.-1を持ち上げ、不思議そうな顔をした。
「ヴァージルの言ったシー・エル・エー・ユー・ワンって、コイツのこと? あんたはクロちゃんって呼ぶけど」
「ああ、」
フェリオンの疑問に納得し、ロクサーナはC.L.A.U.-1に手を伸ばして撫でた。弾力のある柔らかさは、長年共にいて掌に馴染んでいる。
「この子は、正式には Communicative Larval Autonomy Unit-1と言うのよ。略して『
「ふぅん、なるほどな。でっかい
フェリオンが納得したように、C.L.A.U.-1をしげしげと眺めた。
「納得した?」
「した」
「なら良かったわ。これは、ティアに。後でクロちゃんにあげてね」
いくつかの木の実を入れた小さな袋を、ティアリーに差し出す。それは嬉しそうな笑顔と共に、小さな両手で受け取られた。
「まかせて、ロキシィねえさま!」
「ありがとう、ティア」
「えへへ」
大事そうに小袋を両手の中に入れたティアリーも、ロクサーナにとっては既に可愛い妹のような存在となっている。引き取った当初は緊張していた様子だったが、学校に行き始め、懐いてもくれば、意外にも快活で利発な女の子だと分かった。昼は学校に行き、ロクサーナが仕事終わりになるまでアリーのカフェで過ごさせてもらっている。夜はフェリオンと三人で夕食を取り、宿題を見てやり、眠るときは一緒のベッドで寝ている。必然的に
「さてと、後はブリちゃんの準備よね」
「そういや、クライドさんがなんかでっかい――」
「おぉいフェリオン! ブリガンダインに乗っかって調節しろ!」
フェリオンが言いかけた言葉を遮る形で、下からクライドの大声が飛んできた。
「あ、はい!」
すぐにフェリオンが下を覗き込み、返事をした。「ちょっとだけ戻す」そう言い、
「ティア」
ロクサーナは、すぐにティアリーの片手を取った。繋いだ手を握り返してくれるティアリーに、笑みを落とす。
フェリオンに視線を戻せば、彼はブリガンダインの右肩に降り立っていた。そこから首回りを伝って左側へ行っている。
ロクサーナ自身は慣れているが、フェリオンが落ちてしまわないかと心配になる。ヴァージルがいるから大丈夫だと思うものの、少しの落下の危険性も軽視できない。
上部にまで上がったクレーンと修理用アームにより、巨大な白い布らしきものが高く持ち上げられた。それは、ブリガンダインの左肩の
改めてブリガンダインを眺めてみれば、全体的に艶が出て輝いているようにも見える。模擬戦で付着してしまったペイントを落とすのを手伝いはしたが、あれから更に綺麗にしてくれたようだ。頬当てが付いた
「うん。格好良いわね」
まさか、ブリガンダインまで
『これは、盾代わりに使えなくはないですね。目くらまし程度ですが』
ヴァージルの声が返ってきて、ロクサーナは彼らしい感想に笑った。
「確かに、それもそうね」
戦闘時のシミュレートをしていたようだ。
そう思っていれば、ブリガンダインの肩からフェリオンが戻ってきた。
「預かるぜ、ソイツ」
「ん、ありがとう」
今度は
「クロちゃん、いい子にしていてね」
『ミュゥ~』
フェリオンにしがみ付く形になったC.L.A.U.-1の頭を撫でれば、少し寂しそうな声が上がった。そんなC.L.A.U.-1を、ティアリーが撫でてやってくれる。
ブリガンダインがヴァージルによって起動し、体ごとロクサーナの方を向いた。大きな右手が掌を上にし、柵が開かれている部分のキャットウォークに付けるようにして差し出される。普段はこんな行動を、ヴァージルはしない。
『どうぞ、マスター』
「ありがとう」
驚きつつも感謝し、ロクサーナはフェリオンにティアリーを預けてから歩を進め、ブリガンダインの掌に乗った。安定した掌はそのまま、ブリガンダインの胸元へと引き寄せられる。
「いってらっしゃい、ロキシィねぇさま!」
手を振ってくれているティアリーの傍で、フェリオンも片手を挙げてくれた。そんな二人がすぐに視界から外れ、ロクサーナは開かれた
途端、日が落ちかけている薄暗い空が視界に広がった。今夜はテクトリウスの
宮殿の中庭は、
こちらにも利があると納得してはいるものの、少しは憂鬱なのが正直な気持ちだった。最初は、太守と騎士隊の皆たちと夕食を共にするだけのことだと思っていたのだ。
『時に、マスター』
「ん~?」
ヴァージルに声を掛けられ、ロクサーナは振り仰いだ。
『今夜の
「え? ああ、」
言われた言葉の意味を理解するまで、数秒。
ロクサーナは自身の頬に触れ、風にそよぐロングスカートに触れた。
「そうよ。どうかしら?」
AIであるヴァージルはどんな回答をするのだろう? そんな興味に押され、問いかけてみた。返ってきたのは、僅かな間の後だ。いつもの冷静さを保った声が言葉を紡ぐ。
『
「ん? 識別の閾値?」
ロクサーナはそうきたか、と思いつつ溜息を吐いた。ユーインが話す言葉から学んだのか、たまに驚く
ヴァージルは、普段のロクサーナを基準にロクサーナだと認識しているのだと思われる。今のロクサーナはいつもの基準を満たしておらず、それでも声など他の要素でロクサーナだと判断しているということだ。それに合わせ、今後はロクサーナだと識別する範囲を広げる。そうヴァージルは言ったのである。女の子の「(今夜の私は)どうかしら?」の返答として。
「それは、質問の応えとしては全然だめだわ」
『……もっと具体的に、
「そうじゃなくて!」
これは
「いい? こういう時は、き・れ・いって言うの」
『きれい、ですか』
「そうよ」
言っていて少し
『ところで、マスター。その衣装は動きにくいのではありませんか』
「え? それは、まぁ、そうねぇ」
ロクサーナは自身のドレスを見下ろした。ロングドレスだが、足さばきは悪くない
『でしたら』
「うん?」
『万一、不測の事態が生じた時は、すぐに私を呼んでください』
ヴァージルに言われた言葉を頭の中で
「分かったわ。ヴァージルの言うとおり、気を抜いていちゃだめね。でも――ヴァージルを呼ぶ時は、テラスを破壊する覚悟がいるわね」
『
当然のように返された言葉に、ロクサーナは小さな笑みを返した。
そんなことになれば、修繕費で借金がまた増えそうだ。だが、本当に何か起これば、そんなことを気にしてはいられないなと思う。
危機意識を強めたせいか、緊張が高まってきた。何せ、愛用の
「はぁ――……空が綺麗よ、ヴァージル」
意識的に息を吐き出しながら仰げば、夜空に星々が美しく輝いている。しかしどうにも落ち着かない。自分の振る舞いで、多少なりとも惑星ザルドの貴族が
『ロクサーナ』
「ん? なぁに」
名前を呼ばれ、ロクサーナは夜空からブリガンダインの顔に視線を下ろした。
たまに、ヴァージルはこうして名前を呼んでくる。彼の中でどういう決まりがあるのかは分からないが、彼に名前を呼ばれると、胸の内が少しさざめく。
『貴女も、とてもお綺麗ですよ』
「えっ」
ロクサーナは思わず両手で口を押えた。まさか教えた傍から活用してくるとは思わなかったのだ。つい、口元が緩んでしまう。ヴァージルのバリトンボイスで紡がれた言葉は、想像以上に効いた。
「あ、ありがとう、ヴァージル」
ロクサーナはヴァージルを見上げ、なんとか礼を口にした。
ヴァージルなりに緊張を
衛兵の誘導に従い、宮殿の中庭にブリガンダインが足を踏み入れた。立派な樹々の枝などに吊るされている幾つもの丸いランタンが、中庭を幻想的に浮かび上がらせている。花の透かし彫りが施された温かみのあるランタンの灯りは、とても優しげな色だ。背の高い樹々が多いことから、三階にある
テラス前までは、
「見守っていて、ヴァージル」
ロクサーナはほんの少し顎を引いて背筋を伸ばし、支えに出来るよう曲げてくれているブリガンダインの指に、そっと、片手を置いた。
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