第7話 これからは、これからも

 石畳の大通りから外れ、ロクサーナは少年の後ろ姿を追っていく。しかしこのまま追っていったとしても、距離を縮めて捕まえようとすれば途端に逃げられてしまうだろう。ロクサーナは頭の中でファル・ハルゼのおおよそ把握している地図を広げた。


 このファル・ハルゼの大通りは幅広い。それは、城壁に囲まれた都市の中心部に位置する宮殿の傍に、騎士隊本部とM.O.V.ムーブ格納庫ハンガーがあるからだ。この大通りは、必要に応じて出動するM.O.V.ムーブが、城壁外に移動するための道でもある。


 少年の姿は雑踏に紛れ、細い路地に消えた。彼の方がこの町の地理に詳しいはずで、その後を追うことはおそらく難しい。路地に迷い込んでしまっては元も子もない。それならば、とロクサーナはそのまま大通りを進んだ。要は少年の行先に当てをつければ良いのだ。そしてそれは、そう難しくはない。


「よし、しっかり掴まっていてねクロちゃん」


 背中から肩口にしがみ付いているC.L.A.U.-1クロウ・ワンに頬を寄せる。応じるように頬に頭を押し付けてきたC.L.A.U.-1を撫でてから、ロクサーナは足を速めた。




 商店が両脇に立ち並ぶなだらかな斜面をのぼると、広々とした中央広場に出た。中央には水資源が豊富な都市を象徴するかのような噴水が吹き上がっており、その向こうには太守の宮殿が見えている。半円アーチの小さな窓が印象的な石造りの建造物だ。太守に会う際に入ることがあるが、外観だけでなく内観も質実剛健で飾り気は少ない。惑星ザルドと同様に移民用宇宙船を核とした宮殿である。通信所など様々な施設があるはずだが、その内のどれくらいが未だ使われているのかは分からない。


 周囲を見渡せば、広場を囲むようにして公共施設が立ち並んでいる。町の多くの家屋は木造だが、中央に近いほど石造りの建物が多いようだ。


 ロクサーナは広場を抜けて工業区域に足を踏み入れ、衣料品や家具屋などの筋を進んだ。水車小屋のある川を越え、ロクサーナは更に鍛冶屋や皮革製品を取り扱う区画の手前で足を止める。革をなめす独特の悪臭が鼻を突き、意識的に深呼吸を避けた。


 この奥は、いわゆるスラム街だ。町の端であり、一見しただけで家屋の粗末さが窺える。あの逃げた少年は、おそらくはここから来たのだろう。そう予測したロクサーナは、橋の下に視線を落とした。慎重に土手を下りると、そこに廃材で建てられたような『家』を見つける。雨風を最低限防げるだけの家だ。川が増水すれば、避難するしかないだろう。


 川べりに、幼子の姿があった。川の方を向いてしゃがみ込んでいる。その足元には、小さな青い花の群生が、川風に揺れている。


「こんにちは」


 そう声をかければ、ぱっと幼子の頭が上がった。長い栗色の髪を舞わせ振り向いた幼子――可愛らしい少女であった――の、琥珀色の大きな瞳と目が合う。微笑ほほえめば、困惑を隠さずに少女が立ち上がった。彼女の小さな足を包んでいる靴は、そのところどころが破けている。


「足元の、可愛いお花ね」

「えぇと……おまもり、なの。おねぇちゃん、だぁれ?」


 見上げてくる澄んだ瞳には、純粋な疑問と、警戒。そして少しばかりの興味が窺えた。


「私はロクサーナというの。人を待っているのだけれど――」


 そこまで言ったところで、背中の向こうで驚いたような息遣いが聞こえた。

 振り返れば、土手の上で双肩を強張らせて立ち竦んでいる、目当ての少年の姿があった。痩せ気味の体だ。しかし見下ろしてくる琥珀色の瞳には、明確な意志の光がある。


 慣れた様子で土手を下りてきた少年が、その際で足を止めた。


「あんた、誰?」


 警戒が感じられる声を受け止め、ロクサーナは少年を見つめた。私が何故ここにいるのかを考えている――。少年の様子からそう推察したロクサーナは、一歩、少年に近付いた。


「私は騎士隊員のロクサーナよ。あなたのポケットの中の物に用があるの」


 カマをかけてみれば、暗い金髪がかかる少年の目が驚いたように見開かれた。

 

「見てたのか? それにどうやって先回りした?」

「あなたの行く先は――ほら、その花」

「……花?」


 少年の胸元に刺された小さな青い花は、アストレアだ。輝く星とも、小さな淑女とも言われる愛らしい花である。


 ロクサーナの故郷ザルドでは、緑少なく砂が大地を覆っていた。しかしこのファル・ハルゼには緑が多く自生し、多くの花が咲いている。初めて目にするものばかりで、ロクサーナは町を案内してくれたユーインたちに、花の名前を片っ端から尋ねたものだ。その中の一つに、この青い花があった。


「その花は、ファル・ハルゼでは、この橋の下の川べりによく生えているそうね」


 それと、少年の裕福とはいえない衣服から、ロクサーナはこの場所を導き出したのだった。


 少年から深い溜息が吐き出され、ポケットの中から財布が取り出された。革製の、いかにも高級といった風情のある財布だ。それが投げ渡され、ロクサーナは両手で受け取った。


「素直なのね」

「そりゃそうだろ、妹がそっちにいるんだ。腰のそいつを抜かれちゃ困る」


 少年が指したのは、ロクサーナの剣帯に吊られている細剣レイピアだ。ロクサーナとしては抜くつもりは全くなかったため、心外だと両肩をすくめてみせた。


「武力行使するつもりはなかったわ。この子を人質にとるつもりもね」


 立ち位置を変え、幼い少女を少年の元へ行かせる。

 少女は少年に駆け寄り、腰元に抱き付いた。


「とんだお護りだったな」


 胸元の花を手に取った少年に、ロクサーナは笑んでみせる。


「あら、お護り効果はあったわよ?」

「どういうことだ?」

「更生する機会がやってきたじゃない」

「馬鹿馬鹿しい。今日食べる物だって満足に買えないんだぞ。騎士さまには分からないだろうけどさ」


 あざけるように、少年が口元を歪ませた。


「ご両親は?」

「もういない。死んじまった。だから、盗みでもしなけりゃ、まともに食っていけない。食わせてやれないんだよ。あんたに警備隊へ突き出されたら、こいつ一人になっちまう」

「そう……、そうなのね」


 この少年の中ではもう消化されているのだろうか。淡々とした響きで語られた両親の死に、ロクサーナは胸に広がる痛みを感じた。まだ幼い妹を守りながら、この少年は必死で生きているのだ。まだ十歳と少しほどだろう、一人で立つには幼い歳だと思う。


 故郷のザルドでは、両親を亡くした子供は公的に保護されるものだ。しかしこの兄妹は、保護されているようには見えない。


 ロクサーナは、今回の件をどう処理すべきか考えさせられていた。盗まれた物は取り戻した。問題は、この少年をどうするかだ。窃盗犯として拘束するのが通常なのだろうが、それでは解決しない問題がある。


 貧しさの問題は、根本的に都市の制度を変えていかなければ解決しない。そしてそれは今日明日で変えられるものではなく、ここの太守ではない自分一人でなんとかできる範疇はんちゅうでもない。現実的に考えて、全ての者をこの手で救うことはできない。それでも、目の前の二人くらいはすくい上げることができる。


「あなたはこの辺りに詳しいの?」

「当然だろ。路地裏は俺たちの遊び場みたいなもんだ」


 自信ありげに言った少年に、ロクサーナは心を決めた。


「あなたの名前を教えてくれる?」

「フェリオン。それが何――」

「では、フェリオン。私があなたを雇います」


 そう言うと、少年――フェリオンが眉をひそめた。


「は?」

「だから、私が、あなたを、雇うの」


 指を揃えて自らの胸元に当て、それからロクサーナはフェリオンにその片手を向けた。


「それほどお給料は弾めないけれど、衣食住は私が保障します」

「正気かよ? ……盗人を何に使う気だ?」


 驚きを隠さず、いぶかしげに言った少年――フェリオンに、ロクサーナは笑ってやった。


「もう盗人ではないわよね? あなたのポケットに盗品はないわ。妹のために足を洗ってまっとうに生きること。それがあなたを雇う条件よ。できるかしら」

「も、もちろんだ!」


 思ったよりも力強い返事が得られた。そのことに、ロクサーナは安堵する。機会を逃さない賢さが、この少年にはあるようだ。妹思いでもある。妹も兄を慕っているのだろう。あの花はきっと、妹が彼に持たせたものに違いない。


 その時、大きな腹の音が鳴った。


「あ」


 フェリオンと妹が顔を見合わせる。次いで、互いに困ったように笑みを零した。その様は、ロクサーナに故郷の兄を思い出させた。あの兄も、よくあんな風に優しく笑ったものだ。


「ひとまず、何か食べましょうか。そこで今後の話をしましょう。向こうの通りに食堂が――」

「食堂なら、こっちにもあるぜ。安いし。汚いから、あんたには耐えられないかもしれないけどな」

「うーん、ならそちらに行きましょうか。何事も経験です」


 彼らの生活を知るためには、当然答えはイエスだ。それに、自分とて無限に金を持っているわけではない。騎士隊に所属することで稼ぐ金はあるものの、この惑星に至るまでの借金がある。そのうちに、密輸業者スマグラーが取り立てにくるだろう。それまでに、何とか稼がなければならない。このファル・ハルゼで騎士隊員として雇われたことは、本当に有難いのだ。


「あんた、変わってるな。それに、さっきから気になってたんだけど、ソイツ……何?」


 少年が指差したのは、ロクサーナの背中から左肩に張り付いているC.L.A.U.-1クロウ・ワンだ。自分のことを言われたのが分かったのか、肩口で小さな鳴き声が上がった。


「クロちゃんよ。可愛いでしょ?」

「いや、キモイだろ。どう見ても」

「あら。こんなに可愛いのに……」


 嫌そうな顔をしながらも興味が有りありな様子が窺え、面白いわと笑みが零れてしまう。弟妹ができた気分だ。ヴァージルには明日、紹介するとしよう。

 ロクサーナは二人の後について、スラムの中へと足を踏み入れた。



◇◇◇



「それでね、今日は色々とあったの。考えさせられちゃって……」


 夕刻、ロクサーナは格納庫ハンガーへと戻ってきていた。ブリガンダインの右肩に腰掛けながら、事の経緯をヴァージルに話し終えたところだ。


『その財布は持ち主に返されたのですか?』

「ユーイン経由でね。その方が詮索されないで済むし。ちょうど、遺失届が出ていたから良かったわ」


 こうして話す時には、ヴァージルはスピーカーを使って話してくれる。危ないですから、と最初言っていたヴァージルだったが、今では黙って片手を添えてくれるようになった。そうされるようになって初めて、そこに手があると安心感が違うのだなと気付いたものだ。こうしたちょっとしたヴァージルの気遣いが、嬉しく思う。


 格納庫ハンガーには、ブリガンダインの他、このファル・ハルゼの太守アレクシス・カイレンのM.O.V.ムーブ、クァンタム・リープがある。向かいに見えるクァンタム・リープの全高はブリガンダインより少し高い。白で塗装され、両肩にカイレン家の家紋が描かれたカスタム機体だ。その隣には、騎士隊長サンダーの六脚M.O.V.ムーブ、そしてユーインの四脚M.O.V.ムーブもある。


 スラムの件は太守アレクシスと話す機会を作り、彼の考えを聞いてみなければならない。そう思いながら、ロクサーナは明日からの予定を考え始めた。あんな家でも出る準備があるんだ、と言ったフェリオンには、明日迎えに行くと言ってある。勿論、彼の妹も一緒に引き取るつもりでいる。


「――おぉい! 姫さん! 上にいるか!?」


 下方から呼ばれ、ロクサーナは何事かと足元を覗いた。

 整備士長である親父さん――貫禄のあるクライドを騎士隊の皆はそう呼ぶのだ――が、自分を探している。視力が弱まっている彼に見つけてもらえるよう、ロクサーナは片手を大きく振った。


「ここにいます! 親父さん!」

「おぅ良かった! ザルドは無事だったってよ! 姫さんの家族も無事だって! GTB支社からの情報だから確かだぞ!」

「えっ! ほ、本当ですか!? ひゃっ」


 驚きのあまり、前のめりに手が滑った。しかし悲鳴を上げきる前に、ブリガンダインの大きな機械の手で捕まえられる。ほっとすると同時に、ロクサーナは興奮のままにブリガンダインを振り仰いだ。


「聞いた? ヴァージル! お父様たち無事だって!」

『イエス、マスター。確かにそう聞こえました』

「良かった……、夢じゃないのよね」


 安堵の溜息が漏れるに任せる。実を言えば、もう駄目かと半ば覚悟していたのだ。それが、なんという朗報だろう。涙が勝手に溢れてきてしまう。


『ミュ~』


 肩口でC.L.A.U.-1クロウ・ワンが鳴いた。柔らかい頭が、頬に擦り付けられる。まるで喜びに寄り添ってくれているようで、無限に頬が緩みそうだ。


「ふふっ、ありがとうクロちゃん」


 GTB支社とは、銀河電子貨幣Galactic Electronic Moneyを扱う銀河兆銀行Galaxy Tera Bankが、宇宙に散らばる多くの惑星に置いている支社のことだ。そこでは得た情報を有償で提供している。あいにくこの惑星テクトリウスには支社が置かれていないらしいが、同じ恒星系の惑星から情報を入手してくれたのだろう。それを指示してくれたのは、おそらく太守であるアレクシスだ。


 ロクサーナは片手で涙を拭い、心から感謝した。


「これから頑張って恩返ししなくちゃね。ついでに、もっとお金を貯めなくちゃならないわ。密輸業者スマグラーに借金プラス、ザルド行きの輸送費も必要だもの」

『そうですね。AH波のこともありますので、すぐにとはいきませんが』

「それは仕方ないわよ。それに……」

『それに?』

「私、ここでの生活は気に入っているのよ。とてもね」


 雇ったばかりの少年のこともある。

 何より、せっかく別惑星に来ているのだ。知見を深めるには良い機会に違いない。

 この星の別の都市にも、行ってみたい。

 家族が無事だと分かれば、途端にやりたいことがむくむくと湧いてきた。


「姫さん! そのことで隊長が呼んでたから、行ってきてくれ!」

「はーい! 行ってきます!」


 ブリガンダインの指に両腕で抱き付きながら、ロクサーナはクライドに大きく返事をした。クライドが「聞こえたよ」というように片手を振ってくれる。それを確認してから、ロクサーナは再びブリガンダイン=ヴァージルの顔を仰いだ。


「そういう訳だから、これからもよろしくね、ヴァージル」

『こちらこそ、マスター・ロクサーナ』


 返ってきた言葉に笑みを返す。天井の照明の陰になっているブリガンダインの顔が笑みを返してくれているように見えるのは、錯覚だとしても嬉しい。


 ゆっくりと傍の渡り廊下へと寄せてくれたため、ロクサーナはブリガンダインの掌から降り立った。足元で鳴る微かな金属音ですら、これが夢でないことを知らせてくれているようで心が弾む。


「じゃあ、ちょっと行ってくるわね」


 ロクサーナはブリガンダインから離れ、晴れやかな気分で渡り廊下を駆け出した。



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