第二章 自然要塞都市ファル・ハルゼ

第8話 事の始まり

 ロクサーナはブリガンダインのコックピット内で、操縦席に座っていた。ヘルメットを被り、両手にはいつもの指無しフィンガーレス・籠手ガントレットを嵌めている。


 目の前のモニターに広がるのは、凹凸おうとつのある大地だ。所々には樹々の群生があり、それらによって視界はクリアとはいえない。上に広がるのは、真っ青な空。その中を軽やかに泳ぐようにして、白い鳥が翼を広げて滑空していく。あれほど尾羽の長い鳥は、故郷のザルドでは見たことがない。


『マスター。観客席は満席のようですよ』


 モニター上で、景色の中の遠い崖上が小さな円で区切られると、そこが脇の大きな円で拡大表示された。大勢の市民たちが大きく映し出される。急ごしらえだろうに、それなりにしっかりとした観客席が設置されていることに驚いた。後方の者にも配慮された階段状になっているようだ。彼らの表情は実に楽しげで、これから行われることに対する期待が窺える。そんな彼らを見て、ロクサーナは少しばかり肩をすくめた。


「なんだか見世物になっちゃったわね」

『あちらは我々を見下ろせる高い崖上ですし、充分な距離もあります。安全を確信しているのでしょう』


 彼らの映像が縮小され、現在地からの方角と距離が表示された。

 それをロクサーナは頭に入れる。


「あっちには近付き過ぎない方がいいわね」

『イエス、マスター。ペイント弾とはいえ威力ゼロではありませんし、対するワーカー二機も撃ってくるかもしれません』

「そうよねぇ……」

『どうしました?』

「うーん、エノーラはどうしているのかと思って」


 ロクサーナは、エノーラの眉間に寄った深いしわを思い出していた。


 エノーラ・ケンドールは太守アレクシスの妻シュリアの相談役コンパニオンだ。それに加え、騎士隊の資材管理も担当している。修理時の交換部品や銃弾、備品など全般だ。実際に発注をかけるのは整備士のクライドなのだが、そうするためにはエノーラに申請をして許可を得なければならない。必要経費を無碍に断られることはないようだが、それなりの小言は付き物なのだそうだ。今回のことも、彼女は良い顔をしなかった。何せ、M.O.V.ムーブの維持には金が掛かる。それもこれも、彼女がファル・ハルゼの財政を人一倍考えてのことには違いない。


『太守が席に着かれたようです』


 左サイドのモニターに視線を戻せば、再び観客席が映し出されている。その観客席の最も高い位置に、ファル・ハルゼの太守アレクシス・カイレンの姿が見えた。整えられた茶色の口髭と顎髭が特徴的で、目鼻立ちがはっきりしている。騎士隊長ほどではないが体格も良い。傍には騎士隊長サンダーが控えている。


 そもそも、何故こんなことになったのだったか――。 

 ロクサーナは未だ開始の合図がない時を持て余し、背をシートにもたせかけた。



◇◇◇



 ――さかのぼること二か月ほど。

 騎士隊本部の屋内鍛錬場では、微かな雨音を掻き消すように木剣を振るう者たちの息遣いが響いていた。


「これでどうだ……!」


 胸元を突こうとしてくる木剣を避け、ロクサーナは咄嗟に腰を落とした。踏み込んできた相手の片足を進行方向へと払う。すぐに体勢を戻し、仰向けに倒れた相手の胸元に木剣を突きつければ、相手の青年の表情が悔しげに歪んだ。


「ありがとうございました、チャック」


 礼を言って木剣を引けば、自分よりも少し年上の青年の眉が、更に不満を露わにした。そんな彼が口を開く前に、別の者が立てた拍手が響く。


「レディ・ロクサーナ。お見事です。貴女の戦いは舞踏を見ているようで、目の保養になりますね」

「ユーイン」


 三回手が叩かれる間に、その男――ユーイン・カーライルが傍に来ている。相変わらず、真っ直ぐ流れるような明るい色の髪が美しい男だ。乱れた姿を、未だ見たことがない。


「まだお時間があるようでしたら、このあと私と――」

「ちょっと待ってくださいよ警備隊長! まだ俺とコイツの勝負は」

「チャック」


 ユーインが青年――チャック・リーパーの名を強く呼んだ。


「レディに対して失礼な物言いですよ。それに、今回君の負けです」

「ちょっと手加減してやったんですよ! お、女相手に本気でいけるわけないでしょう!」


 よほど負けたことに納得いかないのか、チャックの不満は収まりそうにない。これで彼とは今日だけで三戦三勝。女だからと言われれば、どうしてやればよいのか分からない。三戦目の、彼の最後の突きは悪くなかった。速さもタイミングもだ。決して手を抜かれたとは思わない。が、反論すれば余計に彼のプライドを傷付けるかもしれない。そう思ったロクサーナは、黙ったままユーインをちらりと見上げた。


 ユーインははっきりと顔には出していないが、呆れているように感じられる。もしくは、珍しく少し怒っているのだろうか? 彼の薄い唇から深い溜息が漏れた。


「チャック、君は――」

M.O.V.ムーブ戦だったら、負けはしません!」

「え?」


 チャックの口から飛び出した言葉に、ロクサーナは驚いた。確かにチャックも間違いなく、M.O.V.ムーブ乗りではある。


 比較的初期に開発されたとされる多目的M.O.V.ムーブであるワーカーは、同範疇はんちゅうの中では最も普及している型式だ。百八十度近く見渡せる強化ガラスのコックピットの後ろに動力生成器ジェネレーターを背負い、円形の腰、二脚を持つ。右腕は動力生成器ジェネレーターを搭載している後頭部横から、左腕は腰部から接続している。作業向きではあるが戦闘にも適応でき、防衛近接戦から遠距離支援までの役割をカバーできるカスタマイズ幅の広さも相まって、多目的M.O.V.ムーブの象徴的存在なのだ。


「面白い!」


 新たな人物の力強い声が、大きく耳に届いた。振り返れば、騎士隊長サンダー・ランパートがやって来ている。サンダーの左目は黒い眼帯で覆われているが、その理由は少なくとも騎士隊員たちは知らないようだ。確か、太守アレクシスよりも、二、三歳年上のはずである。鍛え上げられた体の動きに隙は無く、彼が格闘戦に秀でているという噂は真実なのだろう。そこに立っているだけで、太守とはまた違う威圧感がある。


「隊長!」


 チャックが慌てたように立ち上がり、直立して背筋を伸ばした。緊張しているのか、日焼けした頬が僅かに引きっている。


「面白いなどと、隊長」


 ユーインがそう言えば、サンダーの片方の口角が明確に上がった。


「いや、M.O.V.ムーブでの模擬戦はやるべきかもしれんと私も考えていてな。ひと月前もここはM.O.V.ムーブに襲われている。これからもあると考えれば、隊員たちには早急に経験を積ませねばならん。それにはやはり実戦が一番だろうからな」

「それはそうでしょうが……、M.O.V.ムーブ同士の戦いでは被害の大きさを考慮せねばなりません。模擬戦での損傷は極力抑えなければ」


 ユーインの言うことはもっともなことだ。ロクサーナも内心で同意した。

 M.O.V.ムーブの修理には多くの時間と物資、そして、やはり金がかかる。いざ敵が来た時に出られませんでは話にならない。


「ふむ。なら、銃弾は射撃練習用に使っているペイント弾を使えばいい。実弾よりも威力は大幅に落ちるし、安価で済む。準備に時間をかければ近接武器も威力を抑える措置を取れなくもないだろう」

「ええ、まぁ、それならなんとか……。ですが、ブリガンダインとワーカーでは、そもそもの性能差が大きすぎるのでは?」

「それは、ワーカー二機を当てれば解決する」

「……確かに。それなら戦力差は埋められますね」


 ユーインに視線を向けられたので、ロクサーナは了承の意を込めて頷きを返した。


「私は構いません。私にとっても良い訓練になります」


 自分に経験が足りないことを、ロクサーナは自覚していた。安全をある程度確保した状態でM.O.V.ムーブ同士で戦う機会を得られるのならば、反対する理由はない。ワーカー二機を同時に相手したことも無いのだ。むしろ積極的に参加したい。


「では、私からアレクシス様に話を通そう。それでいいな? チャック」

「は、はい!」


 サンダーに大きな声で答えたチャックと、目が合った。意欲に満ちた瞳だ。先程の不満顔など何処どこへやら、彼は実に良い顔をしていたのだった。



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