第6話 優雅なティータイム

 午後の陽射しを受けているカフェの窓の向こうには、行き交う人々や向かいの店先が見えている。それらを何とはなく眺めながら、ロクサーナはカウンターテーブルの端でティータイムを満喫していた。


 ここは各種商店が並ぶ区画の中にあるカフェだ。ファル・ハルゼの中心部に位置する、かつての移民用宇宙船からなる宮殿にほど近い場所にある。


「んー、いい香り」


 鼻腔を優しく撫でてくるマリスム茶は、香り高さでは群を抜いている。ほんのりとした甘さの中に、スパイシーさが混じっているのだ。惑星テクトリウス地産の茶葉から抽出したものらしく、透き通った紅色をしている。味わいはまろやかで優しく、今ではロクサーナのお気に入りになりつつあった。


 惑星テクトリウスの、特にこの首都ファル・ハルゼ周辺には緑が多い。植物が多く自生しており、近くの森には原生動物もいるようだ。しかし温暖で暮らしやすい惑星であるにも関わらず、未だ他惑星に比べて人口が少ないと聞く。それはこの惑星テクトリウスが、自分の知らない大きな問題を抱えていることを示唆しているのかもしれない。しかし今は、この穏やかなひと時を享受したいと思う。


美味おいしい? クロちゃん」


 カウンターの上で、C.L.A.U.-1クロウ・ワンが木の実を食べている。灰色がかった丸みを帯びた体を撫でると、小刻みな振動と共に満足げな鳴き声が返ってきた。


「ふふ、可愛い子」


 C.L.A.U.-1クロウ・ワンは、ロクサーナが七歳の時に父トリスタンから贈られた愛玩機械ペットだ。それ以来、ずっと一緒に過ごしてきた。密輸業者スマグラーから仕入れたらしい地球テラ製であり、内蔵機械に関しては過剰技術オーバー・テクノロジーでできている。簡易ながら感情に応じて鳴き、木の実などを口から摂取してエネルギーにすることが出来るなど、まるで生体のようなのだ。そして、おそらくは半永久的に稼働する。


 追加の木の実をC.L.A.U.-1の口元へ置いてくれたのは、このカフェのマスター、アリエットだった。母親ほどの年と思われるアリエットは、最初こそC.L.A.U.-1を気持ち悪がったものの、今では楽しそうに木の実を分けてくれる。キモ可愛い、のだそうだ。


「ここの生活には慣れたかい? ロキシィ」

「ええ。おかげさまで」


 ロクサーナは笑みと共にアリエットに答えた。


 この惑星は、故郷よりも。故郷の惑星ザルドは、そのほとんどが砂漠地帯だった。風が強い日などは、砂埃にまみれる。そんな環境であるからか、ここよりも生活水準は低かった。科学的水準も、恐らくこちらの方が少し上だ。何より、ここは食物が豊富なのだ。町の外には広大な農地や牧場、家畜小屋――牛や豚、羊や鶏などの――があり、小麦畑だってある。入植時に地球テラから持ち込み、どうにか定着させたのだろう。


 テクトリウス地産のマリスム茶の栽培も忘れてはならない。基本的な食に関しては、各段に惑星テクトリウスの方が上なのだ。故郷の皆にも食べさせてやりたい物が、ここには多く存在している。食の好みが似ている兄も、話せばきっと来たがることだろう。生きていてくれればだが――。


 再び気持ちが沈み込みかけた時、手元に色鮮やかな菓子の乗った白い小皿が置かれた。


「これはサービスだよ」


 置かれたのは、赤い色が鮮やかなベリーのタルトだ。やや焦げ目の付いた掌サイズのタルト生地にカスタードクリーム、その上に所狭しと乗っているベリーは、この近くで採れる野生の野苺だろう。あまりの見事な出来栄えの菓子に、一気に気持ちが浮き立った。


「わあ! ありがとうございますアリー! とっても美味おいしそう……!」

「上出来だから、あんたに食べて欲しくてね」


 アリエットが嬉しそうに笑った。


 ここに来て初めて彼女の作ったタルトを食べた時は、感動して震えたことを思い出す。アリエットの作る菓子は、ロクサーナの大のお気に入りなのだ。


「クロちゃんも好きなのよね? このベリー」


 拝むようにして眺め倒してから、ロクサーナはまずは一粒、指先に取る。瑞々しさを感じる、弾力のある球体の集まりだ。それをC.L.A.U.-1クロウ・ワンの空色の目の前に示してやれば、手にしがみ付くように短い機械脚が伸びてきた。


「ふふっ、慌てないでもあげるから」


 ベリーをC.L.A.U.-1の口元に寄せてやり、ロクサーナは喜んで小さな鳴き声を上げている様を楽しむ。本当に、この芋虫みたいな体の中で、どんな処理が為されているのだろう。エネルギーに変換された後の残りかすは、ちゃんとフンとして排出もされている。勿論、そうして良い場所は理解しているようだ。


 そうだ! とロクサーナは思い付いた。


「クロちゃん、ヴァージルに繋いでくれる?」


 そうお願いすれば、C.L.A.U.-1クロウ・ワンが少し頭をもたげる。


『――どうかしましたか、マスター』


 すぐにヴァージルの声が、C.L.A.U.-1クロウ・ワンから聞こえてきた。ブリガンダインのAIであるヴァージルは、常にブリガンダインと共に在る。しかし距離に限度はあるものの、こうしてC.L.A.U.-1を通じて話すことができるのだ。


「見てみて! アリーにタルトをもらったの」


 白い皿に乗せられたベリーのタルトをC.L.A.U.-1クロウ・ワンの目の前に示せば、C.L.A.U.-1の口元がぐっと近付いた。


「あら、だめよクロちゃん、私にも食べさせて」


 そう言いつつも、ロクサーナは再びベリーを摘まみ、C.L.A.U.-1に食べさせてやった。喜んでいる様を見ているだけで癒される。


『色が鮮やかですね。新鮮な果実なのでしょう』

「そうなの! とっても綺麗でしょ? だからヴァージルにも見せたくて――」


 そこまで言い、ロクサーナは可笑おかしな気分になった。ヴァージルはこれを食べられないのに、こうして見せる行為は意地悪なんじゃないかしら。そんなことを思う。


『どうしました?』


 こちらの様子を、ヴァージルはC.L.A.U.-1クロウ・ワンの目を通して観ているのだろう。不思議そうな色を持って声がかかった。


「んー、食べられないのに見せて悪かったかなと思って。ごめんね」


 謝れば、ヴァージルの可笑おかしそうな笑い声が短く上がった。彼がそうすることは珍しい。


『お気遣いなく。そもそも私にそういう欲求はありませんので。ですが、こうして様々なものを観ることは私にとっては有益なことですよ』

「そう?」

『イエス、マスター。貴女あなたの“美味おいしそうな顔”を眺めるのも、悪くありません』

「えっ」


 予想していなかった返答に、ロクサーナは途惑った。どこでこんな言葉を覚えてしまうのだろう? なんでもないことのように口にされ、こちらだけが妙に気恥ずかしい。


 その時、カフェの入口扉に付けられた鐘が軽い音を立てた。


「いらっしゃい」

「よぅ」


 入ってきた二人が、ロクサーナから椅子一つ隔てたカウンター席に腰かけた。二人を見て、ロクサーナは軽く会釈を向ける。奥に座ったダリウィン・スレイターは、昨日、盗賊団を押さえる時に同行していた大柄な男だ。彼はこのファル・ハルゼ騎士隊員であり、消防を担う『水亀隊』隊長でもある。加えて、町で起こる犯罪に対してメインで動く刑事の役割も持っている。


 手前のユーイン・カーライルはダリウィンに比べれば線の細い優男で、言葉遣いも貴族出身らしく丁寧な人物だ。ダリウィンと同様、騎士隊員であり、若年ながら警備隊長をも務めている実力者である。羨ましくなるほどの滑らかそうな髪が、ユーインの肩口に掛かっている。外の暖かな陽射しが含まれている気さえする、明るい髪色だ。


 比較的接する機会の多いこの二人を、ロクサーナは兄のように頼りにしている。


「レディ・ロクサーナ。ここで貴女あなたに会えるとは、ダリウィンの腹の虫に感謝しなくてはなりませんね」


 そう言って穏やかに笑むユーインに、ロクサーナは彼の髪に見惚れながら笑みを返した。店内のあちこちから熱い視線を感じるのは、気のせいではないのだろう。ちらと見れば、そわそわしている女子たちが居る。


 アリエットが言うには、たまにここに来る彼を見たいがために、店に通ってくる女子たちがいるという。彼女たちにとっては『王子様』なのだそうだが、彼女たちの中には、ちゃんと結婚の約束をした恋人がいたりするそうだ。好きな人と『王子様』は別物なのだろうか? ロクサーナにはまだ理解し難い区別だった。


「お二人ご一緒だなんて珍しいですね」

「ええ。今日は彼ら水亀隊と、私の警備隊との定例会議がありましてね。その後、ダリウィンがお腹がいたと五月蠅うるさいもので。それに、ここの菓子は私も好きなんですよ」


 ユーインの緑葉のような瞳から注がれる視線が、手元のタルトに向けられる。それに気付き、ロクサーナは笑顔で「美味おいしいですよ!」と応えた。


「お嬢さんは今日は休暇か?」

「ええ、隊長が休暇をくださったので、有難く」

「それがいい。昨日はお嬢さんのお陰でこっちの被害ゼロで奴らを押さえられたからな。俺は暴れ足りなかったが」


 大きな口の片方の口角を上げ、ダリウィンが満足そうに笑った。


「おぅおぅ、コイツもご褒美タイムか。ちゃんと尻尾が戻ってるじゃないか」


 ダリウィンが指したのは、C.L.A.U.-1クロウ・ワンの体の後部に差し込んでネジ止めしている、薄く小さなタグのことだ。


「昨日はこっちに付けていましたから」


 ロクサーナは腰の剣帯に下げている細剣レイピアに触れた。


 この細剣レイピアの柄には、特別にタグを填め込めるへこみと溝が作られている。このタグは、常時ロクサーナが身に着けている右手の籠手ガントレットにより、引き寄せが可能となるのだ。昨日は確実に武器を手放さねばならないことは予測していたし、のちほど必要になることも分かっていた。それ故の、タグの付け替えだ。いつも細剣レイピアの方に付けておけばいいようなものだが、こうしてC.L.A.U.-1クロウ・ワンに戻すことでタグが充電チャージされるため、そうもいかない。元々、C.L.A.U.-1に付いてきたものなのだ。更にいえばこの籠手ガントレットがメインであり、C.L.A.U.-1はオマケ的なものだった。


 黒光りする黒い指無しフィンガーレス・籠手ガントレットは、中央部分以外は伸縮性がある。右の籠手ガンレットは、タグを引き寄せる『引力アトラクター』。左の籠手ガントレットは『斥力リパルサー』で、甲部分には跳弾フィールドを発生させる水晶が填め込まれている。


「レディの腕前は確かですよ。よく鍛錬されています。まだ伸びしろもありますしね」

「ありがとうございます、ユーイン。またお時間のある時に、稽古をつけていただけると嬉しいのですけれど」

「ええ、勿論。貴女あなたのお相手なら、いくらでも喜んでお付き合いしますよ」


 ユーインの細剣レイピアの腕前は高い。彼の言葉通りの嬉しげな笑みを受け止め、ロクサーナは感謝を笑みに乗せて応えた。




 ロクサーナがタルトを食べ終わった頃。

 軽食を注文した彼らの元に、実に美味おいしそうな総菜パンがやってきた。ハード系の細長いパンに、ハムや野菜、チーズなどが挟まれている。今ではロクサーナにとっても日常の食べ物だが、ここまで安定した供給を得るまでには、多大な苦労があったことだろうと思う。食に対する執念すら感じる。それが分かるだけに、ロクサーナはこの町に入った時も、また、ひと月前に侵略しようとしてきた盗賊たちを追い返すためにブリガンダインで出た時も、それら農地などを荒らさないよう細心の注意を払っていた。


「おい、お嬢さん、何なら一口かじってもいいぞ」

「え! あ、いえ、大丈夫です!」


 可笑おかしそうな顔をして言うダリウィンに、ロクサーナは慌てて首を左右に振った。あまりにもパンを見つめ過ぎていたようだ。ヴァージルに揶揄からかわれるかと思ったが、C.L.A.U.-1クロウ・ワンから彼の声はしなかった。二人がやってきた時に、通信を閉じたのだろう。それを少し寂しく感じた自分に、ロクサーナは内心で首を傾げた。


「私は、お茶をもう一杯――」


 いただきます、と言い切る前に、ロクサーナはふと意識を窓の外へ向けていた。ユーインとダリウィンの向こうにある窓の外だ。昼下がりの往来は、そこそこの人出がある。その向こうの青果店で品物を選んでいる恰幅の良い男性客がおり、その背後に一人の痩せ気味の少年が立っている。二人が家族ではないことは服装の質の違いから予測できた。明らかに男性客の方は裕福そうだ。それに比べ少年の方は貧しいのだろう。僅かに辺りを見回すような動きをした少年の衣服の胸元に、小さな可愛らしい青い花が見えている。それが粗野に見える少年が身に付けるものにしては不自然さを覚えた。


 いくら住み良い町といっても、貧富の差はどうしても生まれてくるものなのだろう。目に留まったのは、少年の挙動に僅かな不審を感じたからだった。すぐにその少年が男性客から離れていく。


「すみません。用事を思い出しましたので、お先に失礼しますね」


 ロクサーナは言うや否や、すぐさま席を立った。必要に足るであろう貨幣をカウンターに置き、C.L.A.U.-1クロウ・ワンを抱き上げる。そして驚いているダリウィンとユーイン、そしてアリエットに軽く会釈した後、足早に店を出た。


 暖かな陽射しの中、行き交う人々の間に目当ての少年の後ろ姿を見つける。ポケットに両手を突っ込んだ格好で、緊張しているのか、両肩が僅かに上がっている。その後を、ロクサーナは静かに追った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る