第三章 マウリ氏族のエトラ・プラート

第20話 消えた子供たち

 ロクサーナは上がる息を吐き出しながら、民家の壁に手をついた。陰になっている木壁がひやりと冷たく、掌に伝わる心地良さにほっとする。すぐそこに宮殿の見える広場があるが、照りつける陽光は目にも肌にも今はつらい。痛みを訴えた胸を片手で抑え、ロクサーナは深い溜息を吐き出し、なんとかこらえた。


 昨日の夕刻、フェリオンからティアリーが帰っていないことを聞いた後、学校に確認し――その日は昼で授業が終わりになったらしい――、町中へ探しに出たのだ。しかし、夜になってもティアリーは見つからなかった。今日も朝から町を駆けずり回っているが、その姿を見つけることができていない。


 ロクサーナは当初、この事態をそう深刻にはとらえていなかった。しかし「居そうな場所にはいなかった」「昔の仲間も姿を見ていない」という話をフェリオンから聞き、胸の内に不安の暗雲がむくむくと生まれ、広がった。それは未だに晴れていない。


「お嬢さん! ここにいたか」


 駆け寄ってきた硬い足音の主に気付き、ロクサーナは顔を上げた。

 

「ダリウィン」


 昨夜、騎士隊本部に来たダリウィンに事情を説明していたのだ。すぐに彼は動いてくれ、「こういうことは俺たちの仕事だからな」と、部下たちを動かしてくれている。


 もしかして見つかったのかと期待した。しかしダリウィンの表情からは、安堵の欠片も見つけられない。


「衛兵の一人が、それらしき女の子が西門から外へ出ていったのを見かけたらしい」

「外に? いつ頃でしょうか」

「昨日の昼過ぎだそうだ。町の外に出ることに規制はないし、子供であっても止められることはないからな。ただ、日が暮れる前には戻ってくるのが普通だ。それに、そう遠くにはいかないだろう。普通は門が閉じる前には戻る」


 外へ出た。

 そのことに、ロクサーナは驚いていた。ティアリーは町中のことには詳しかったが、門の外には出たことがないの、と言っていたのだ。


「だから、外に出ているチャスとユーインにも気を付けてくれるよう伝令している」

「ありがとうございます、ダリウィン」


 先んじて動いてくれたダリウィンに、ロクサーナは深く感謝した。


「しかしなぁ……」


 眉をひそめたダリウィンが、言いにくそうに口元を歪めた。


「これほど探して見つからないんだ。人攫ひとさらいの方向で考えた方がいいかもしれん」

「え……」


 人攫い、という言葉に、ロクサーナは更に驚いた。意味は知っているが、あまり身近で聞くことのなかった言葉だ。


「誘拐された、ということですか」

「可能性は高いな。あの子はその、見た目も可愛らしいだろう、そういう子供をさらっては他に売って稼ぐ奴らがいるんだ。売られた子供はを強いられて、運が悪けりゃすぐに死ぬ」

「そんな!」


 ロクサーナは息が詰まる思いがした。目の前が暗くなる。ダリウィンの言った言葉は、悪い想像ばかりを生み出してはロクサーナの脳裏を埋め尽くした。


「ティア」


 自分がいかに護られて育ってきたのかを痛感する。故郷のザルドでは、町に出た時に危険な目に遭ったことなどなかった。傍に護衛騎士がいるのが当たり前であったし、一人で抜け出した時も、今から思えば、おそらくは姿を見せていない護衛がいたのだろう。経験を積むために討伐任務に同行することはあったが、そこでも護られる対象だったのだと思う。その環境から出た直後は、解放感よりも緊張感を持つことをいられた。見知らぬ土地で死と隣り合わせに置かれたのだ、今から思えば良い経験と思えなくもない。それでも自分は日常的な危険というものにうといのかもしれない、そう思わざるを得なかった。


 最初からフェリオンが嗅ぎ取っていた危機は、これだったのだ。彼らが居た孤児院の院長やその周辺の奸物は、太守に献言したことで排除されている。しかし、この穏やかに見える都市には、未だ危険が存在しているのだろう。そのことを、きっとフェリオンはよく知っているのだ。その日その日を、妹を護りながらやっと生き抜いてきた彼だからこそ、すぐに妹の身を過剰なまでに案じたのだ。


 ダリウィンが言うとおり、ティアリーは贔屓目ひいきめを差し引いても可愛い。ぱっちりとした目には、フェリオンと同じ琥珀色の瞳。明るい栗色の髪は、陽光が当たれば更にその輝きを増す。


「どうしよう……、ティアに何かあったら――っ」


 大切にするつもりでいた小さな温もりが、ふいに腕の中から消えてしまうかもしれない。いや、既に消え去ってしまっているのかもしれない。そう考えるだけで、心臓を握り潰されそうになる。


「お嬢さん!」


 ふいに、両肩を大きな両手で掴まれた感覚があった。知らず、倒れそうになっていたことに気付く。


「ダリウィン――」


 見上げれば、覆いかぶさるようにしてダリウィンに覗き込まれていた。その眼差しは、普段の常に可笑おかしみを瞳に飼っているような彼のものとは異なっている。


「今は気をしっかり持つんだ。あの子は賢い子なんだろう?」

「……ええ。ええ、勿論。あの子は小さいけれど、賢いわ。花の種類だって私より知っています」

「なら、無事を信じてやろう。攫われていても、無事なら取り戻せばいいんだ」

「取り戻せば……いい?」


 ダリウィンの言葉を、ロクサーナは頭の中で何度も繰り返した。


 徐々に、強い気持ちが戻ってくる。そうだ――、今は嘆いている場合ではないのだ。


 絶対に、ティアは無事でいる。絶対に、見つけて取り戻す。その決意を不安渦巻く胸に無理矢理に押し込み、ロクサーナは意識的に背筋を伸ばした。


「ダリウィン、ありがとうございます」


 ダリウィンを見上げてそう言えば、困ったようでいて安堵したような笑みが、彼の頬に浮かんだ。


「いや、本当は頭でも撫でて優しく慰めてやりたいんだがな」


 その言葉に、ロクサーナは少し笑った。今そんなことをされたら、甘えてしまいそうで困る。


「人攫いが居そうな場所は分かりますか? 組織的なものであるなら、誰かが知っているかもしれません」

「そうだな……、ところで、坊やの方はどうした?」

「フェリオンなら、もう一度ティアの行きそうな場所に。ここで待ち合わせをしているんです」


 もしかしたら、誰か親切な者がティアリーを一晩泊めてくれたかもしれない。希望的観測ではあるが、今一度、ティアリーが戻って来ようとしている可能性に賭けたのだ。


 石畳を駆けてくる軽い足音に視線を向ければ、フェリオンがこちらに向かってきている。その晴れない顔を見る限り、朗報を持っているわけではないようだった。


「やっぱり居ない! そっちも?」


 予想通りの言葉に、ロクサーナは「いないわ」の意味で首を左右に振った。


「フェリオン、あなたはに詳しいのよね?」


 そう問えば、フェリオンの眼に力がこもったように感じた。彼も後はそこだと考えていたのかもしれない。

 フェリオンが、深く頷いた。


「じゃあ道案内をお願い」


 ロクサーナは自身の愛剣の柄に触れ、ダリウィンに視線を送る。当然と言わんばかりの彼の笑みが有難い。ロクサーナは一度柄を握り締めた後、駆け出したフェリオンを追った。



◇◇◇



 スラムに隠れている『認可されていない組織』のアジトにフェリオンの案内で踏み込んだロクサーナとダリウィンは、少々の荒事の後、組織のボスから有用な情報を手に入れていた。外から入り込んだ人身売買を生業なりわいとする者たちが、子供たちを数人連れていったというのだ。親が金と引き換えに売ったのだという。しかし金を介さずにさらわれた子供もいるだろうなということだった。彼らは孤児を攫い、他へ売り飛ばして金を儲けるらしい。


 彼が言うには、そういうことはよくあることなのだそうだ。攫っていっても誰が騒ぐこともない孤児であるからなのだと。それならティアリーは当て嵌まらない――そうロクサーナは思った。着せている衣服からしても、見た目はもう孤児には見えないはずだからだ。


「世の中には色んな趣味嗜好の奴がいるんだぜ? 世間知らずなお嬢ちゃんには分からねぇか?」

「おい! 口の利き方に気を付けろ!」


 ダリウィンが、髭面の男ボスの胸元を掴み上げた。それに怯えた様子もなく、男がロクサーナの方を見て困ったように両手を広げる。


「構いません、ダリウィン」


 ロクサーナはダリウィンに、手を離してやるよう言った。自分が侮辱されるだけならば、今は構わない。とにかく情報が欲しいのだ。


 胸倉を掴んでいたダリウィンの手が離されると、汚らしい髭で覆われた頬が、愉しげに歪んだ。


「探してるちっちゃなお嬢ちゃんはよっぽど高く売れると踏まれたのかもしれねぇな? だがまぁ馬鹿な奴らだ。俺なら絶対に手を出さんよ。現にこうして騎士の旦那とお嬢ちゃんに踏み込まれてる。店は派手に散らかっちまって、手下どもは伸びてしばらく使いものにならねぇ。割に合わんだろ」


 だから俺たちじゃない、と男は言った。


「それに、この町にいる奴らは、あんたのことを知っている。なんたってこのファル・ハルゼの守護神サマだぜ。模擬戦やる前は、こんな可愛らしいお嬢ちゃんだとは思わなかったがな。だからよっぽどの考えなしじゃなきゃ、あんたの大事にしてる子供に手を出すなんざしねぇよ。さらったとしたら、この町のもんじゃねぇ」


 男の言い分は、納得のいくものだった。

 確かに、この町に住む者にとっては、町を護れる力を持った人間に喧嘩を売ることは愚かな行為だろう。しかしそう合理的に考えられる、この男のような者たちばかりとは限らない。それでも男の言うことが真実であれば、外の人間の仕業である可能性が高い。


 ロクサーナは男を真正面から見つめていた。壁に掛けられている燭台の揺らぐ明かりが、男の暗い色の瞳を照らし出している。彼の眼差しは揺らがない。


「彼らがどちらへ向かったのか見当はつきますか?」


 この男は嘘は言っていない。そう、ロクサーナは判断した。


 この惑星テクトリウスには、三氏族が入植している。北東の方へ行けばマウリ氏族が、北西にはソタティ氏族がそれぞれの土地を治めていると聞いている。


「さてなぁ。俺たちも宿を提供してやっただけで、奴らの商売には関わってねぇからな」

「そうですか……」


 ロクサーナは男の返事に、落胆はしなかった。外を探すべきだということがほぼ確定したことは大きい。人を売り買いするような者たちがこの町に来ていた、という事実が分かったことも、収穫だ。


「ありがとうございます、ミスター……」

「スティーブだ、お嬢ちゃん。あんたに免じて、店を荒らしてくれたことには目を瞑ってやるぜ」

「……スティーブ。この次、人攫いに宿を提供することがあれば、近くの警備隊に一報を。すぐに彼らに、宿が用意されるでしょう」

「へっ、……まぁ、覚えておこう」


 今回、人攫いと分かっていながら黙って宿を提供したことに対して罪を問いたい気持ちはあるが、既に証拠はない。乱暴に捕らえてしまうことは可能だろうが、今そうしても得られるものはない。


 男の髭面を、ロクサーナは記憶に留めた。万一、自分に人を見る目がなく、彼が偽りを言っていた場合。その時は、自分の不甲斐なさを反省すると共に、この男をどんな手を使ってでも捕縛することに決める。


「ダリウィン、一度本部に戻りましょう」


 他氏族の土地への長旅になる。となれば、太守と隊長の許可が必要だ。許可が出れば、すぐにでもティアリーを探しに行きたい。

 ロクサーナはきびすを返し、ダリウィンとフェリオンを促した。


 

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