第19話 不穏な風

 明け方。

 ロクサーナはユーインのM.O.V.ムーブウィンディ・ドラゴンフライのコックピットに乗せてもらい、フォルーズに戻ってきていた。


 意外にも、ウィンディのコックピット内はブリガンダインのそれよりも広かった。自分をここへ抱え上げてくれたユーインの腕力には素直に感心し、結果的にこのコックピットの乗り心地を味わうことになったことには複雑な気持ちを抱く。口に出しはしなかったが、意外と揺れることには驚いた。


 用意よく、濡れた体を羽織り物で包んでくれたため、体の冷えも治まっている。


「おや、フェリオンもいますね」


 ユーインの言葉にモニターを見れば、村の入口の門付近にフェリオンが立っていた。傍にいるのはグレンダだ。村の家々からも人々が覗きに出てきている。やはりM.O.V.ムーブが動くと驚かせてしまうらしい。


「グレンダを付けてくれていたんですね。ありがとうございます、ユーイン」


 フェリオンの無事な様子に、ロクサーナは安堵した。

 彼が責任を感じてしまっているかもしれないと心配していたのだ。無茶なことをしてしまう懸念もあった。


「面倒ごとを避ける対策をしただけですよ。グレンダの言うことをよく聞いて待っていたことは、評価できます」

「ユーイン、本当にありがとうございました」

「とんでもない、レディ・ロクサーナ。貴女あなたの最初の警告が早かったお陰で、皆が軽傷で済んだのです。それに、貴女のお陰であの少年が死なずに済み、貴女が生きていてくれたお陰で私は誰一人死なせずにファル・ハルゼに戻れるのですよ。お礼を言うのは、こちらの方です」


 微笑みと共に発せられたユーインの言葉が、とても有難く思う。

 ロクサーナは心の中で、改めてユーインに礼を言った。


 M.O.V.ムーブウィンディ・ドラゴンフライがその歩みを止め、側面の搭乗口が開かれた。一人では立てないため、再びユーインにかかえられる。申し訳なく思うが、今は甘えさせてもらうしかない。


『ミュ~』

「おっと、君もいたんでしたね」


 C.L.A.U.-1クロウ・ワンが天井から胸元に降りてきたため、ユーインは少し驚いたようだ。


 外の温い風を肌に受ければ、自然と溜息が漏れた。目の前に、ブリガンダインが立っている。ユーインが谷に来てくれた時に通信を終えたため、先に戻ってきていたのだろう。その大きな手が、掌を上にして傍に寄せられた。


『マスターをこちらへ』


 寄越せと言わんばかりのヴァージルの態度に、ロクサーナは驚いた。

 ユーインを見上げれば、彼の頬には微かな笑みが浮かんでいる。それがどういう感情を意味するのかは、分からない。


「では、レディを下に降ろしてください、ヴァージル」


 ユーインによって、ブリガンダインの掌の上に乗せられた。

 引き寄せられ、ロクサーナは近付いた愛機の顔を見上げる。朝日を浴びている硬質な頬に片手を上げ、掌で触れれば、動かないはずの表情が和らいだ気がした。


「ヴァージル、ありがとう」

『ご無事で何よりです、マスター』


 ヴァージルの言葉が、いつもよりは僅かにゆったりとした口調に聞こえる。村に帰って来られて、自分がほっとした心持ちだからなのかもしれない。


『ですが――、聞いていたよりも怪我がひどいのでは?』


 と思えば、ヴァージルの声が咎めるような硬質さを帯びた。動けない身でよく確認できなかったため、ちょっと怪我をしたけど大丈夫、と伝えていたのだ。


「そ、そう? まぁ、さすがにあそこから落ちればね。死なななかっただけで良しとするわ。クロちゃんのお陰でこの程度で済んだのよ?」

『そうですか……。C.L.A.U.-1シー・エル・エー・ユー・ワン、ありがとうございました』

『ミュ、ミュ~!』


 丁寧にC.L.A.U.-1クロウ・ワンに礼を言ったヴァージルに、胸元に引っ付いているC.L.A.U.-1がご機嫌に鳴いた。そのやり取りに、自然と頬が緩む。


「ロクサーナ!」


 下から呼ぶ声は、フェリオンだ。


「ヴァージル、下ろしてくれる?」

『イエス、マスター』


 ブリガンダインの片膝が地面につけられ、ロクサーナが乗っている手が地に寄せられた。駆け寄ってきたフェリオンの顔には、喜びと悲壮感が入り混じっている。目の前で両膝をついたフェリオンの琥珀色の瞳が、今にも零れ落ちそうな涙に濡れている。


「大丈夫よ、フェリオン。ほら」

「ロクサーナ……!」


 無事なことを確かめたいが躊躇ちゅうちょしている様子のフェリオンを、ロクサーナは両腕を伸ばして抱き寄せた。せきを切ったように泣き出した年下の少年の頭を、抱えるようにして撫でてやる。こんなフェリオンは初めてだ。それほど、心配させてしまったのだろう。


「ごめ、ごめん、ロクサーナ。俺がついて来たりしたから、あそこで落ちそうになんてなったから」

「違うわ、あなたは何も悪くない」

「でも、やっぱり俺のせいだ……っ、そんな、怪我して……ッ」


 涙で喉を引き攣らせて言葉を紡いだフェリオンに、ロクサーナはゆっくりと体を離してフェリオンと向き合った。


「いい? フェリオン。今回のことは、私に責任があるの。あなたを同行することを決めたのは私。山へ連れていくことを決めたのも、私よ」

「でも」

「ほら、無事だったんだから、笑ってちょうだい。よくユーインの言うことを聞いたわね。偉かったわ」


 両手で頬を撫でて促せば、フェリオンの泣き笑いが見られた。

 ああ、戻ってこられて良かったと思う。この子たちが独り立ちする日が来るまで護ってやらねばと、改めて強く心に誓う。


 気付けば、ウィンディから降り立ったユーインが傍にやってきている。そのまま片膝をついた彼に、両腕を差し出された。


「こちらへ、レディ。そろそろブリガンダインを立たせてやらなければ」

「あ、そうですね」


 ブリガンダインの手に座ったままだった、とロクサーナは慌ててユーインに両手を伸べた。C.L.A.U.-1クロウ・ワンごと抱き上げられれば、ブリガンダインの手が地面から離れ、突いていた片方の膝も上げられる。


 傍にグレンダがやって来た。


「ロクサーナ様、よくぞご無事で」

「心配をかけました、グレンダ。フェリオンをありがとうございます」

「とんでもない。いい子にしていましたよ」


 豪快な笑みを見せるグレンダが、フェリオンの頭を乱暴に撫でる。そんなグレンダの行為に、フェリオンはされるがままだ。まだ、ばつが悪いのだろう。


「隊長もお疲れでしょう、ロクサーナ様は私がお連れしましょうか?」


 そうグレンダが言ったことで、ユーインも眠れていず疲れていることに気付くべきだった、とロクサーナは後悔した。グレンダとてまともに寝ていないだろうと思う。やはり自分で歩くべきだろう。頑張れば、多分、歩けないことはないはず。いや……、やっぱり無理か。


 そんな心中を見抜いてか、体を抱いてくれているユーインが、間近で優雅な笑みを浮かべた。


「役得なのですよ、これは。このまま貴女あなたを抱いて連れていくことを私に許してください、レディ・ロクサーナ。手当てはグレンダに任せますから」

「え、ええ。では、申し訳ありませんがお願いします」


 またも兄に匹敵する眩しさを発揮したユーインに、ロクサーナは断る術を失った。

 隣を歩くフェリオンを見れば、何故なぜか頬が膨らんでいる。


「俺も早く大人になりたい」

「あら、そんなに急がなくてもいいのに」

「そしたら、俺が……」


 言葉尻を捉えられず、ロクサーナは首を傾げて先を促す。しかし、フェリオンはそっぽを向いてしまい、先程までの素直さはどこへやらだ。まぁその方がフェリオンらしい、のかもしれない。


 その時、大きな腹の虫が鳴った。


「あ、」


 驚いた顔をした皆の顔が自分に集中し、次いで可笑おかしげな笑みに変わる。


「おやおや、元気な音がしましたね」

「これまで聞いた中で一番大きかったぞ、ロクサーナ」

「そりゃお腹がきますよね、ロクサーナ様。応急処置を済ませたら、ひとまず朝食にしましょうか」

「……そうしてくれるととても嬉しいです、グレンダ」


 安全な場所に戻ったせいか、もうすぐ欲求が満たされると期待し始めたせいか、更に空腹がひどくなっている。

 ロクサーナは恥ずかしさを感じながらも、素直にグレンダの申し出を受けた。



 ◇◇◇



 四日後の夕刻、ロクサーナはファル・ハルゼの騎士団本部の自室に落ち着いていた。開け放している窓からはまだ明るい空が見え、静かな雨音がし始めている。もう少ししたら、大通りの街燈に明かりを灯す係の者が、街燈の細い梯子を上り始めるだろう。街燈の上部にある丸い硝子を開け、ひとつずつ点火していくのだ。このファル・ハルゼでは水力発電の他に、家畜の糞尿や有機ゴミを燃やすことでバイオガスを発生させ、様々なことに利用しているらしい。


 湿った風が室内に入り込み、何とはなく体が重く感じ始めた。疲れているのだろう、そう自身で納得する。


 先頃、帰ってきたその足で、ユーインと共に騎士隊長サンダーに報告に行ってきたところだ。全員無事に戻ってきたこと、そしてハルカカを収穫できたことに、サンダーは満足げな頷きを見せていた。


 有難いことに、サンダーに明日まる一日の休暇をもらっている。怪我がまだ治り切っていないことを気遣ってくれたようだ。明日は一日ごろごろとしていよう――そう思い、ロクサーナはベッドで丸まっているC.L.A.U.-1クロウ・ワンに抱き付くようにして寝転がった。


「イタタタ……」


 痛みが少なくなるよう、もぞもぞと態勢を整える。その動きの最中、寝室のドアが派手な音を立てて開かれた。


「ロクサーナ!」

「フェリオン、ノックはしてって言って、」

「ティアが帰って来ないんだ!」

「え?」


 ロクサーナは小言は後にし、身を起こして彼を見た。驚くほど、フェリオンの顔が強張っている。


「学校から?」

「うん、もうこの時間なら帰ってきてるはずなんだ。でもアリーの店にいない。絶対におかしい」


 フェリオンのまくし立てるような訴えからは、不安が滲み出た焦りが窺える。それに若干、不思議な感覚を覚えた。


「少し寄り道しているんじゃないの? また花を摘みに行っているかもしれないわ。雨が降ってきたから、そろそろ戻ってくる頃かも」


 ティアリーは花が好きだ。よく摘んできた花をこの部屋に飾ってくれている。

 それにティアリーはまだ幼いが、兄よりもしっかりしているところがある。ロクサーナよりもこの町の地理に詳しく、道に迷うはずもない。


「そう、かもしれないけど……、でも、気になるんだよ」

「分かったわ、私も探す」


 それでも小さな妹を心配するフェリオンを放ってはおけない。そう言われれば、心配にもなってきた。早く見つけて、アリーのカフェで三人でお茶をするのもいいだろう。


「本格的に降り出す前に迎えにいきましょう」


 ロクサーナは痛みを顔に出さないよう努めながら、ベッドから立ち上がった。



〈第二章 了〉

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